第9話『上級生筆頭との対決(後編)』
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「うおお!?」
「スピネドールの『火竜の息吹』だ!」
向こう側で2年生たちが騒いでいる。
「いっけええーっ!」
2年生の1人が叫んだ瞬間、火の球はフッと消えた。
火球の燃料である魔力を俺が放散させ、元の平衡状態に戻してしまったからだ。燃えるものがなければ火は消える。
「……え?」
「あれ?」
「おい、どうした?」
ざわめく2年生たち。
スピネドール自身も何が起きたのか理解できない様子で、唖然としている。
「なん……だと?」
隙だらけだ。
タロ・カジャがぽつりとつぶやく。
「なーにやってんですかね、あれは」
「魔術師に破壊魔法を投射して、まともに通ると思っているのは深刻だな」
ゼファーよ、お前らしくもない教育を施しているな。
そもそもあの火球は本当に炎をぶつけるだけなので、熱によるダメージは一瞬で終わってしまう。肺を焼けば窒息死させられるが、それはあまりにも効率が悪い。
とはいえ、俺は殺人のレクチャーをする気にはなれなかった。
どうせなら違うことを教えてやろう。俺は声を張り上げる。
「放たれた火球は熱エネルギーと運動エネルギー、そして燃料となる魔力で構成されている。これらは全て物理法則に従う。物理法則に干渉できる敵、つまり魔術師には通用せん」
「いったい何を言っている?」
「わからんか」
魔術師は物理学者ではないが、物理に対する基本的な知識がないと高度な術を扱えない。
この程度のことも教わっていないとなると、あまり手荒なことはできんな。
「ふーむ……」
この学校の意義や生徒たちの人生について少し心配していると、向こうからスピネドールが叫んだ。
「今度はお前の番だ! 撃ってこい!」
無茶を言うな。
「危険すぎる。俺の反撃は的に撃てば十分だ」
「俺はお前に魔法を撃ったんだぞ! お前も俺を撃たなければ公正な勝負にならんだろうが!」
別にいいだろお遊びなんだし。
とはいえ、スピネドールは真剣な表情だ。おそらく彼のメンツがかかっているのだろう。あまり子供扱いするのも気の毒か。
「よかろう」
ついでだから少し教授しておくとしよう。俺のような者が魔術の教授など、兄弟子たちが見たら爆笑するだろうが……。
自分でもおかしくなりながら、俺は苦笑して印を結ぶ。
「よく見ておくがいい。火術というのは、こうやって使う」
俺が術を完成させると、スピネドールめがけて水鉄砲のように飛沫が飛ぶ。
「うわっ!?」
スピネドールは避けようとしたが間に合わず、ずぶ濡れになってしまった。
2年生たちは驚いたが、すぐに大笑いする。
「おいおい、火に対抗して水かよ!?」
「火竜スピネドールの炎が、こんなもんで防げると思ったのか!?」
しかしスピネドールだけが、何かにハッと気づいた様子だ。新しい術を放ってこない。
さすがに気づいたか。
その横でトッシュがおろおろしている。
「おっ、おいジン!? こんなんでどうやって勝つつもりだよ!?」
「火術だと言っただろ? もっとも火の魔術は使わないが」
俺はごくごく小さな雷撃を、自分のすぐ近くにパシンと落とす。
俺の足下もびしょびしょになっていたが、その水たまりがパッと燃え上がった。
「えっ!?」
「燃えた!?」
「水じゃないのか!?」
いいから黙って俺の説明を聞け。
「周辺の大気と土から元素を借りて、可燃性の油剤を錬成した。そしてこれはただの落雷の魔法だが……」
俺が指をスッと動かすと、落雷はバシバシと連続しつつ、スピネドールにどんどん近づいていく。
「うわっ、来たぞ!?」
「は、反撃しろよ、スピネドール!」
しかしスピネドールは顔面蒼白のまま、動けずにいた。
今もし彼が火の魔法を使えば、油剤でずぶ濡れになっている彼は火だるまになる。引火しない術で応戦する必要があった。
と同時に、こちらの落雷をどうにかして防がなければならない。小さな火花がひとつでも飛べば、スピネドールは黒焦げだ。
俺は彼に判断する猶予を与える為、落雷を少しずつ彼に近づけていく。
バシバシと稲妻が降り注ぎ、一直線に地面が燃えていく。炎を一瞬飛ばすだけの魔法と違い、こちらは大量の油剤が燃えている。燃え尽きるまで火は消えない。
「く、くそっ! 清き流れの乙女たちよ! 我が身を清めよ!」
スピネドールはとっさに水の精霊を召喚し、服の油剤を洗い流そうとした。
だが衣服に染み込んだ油剤が水を弾く。洗い流すには何らかの界面活性剤が必要だ。界面活性剤の精霊がいればいいのだが。
その間に落雷はじわじわ近づき、スピネドールの目の前まで炎が迫る。
「うっ、うわああぁ!?」
スピネドールはパニックを起こし、尻餅をついて悲鳴をあげた。
「待て、待ってくれ!」
俺は即座に雷撃を中止し、じっとスピネドールを見つめる。
「降参ということかな?」
スピネドールはコクコクと何度もうなずき、かすれた声で叫んだ。
「おっ、俺の負けだ! だからもうやめてくれ!」
「わかった」
俺は魔法で生み出した生成物を消去し、辺りを完全に元の状態に戻す。
俺がスピネドールに近づいたとき、彼はまだ尻餅をついたままだった。
もうずぶ濡れではないが、股間の辺りだけ少し濡れている。あれだけは油剤ではないらしい。失禁したか。
俺は膝をつくと、腰を抜かしている彼に忠告する。
「魔術は真理の宝物庫を開ける鍵であり、火術もそのひとつだ。確かに武器にもなるが、それは本来の使い方ではない」
なんで俺がこんなこと言ってるんだろう。これは俺が師匠に言われたことそのままだ。
火術で誰かを殺害するつもりなら、粘着性の可燃物をぶつけてから着火した方が遥かに効率がいい。可燃物が燃え続け、継続的にダメージを与え続けるからだ。さらに炎と煙が肺を焼き、相手を窒息死させる。
だがこんなおぞましいレクチャーをする気にはなれなかった。こんなことは人として最も忌むべき行為だ。師匠も許さないだろう。
それよりも今はスピネドールのケアだ。特にその股間の染みだけはどうにかしてやらんと。
俺はポーチから白い粉の詰まった小袋を取り出した。
「生成した油剤はあらかた消去したが、少し残ってしまったようだ。すぐにこの洗剤で洗った方がいい」
俺が意味ありげに微笑むと、スピネドールはおずおずと自分の股間の染みを見つめる。
それから意外と素直に洗剤を受け取ると、俺にこう問いかけてきた。
「お前……いったい何者だ?」
「一学徒だ」
これまでもこれからも、俺は学問の徒であり続ける。
だがこの答えが不満だったらしく、スピネドールは重ねて尋ねてきた。
「教官たちより強いヤツが、この学院で今さら何をするつもりだ?」
鋭い質問だ。どうしよう。
適当にはぐらかすとまたしつこく聞かれそうだったので、俺はある程度正直に答えることにする。
「この学院がどれほどのものかと思ってな」
その言葉に2年生たち全員が、微かに恐怖の色を浮かべた。
「こいつヤベえ……」
誰かが言う。確かに子供相手に大人げないことをしましたが、そんなにヤバくないです。ちゃんと手加減したし、怪我もさせてない。
俺がそれ以上何も言わないようにしていると、スピネドールは諦めたように首を振る。そして、うなだれたまま立ち上がった。
「くそ、なんてヤツだ……」
とぼとぼ去って行くスピネドールに、2年生たちが群がる。
「おい、これでいいのかよ!?」
「あんな新入りに負けたんだぞ、お前!」
「うるさいな、ほっといてくれ!」
やさぐれて荒れているスピネドール。
「どこ行くんだよ、スピネドール!?」
「洗濯場に決まってるだろ! ついてくるな!」
「えっ!? あ、ああ……」
無理もない。男の子はメンツが大事だからな。
負けた上に失禁したとあっては、彼の沽券にかかわる。仲間に気づかれないうちに、早くズボンを洗濯したいだろう。
彼らが去った後、俺は溜息をつく。
「頼むからもう放っておいてほしい」
「お前、無茶苦茶するな……」
トッシュは呆れていた。