第89話「鉄血とオミオツケ」
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王都に向かう途中は何事もなく、俺たちは無事にサフィーデの王都イ・オ・ヨルデに到着した。
「発音しにくいよね、この名前」
ミレンデ人のナーシアが言うと、トッシュが笑う。
「みんな続けて『イオヨルデ』って言ってるけどな。『イ』も『オ』も飾りだから」
「飾りですか?」
ファルファリエ皇女が首を傾げるので、トッシュは胸を張って説明する。
「もともとの街の名前は『ヨルデ』なんですよ。サフィーデの王様が代々ここに住むことにしたから、それを祝って『偉大なる、真に偉大なるヨルデ』って名前にしたんです。それが『イ・オ・ヨルデ』」
ほう、そういう由来か。俺も知らなかった。記録しておこう。
すると国王を叔父に持つスピネドールが怪訝そうな顔をする。
「そういえば聞いたことがある気がするが、なんでお前がそんなことを知ってるんだ?」
「いやあ、俺も爺ちゃんから聞いたんですよ。うちの神殿で祀ってる『オトゥモ』様も、『偉大なるトゥモ』神って意味なんだよって」
接頭語を重ねる単語はサフィーデ独自のものではなく、他国どころか異世界にもある。俺の知っている事例だと、『書庫』にある「オミオツケ」という単語がそうだ。「オミオツケ」の最初の三文字「オ」「ミ」「オ」は全て接頭語だという。素晴らしい。
問題はオミオツケが何なのかということだが……。師匠が画像を添付し忘れたせいでさっぱりわからん。注釈によると「ミソシル」とも呼ぶらしい。
接頭語を三つも重ねているから、何か神聖なものなんだろうというのはわかる。
ともかく、異世界であろうとも言語学は通用する。言語には人の心理や生態が密接に関わってくるから共通点が多いのだ。
なんという楽しさだろう。
誰かに話したい。
しかし『書庫』の記録は、誰も知らない異世界の知識だ。誰かと共有できるはずもない。残念だ。ああ、オミオツケの話がしたい。
ちらりとマリエを見たが、彼女は無言で視線をそらす。あいつは医学や生理学の類にしか興味がない。
言語学が好きな兄弟子というと、やっぱり古魔術を作ったユーゴかな……古文書マニアだったし。惜しい仲間を亡くした。
やっぱり早いとこ、新しい仲間を育成しないとな。知の楽しみを分かち合う仲間を。
そんなことを考えつつ、俺たちは王都で手厚い歓待を受ける。
「ようこそ、マルデガル魔術学院の栄えある生徒諸君!」
王宮の広間で盛大な歓迎式典が催され、壇上でディハルト将軍が満面の笑顔で演説している。
「生徒諸君のひたむきな研鑽と未来への意欲を、王立軍は高く評価しています! これからもたゆまぬ努力を続け、魔術の実践者として大きく成長してください! 諸君の健闘を祈ります!」
眠くなるような演説だが、生徒たちは熱心に聞き入っている。みんな育ちがいいな。
そういや魔術学院の生徒はみんな、そこそこ裕福な家の子女ばかりだった。目上の者には従順なので、ディハルト将軍にとっては扱いやすい人材だろう。
演説の後は立食形式の昼食会になったが、そこでディハルト将軍がこちらに駆けてくる。
「ジン殿、お元気でしたか!」
生徒たちの前で「先生」と呼ばなかったことは褒めてやるが、お元気も何もないだろう。つい先日も念話で打ち合わせしたばかりじゃないか。
とは思ったが、これも何かの演出なのだろうなと考え直して応じることにする。
「ディハルト将軍閣下、ご無沙汰しております」
俺が頭を下げると、自然とみんなの視線がこちらに集まる。生徒も将兵もこちらを注視していた。やりづらい。
ディハルト将軍は笑顔で俺に質問してくる。
「ジン殿、先日御相談した製鉄の件ですが」
あれか。王立軍に火縄銃を配備するために鉄が不足しており、それをどうするか相談されている。
ディハルト将軍はメモをめくりながら言う。
「鉄は国家にとって血も同然だと、ジン殿はおっしゃいましたね」
「師の受け売りです」
正確に言えば『書庫』にそういう本があっただけだ。文明が発展すると鉄が大量に必要になり、鉄不足では戦争に勝てなくなる。
槍と弓で戦っていた時代なら木や革である程度の代用ができたが、鉄道や大砲を木や革で作る訳にもいかない。
というような話をディハルト将軍にした。
「ジン殿、やはり戦略資源は自国で供給するのが良いと考えています。製鉄所を大量に建造して職人を養成すべきでしょうか?」
「いえ、待ってください」
今する話じゃないと思うんだが、この感じだと止めないとまずい。
「製鉄には川が流れていて強い風が吹く場所、つまり山岳地帯の谷が必要です。さらに大量の燃料を必要としますが、燃料の輸送は大変ですので近場で伐採することになります」
「確かにそうですね。候補地は限られていて、いずれも山岳地帯です」
「同じ場所に集中して製鉄所を作ると、すぐに森林が枯渇します。そうなると山が崩れかねません。サフィーデにとって国土を囲む山脈は天然の防壁ですから、それは困るのです」
俺が慌ててそう言うと、周囲の視線が突き刺さる。
「やっぱり特待生首席になると違うな……」
「そりゃ従軍して戦功も立ててるからな、ジンのやつは」
「将軍に教えることがあるなんて凄いよねえ」
生徒だけでなく、王立軍の貴族将校たちも俺を見ていた。
「あれが噂のスバル・ジンか」
「大賢者ゼファーの愛弟子だけのことはある」
「参謀時代のディハルト殿に策を授けて将軍へと導いたのは彼だという噂だ」
「ほう、あんな少年が……」
ええい、お前らはワインでも飲んでいろ。気が散る。
俺はディハルト将軍に説明する。
「サフィーデの森林は大事な資源です。もちろん自国での製鉄は必須ですが、狭い国土で木を伐り尽くしてしまう愚は避けねばなりません」
伐るにしても植林とセットでないとな。
「銃そのものの生産技術や工場は確保せねばなりませんが、鉄については輸入も併用しましょう。周辺国から鉄を買っておけば攻め込まれる可能性も下がります」
この世界の王たちは、近代以降に膨大な鉄が必要になることを知らない。だから割とほいほい売ってくれる。安く買えるうちに買ってしまうべきだ。
そうすれば鉄道建設などが始まったとき、周辺国は鉄不足で動きが鈍るだろう。近代化された文明が求める鉄の量は、槍や鎧に使う鉄の量とは比較にならない。
ディハルト将軍はファルファリエ皇女をちらりと見て、それから俺に言う。
「輸入すると外交や戦争の影響を受けやすくなりますが、周辺の鉄を買い集めてしまうというのはひとつの方法ですね。さっそく各部署と検討します。ありがとうございます、ジン殿」
「いえ、お役に立てたのでしたら光栄です」
サフィーデ周辺の国はサフィーデと仲が良い訳ではないが、ベオグランツ帝国をかなりの脅威として感じているようだ。
今はサフィーデとベオグランツは形だけの同盟関係にあるので、うまく交渉すれば鉄を買い集められるだろう。もちろん下手な交渉をすれば逆に売ってもらえないが。
それより今はディハルト将軍のドヤ顔が気になるな。
俺や魔術学院を政治的に利用する気まんまんだ。彼は野心家なので少しの危うさを覚える。
とはいっても、魔術学院存続のためには軍と良好な関係を築かねばならない。
なるほど、ゼファーもこういう感じで苦労してきたんだな。
「ではジン殿、ゼファー学院長によろしくお伝えください」
「はい、必ず。ディハルト将軍のことは学院長も大変信頼しておいでです」
周囲の視線を意識して、わざとらしい会話をする俺たち。軍と魔術学院の親密ぶりをしっかりアピールしておく。
しかし浮世のしがらみは本当に面倒くさいな……。