第87話「ごまかしの達人」
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ファルファリエ皇女の手紙が強奪されたと思われる地点にジロ・カジャを向かわせたが、使い魔からの報告はかなり厳しいものだった。
『えー、はいっ、それでですね』
ジロ・カジャはどう報告したものか迷っている様子だ。
『指定座標で発見したものは開封された封筒、それと人間の死体がひとつです。封筒の蜜蝋に追跡の魔法がかかってますから、マスターが追跡していたものに間違いありません』
『結構。それで死体の方は?』
『ベオグランツ帝国の軽騎兵に見えますね。死因は……おや?』
ジロ・カジャの声が一瞬止まる。
『マスター、これ喉笛を切り裂かれてますね。ええと……背後から口を押さえてナイフで襲ったら、たぶんこんな創傷になると思います』
『勝手な判断は慎めといつも言っているだろう。それを反証するような物証はないか?』
しばらく沈黙が続く。
『見当たりません。死体は短銃と剣で武装していますが、使用された形跡がありません。馬上で奇襲されたら落馬して打撲傷を負うと思うんですけど、それもないです。映像送りますね』
『ああ、頼む』
ジロ・カジャの見立てはよく間違いがあるが、送られてきた映像を見る限り今回は正解のようだ。
俺はマリエに向き直る。
「軍の伝令が山の中で、油断したところを鮮やかに殺されている。しかもここは街道から少し外れた茂みの中だ」
ベオグランツ軍の伝令には受け持ち区間のノルマがあるので、むやみに休憩したりはしないだろう。そもそも休まなくていいように馬と騎手を交代させているのだ。
だとすれば、こんな場所で殺されているのは不自然だ。
『ジロ・カジャ。そこは危険だ。ただちに撤収しろ』
『了解ですっ、マスターっ! あ、ところでこの封筒どうしますか? これぐらいなら収容して持ち帰れそうですけど……』
悪くないな。
俺は封筒を回収するように命じようとして、ふと思い留まる。
『いや待て。封筒に他の魔法がかけられていないか、魔力波を検査しろ』
『えっ、あっ、了解ですっ!…………検査結果出ました。マスターのものとは異なる魔力波を感知。七十二%の確率で封筒のどこかに別の「追跡」の魔法がかけられています』
手紙を奪っておいて封筒だけ残していく利点は乏しい。だとすれば何らかの罠かもしれないと思ったのだが、やはり罠だったようだ。
帝国側に加担している魔術師がいるのはわかっていたので、危ういところで気づけた。
「危なかったわね、ジン」
マリエがホッとしたような声で言うので、俺もうなずく。
「そうだな。こんな物騒な代物は見なかったことにして……いや待て」
俺は敵魔術師の視点で状況を整理し、ジロ・カジャに呼びかけた。
『その手紙を一時回収しろ。近くの帝国軍兵舎まで捨ててきてくれ』
『はぁい……えっ!? えっ!?』
『街道沿いに移動して、騎馬の速度を守れよ。すぐやれ』
『わわ、わかりましたぁっ!』
それから俺はマリエに説明する。
「敵の魔術師は『追跡』の術が使える。そして『追跡』の術の前提条件となる術には『念話』が含まれている。だから敵の魔術師は『念話』が使える」
「まあ、そういうことになるわね。でもそれがどうしたの?」
俺は茶を飲みながらつぶやく。
「敵の魔術師は『念話』が使えるのに、帝国軍は『念話』を採用していない。ということはつまり、魔術師と帝国軍には接点がないか不仲なんだ。だから伝令を殺して手紙を奪うしかなかった」
「少し推論が多い気もするけど、理屈は通っているわね。それで?」
「さらに敵の魔術師はファルファリエ皇女の味方ではない。それに皇帝の味方でもないだろうな。皇帝宛ての手紙を盗んだんだから。そうなると魔術師の立場が見えてくる」
俺は身を乗り出した。
「敵の魔術師は反皇帝派であり、帝国軍内部にも実権を持っていない。だが皇帝直属の密偵たちに手製のハンググライダーを提供している。陰謀の匂いがするな」
「えーと……そうね。何だか複雑そうだけど」
マリエはこういう話に興味がないので、早くも別のことを考え始めているようだ。どうせ自分の研究テーマのことだろう。
魔術師ってのは俺も含めてそういう連中なので仕方ない。
「だからだな、軍の敷地内に封筒を運べば敵の魔術師は誤った判断をする可能性がある。あっちが判断を誤ってくれれば、こっちは楽になる」
「うん、そうね。それでいいと思うわ」
おい、完全に興味を失ってるだろ。返事が上の空だ。
そうだ、ディハルト将軍にも連絡しておくか。この手の諜報戦なら、マリエより彼の方がまともな話し相手になってくれそうだ。
老人は寂しいんだよ。
* * *
【帝国の魔術師】
暗い部屋の片隅で、その魔術師はじっと地図を凝視していた。
帝室が保有する精密地図の一点に、赤い光点が怪しく輝いている。
魔術師の指がその光点に触れる。
「交易都市ファルガオン駐屯地……帝国軍第六師団……六〇三歩兵連隊……」
赤い光点は動きを止めたままだ。かれこれ丸一日になる。
魔術師は沈黙し、椅子から立ち上がる。
魔術師は書棚から本を一冊抜き取り、パラパラとめくる。
「六〇三歩兵連隊長……バルツ・クォン・ライデガー……」
次に別の本を選び出し、またパラパラとめくる。
「ライデガー家……親帝室派……」
魔術師は二冊の本を棚に戻すと、また椅子に座る。地図をじっと見つめ、微動だにしない。
ずいぶん長い時間が過ぎてから、魔術師は呼び鈴を手に取って鳴らす。
ほどなくして入室してきた男に向かって魔術師は言った。
「御報告すべきことができた。取り次ぎを頼む」
* * *
それからしばらく俺は情報収集に専念したが、もちろん何の成果も得られなかった。
「こいつが壊れるまで帝国領をうろつかせておけばよかったんですよ、あるじどの」
タロ・カジャが邪険に言うと、ジロ・カジャがそっぽを向く。
「そんなことして高位の魔術師に見つかったら、ワタシの情報全部引っこ抜かれちゃいますよ? マスターが大変な不利益を被るじゃないですか。やだなーこれだから旧式は」
「心配しなくても、不正な侵入があればボクたちはその時点で機能停止するようにできてるよ。何も引き出せないから」
言い争う使い魔たち。
「お前たち余計な議論をするんじゃない。情報汚染の検査ができんだろうが」
「はぁい」
「すみませーん」
もう少し仲が良くなるように設定してもいいんだが、そうすると使い魔間で勝手に議論を深めて変な成長したりするからな。ちょっと怖い。
「よし、検査完了。タロ・カジャとの基本プログラム一致率は百パーセントだ。ジロ・カジャに情報汚染はない。これで三回目だったかな?」
「そうです、あるじどの」
タロ・カジャがだるそうに答えたので、俺はうなずいた。
「ではこれ以上検査しても無意味だな。これで検査は全て終了だ」
「やったー! じゃあファルファリエ皇女の監視護衛任務に戻りまーすっ!」
「んじゃボクはいつも通り、このへんでだらだらしてますね」
黒猫と白猫の使い魔はそれぞれの持ち場に戻っていった。
どうやら敵の魔術師はジロ・カジャに気づかなかったようだ。気づかれていれば、こんな歩く機密の塊を放っておくはずがない。
特にカジャたちにはセキュリティホールを敢えて残してあり、八賢者クラスの魔術師には弱い。暴走したときに破壊するための安全策だ。
「さて、帝国と魔術師はどう動くかな?」
策士っぽい口調でつぶやいてみたが、情報がないのでさっぱりわからない。
手紙が届いていないことに気づいて帝室が騒ぎ出すかとも思ったが、今のところ動きはなかった。ファルファリエ皇女も何も気づいていないようだ。
「さて、俺はどう動くべきかな?」
また策士っぽい口調でつぶやいてみたが、こちらも全然わからなかった。そもそも俺は策士ではない。昔から門下生随一の考え無しだ。
「さて……腹が減ったな」
若い肉体が栄養を求めている。まだ夕食には早いが、食堂に行って何か食うか。昼飯の残りでも分けてもらおう。
食堂に行くと、いつも通りスピネドールがトッシュに説教していた。
ただ、内容がいつもと違っている。
「マリアム主任教官をマリエと間違えるヤツがあるか」
「いやでもスピ先輩、俺もびっくりしてるんですよ。なんで間違えちゃったのかな?」
間違えてないぞ。
トッシュの観察眼は本質を見抜くから恐ろしいな。本人があまり論理的に物事を考えず、先入観にとらわれないせいだろう。
それはそれとして、こいつは少しまずいぞ。
スピネドールが俺に気づき、トッシュの肩に手を置きながら溜息をついてみせる。
「ジン、聞いてくれ。こいつはバカだ」
「知っている」
「ただのバカじゃないぞ。マリアム主任教官に向かって、いきなり『おい、マリエ』と呼びかけた大バカだ」
ある意味、物凄く賢い気もするな。賢者マリアムの偽装を見抜いたのはトッシュだけだ。褒めてやりたい。
とはいえ「よくぞ見破った」と言う訳にもいかないので、俺は適当にごまかす方向でいく。
「トッシュがマリアム主任教官とマリエを見間違えたのは、おそらく二人の背格好のせいだろう」
「ん?……ああ、言われてみれば確かに似てるな」
似てるも何も本人だからな。骨格まで変えると体への負担が大きすぎるので、マリエはマリアムに戻っても骨格はそのままだ。
俺はそれをうまくこじつける。
「『魔女』マリアムは秘術を使い、体を健康に保っている。老人にありがちな骨や筋肉の衰えがない。遠目には若く見えるだろう」
「なるほど。言われてみれば背筋も伸びているし、足取りもしっかりしているな」
スピネドールがうんうんとうなずき、トッシュの頭を撫でる。
「お前も意外といろいろ観察しているんだな。少し見直したぞ」
「意外って言われたのが意外なんですけど」
いやそこは意外じゃない。