第85話「皇女の密書」
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「何なんだよ、あの婆さんは……」
「あれが伝説の三賢者のひとり、『魔女』マリアムだよ」
「俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな」
二年生たちがぶつくさ言いながら食堂にやってくるのを、俺はニヤニヤ笑いながら見守っていた。
マリエは元の「マリアム」に戻って、二年生たちをしごきまくっている。
あいつは老化を操れるので、必要なときだけ老人の姿に戻れる。さすがに骨格は無理なので肌だけ老化させているそうだが、二年生たちは見事に騙されていた。
「メチャクチャ厳しいよな、マリアム教官」
「あと口が悪い」
「叱り方が怖いんだよ」
そうだよなあ。俺もあいつは怖い。
「でもちゃんと真面目にやってたら褒めてくれるぜ」
「失敗しても怒らないしな」
その辺りは師匠のおかげだ。入門当初はもっとキツい性格だった。それに自分の失敗も他人の失敗も許さなかったな。
俺はマリアムの過去を知らないが、どうも訳ありっぽい雰囲気だったのを覚えている。
もっとも訳ありなのは俺もそうだし、他の弟子たち全員にも共通していたようだ。お互いに過去を詮索しないようにしていたので、その辺りは詳しくない。
二年生たちは疲れた顔でテーブルにつき、昼食をもそもそ食べ始める。
「あの婆さん、卒業まで主任教官なのかな……」
「たぶんな。卒業試験に合格できる気がしねえ」
「あれ絶対に手心加えてくれないぞ。どうすんだよ」
「そりゃお前……」
その二年生は少し考え、それから白パンをちぎる。
「真面目に勉強するしかねえだろ」
良い心がけだ。
タロ・カジャが感心したように、ふんふんとうなずいている。
『あるじどの、人間は情報伝達の方法次第でこれだけの差が生じるんですね』
『使い魔と違って複製や転写をしている訳ではないからな。当人の意欲や問題意識が重要になる』
この学院はなんだかんだ言って名門なので、教官も生徒も上流階級の子弟ばかりだ。一番庶民的なユナのような子でさえ、農園を経営する裕福な家の出身だ。
金持ち喧嘩せずとはよく言ったもので、やはり互いに手心を加える。教官たちも生徒に厳しくして、生徒の実家から睨まれるのは嫌だろう。
しかし『魔女』にはそんな理屈は通じない。
『マリアムの情け容赦なさは、理論と責任感に基づいた揺るぎないものだ。泣き落としなんぞ通用せん。お前も気をつけろ』
するとカジャが首を傾げる。
『ボクにはその「泣き落とし」ってのがよくわからないんですよね……』
『そうか?』
お前自身は気づいてないだろうけど、たまにそれっぽいことをやってるぞ。ジロ・カジャを再起動させたときとか。
『あの調子なら二年生も少しはマシになるだろう。卒業までまだ一年半ほどある』
『だといいんですけど。人間ってなかなかプロトコル更新しないですよね、あるじどの』
言うようになったなあ、お前……。
俺は使い魔の成長を実感しつつも、安全のために一度初期化すべきか迷う。
人間たちの中で暮らすようになったせいで、カジャが急速に成長している。このままだと自我に目覚めて勝手なことを始めるかもしれない。
『しかしここまで育ったものを無にするのも、ちと惜しいな』
『なんですか、あるじどの?』
『いや何でもない』
タロ・カジャはプロトコル厳守で性格設定しているから、もう少し様子を見よう。
ジロ・カジャは問題解決優先の性格設定だから、そうも言っていられないが……。
などと考えていると、そのジロ・カジャが慌てて通信してきた。
『マスターッ! マスターッ!』
『なんだよ白いの、念話で叫ぶなんて無意味なことするなよ。それにあるじどのは食事中だぞ?』
すかさずタロ・カジャが諌める。相変わらず仲が悪いな。
しかしジロ・カジャは慌てまくっており、僚機の制止など全く聞かない。
『たた大変です、マスター! ファルファリエ皇女が手紙を書いてます!』
俺は白パンに切れ込みを入れると、唐辛子を利かせた野菜ソースをたっぷり塗る。
『ようやく書いたか』
『いや、のんびりしてる場合じゃないですよ!? 念話のことも書いてますよ!?』
『先日、情報伝達系の魔術について講義したからな』
俺はスライスしたチーズを白パンに挟む。さらに切り落としのハムを一切れ。
ジロ・カジャは俺の皿の回りを、落ち着かない様子でうろうろ歩き回る。
『どうします? どうします? 手紙に封をしたのを確認してから、インクを操作して文面を改編しますか? それとも手紙を行方不明にしちゃいます?』
『まあ落ち着け』
俺はチーズとハムを挟んだパンをがっつきながら、使い魔の白猫に命令を伝える。
『学院長の権限によって、その手紙の内容は記録することになるだろう。いずれにせよ、手紙の行方は最後まで追跡する。本件の対応は以上だ』
『いいんですかっ!? ほんとにそれでいいんですかっ!?』
ジロ・カジャも使い魔なので、主である俺の命令に逆らうことはできない。しかし不安そうな様子だ。
『あのこれ、情報の漏洩を防ぐ任務だと思ってたんですけど……』
『勝手な解釈をするな。情報は漏れるという前提で全ての計画を進めている。ここはファルファリエに実績を積ませる局面だ』
勅命を帯びて学院に潜入している以上、ファルファリエ皇女は本国に何らかの機密情報をもたらさなければならない。そうでないと彼女の立場や評価が危うくなる。俺はファルファリエ皇女を不幸にするつもりはない。
それにこちらが選択した情報を意図的に与えることで、帝国側の動きをある程度操作するつもりだ。
するとそこにファルファリエ皇女がやってくる。私物らしい封筒を手にしていた。あれが例の手紙か。
そう思って見ていると、なんと彼女は俺の方にまっすぐ向かってきた。
「スバル殿、ちょっといいですか?」
「なんだ」
俺が内心驚きながら返事をすると、ファルファリエ皇女はニコッと笑う。
「この手紙を故郷の叔父様に送りたいのですが、必要な手続きを教えていただけませんか?」
こいつの「叔父様」はベオグランツの皇帝だ。とんでもないことをサラッと言ってきたな。
ふと見ると、手紙は蜜蝋で封印されていた。封印の蜜蝋にはベオグランツ帝室の紋章が入っている。
王侯貴族の封印が入っている文書を勝手に開封した場合、大抵の国では重罪になる。帝国でも同様だろう。サフィーデとしては検閲しづらい。
俺はファルファリエ皇女に情報を与えないため、あくまでも事務的に応じる。
「私信か?」
「はい、そうですよ。どうしますか?」
試すような口調と表情。なかなかに小生意気な感じで悪くない。嘘はついていないので、『偽証』の魔法にも反応はない。
これはなかなかの策士だな。
ファルファリエ皇女は正当な手続きを踏まえているし、嘘も一切ついていない。非は全くない。
これにいちゃもんをつければ、サフィーデ側が悪者になってしまう。
俺は声には出さずにカジャたちに命じる。
『カジャ、学則を表示』
『はいっ、マスター!』
『はぁい、あるじどの』
俺にしか見えない形で、マルデガル魔術学院の学則が空中に表示される。
一応、学院長の権限で手紙の差し止めは可能だな。
だがどちらかといえば、今回は手紙を出させる方にメリットが多い。これは切り札に取っておこう。それに学則は法令や外交協定よりもずっと下位に位置する。根拠としては弱い。
俺はファルファリエ皇女に言った。
「私信は自費だ。衛兵詰所に持っていけ」
するとファルファリエ皇女は少し黙った後、ちょっとつまらなさそうな表情をする。
「止めないんですか?」
「生徒の俺に止める権限があると思っているのか」
俺はパンをもしゃもしゃ頬張りながら、なるべく無造作な口調で説明する。
「衛兵が近くの街まで手紙を運んでくれる。そこからは王立交易商組合の隊商が国境まで運んでくれるだろう。帝国領内は……」
ちらりとファルファリエ皇女を見ると、彼女はうなずく。
「帝国軍の伝令が届けてくれるでしょうね」
ファルファリエ皇女はまだ俺との会話に未練があるのか、ちらちらと俺を見ている。
「中身が気にならないんですか?」
「他人の手紙を盗み見する趣味はないぞ」
魔法は今かけたけどな。
封書の蜜蝋部分に『追跡』の魔法をかけたので、封印の所在地はリアルタイムで確認できる。蜜蝋が破壊された場合や、封筒から剥離した場合、つまり開封されたときにもすぐわかる。
他にもいろいろ魔法をかけることは可能だが、やり過ぎると魔術師に感知される確率が高まる。
帝国側に高位の魔術師が存在していることはほぼ確実だ。
一方、そんなことに気づいていないファルファリエ皇女は面白くなさそうな顔をしている。
「スバル殿は、あくまでもそういう立場なのですね」
「そういう立場だからな」
俺があくまでも一生徒としての立場を貫き、ファルファリエ皇女のことも一生徒として扱っているのが彼女には不満らしい。
他にどうしろって言うんだ。
「ではさっそく衛兵詰所に持っていきますね。ありがとうございました」
「ああ」
きびすを返したファルファリエ皇女の背中を見て、俺はつい声をかけてしまう。
「この学院は君が勉強に専念できるよう、あらゆる政治的外交的な思惑から君を守る覚悟をしている。……と、シュバルディン教官長が言っていた」
すると彼女はちらりと俺を振り返る。
「本当に?」
「こんなことで嘘はつかんさ」
本当に大事なところで嘘をつくつもりだ。
ファルファリエ皇女はわざとらしく溜息をつくと、苦笑してみせた。
「そんなに私に勉強をさせて、この学院は何を企んでおられるのでしょうね?」
「そりゃあいろいろだろ」
俺がククッと笑ってみせると、ファルファリエ皇女は軽く手を振る。
「では手紙が無事に故郷に届くよう、祈っていてくださいね。その方が私も勉強に身が入りますから」
「祈っておこう」
無事に届くように……か。
なんだか妙に不安になってきたぞ……。