第81話「食堂裏の外交問題」
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ベオグランツ帝国皇帝の姪、ファルファリエ皇女。帝位継承権第十二位。
この正真正銘の敵国の皇女様を学院に在籍させるのは、やはり並大抵の苦労ではなかった。
女子寮には俺は入れないので、仕方なくジロ・カジャを呼び出す。
「ファルファリエ皇女の監視をしてくれ。彼女が外部と連絡を取ろうとした場合、彼女に危険が及びそうな場合はすぐに報告しろ。監視と報告以外は禁止する」
「はいはいっ! そういうことでしたらお任せくださいっ!」
返事はいつも頼もしいが、ジロ・カジャは信頼性という点ではだいぶ怪しい。
ただし臨機応変で機敏な対処ができるので、タロ・カジャよりは適任だろう。タロ・カジャは軽口こそ叩くものの、実際は極めて慎重だ。
タロ・カジャは僚機が学院に戻ってきたのが不満らしく、ぶつぶつ言っている。
「あるじどの、あいつが帰ってきたらビアジュ領の監視ができませんよ?」
「今さら監視が必要だとでも思ってるのか?」
「いいえ」
ビアジュ家は一時期ベオグランツ帝国になびいていたが、当主を代替わりさせた今は王室に忠誠を誓っている。今はディハルト将軍の配下として重要な役割を担っていた。
まともな使い魔は二体しか持ってないので、優先度の高いところに回す。
「タロ・カジャは引き続き俺の補佐をしろ。今後、本格的な魔術戦闘が発生するかもしれん。そのときは使い魔の有無が勝敗を決める」
「ベンチマークテストみたいで嫌なんですけど、あれ」
「性能を最大限に発揮するという点では同じだな」
とうとう好き嫌いをはっきり言うようになってきたか。長年使った使い魔はだんだん人間みたいなことを言うようになるので注意が必要だ。
どれだけ人間みたいになったとしても、使い魔は決して人間ではない。
それよりも俺が今一番心配しているのは、帝国側に高位の魔術師がいる可能性だ。少なくとも俺たちの『書庫』にアクセスした魔術師がいる。でなければ実用レベルのハンググライダーなんて作れない。
今後の外交にも影響する問題なので、マリエと相談してみるか。
俺は寮の食堂で昼食を摂りながら、離れた席にいるマリエと『念話』でやり取りする。
『結局、ハンググライダーの資料がどこから流出したかわからずじまいなんだよな』
『私たち三人以外の同門は全員故人だし、となると弟子の誰かでしょうね』
元素術の開祖・リッケンタイン。
精霊術の開祖・レメディア。
古魔術の開祖・ユーゴ。
魔道具の匠・アーティル。
魔力学者・ラルカン。
あとは俺たち三人。
『同門の五人とも、かなりの数の弟子がいたんだよなあ……。弟子のそのまた弟子も大勢いるだろうし』
『アーティルは違うんじゃない? 彼の弟子が作る道具なら魔力を原動力にするはずよ』
『いや、わからんぞ。一般人に使わせるのなら魔力回路を組み込まない方が確実だ』
師匠の作った『書庫』はアクセスも更新もしやすく、使い勝手は最高にいい。反面、セキュリティは利用者の良心に委ねている部分があり、情報の流出が起きても犯人探しが難しかった。
マリエが煮豆をもぐもぐ食べながら気楽に言う。
『それこそあのファルファリエ皇女に聞いてみればいいじゃない。あなたの国に高名な魔術師はいますかって』
『さすがに教えてくれないだろ。そいつが表の役職に就いているとも限らんし』
この件に関して、少なくとも王室は何も情報をつかめていない。ディハルト将軍直属の諜報部も同様らしい。
『ところでファルファリエ皇女はどこだ?』
昼食時なのに食堂にいない。マルデガル城の中には他に飯を出してくれるところはないから、ここに来なければ食事にはありつけない。
するとジロ・カジャから報告があった。
『はいはーいっ! ファルファリエ皇女なら、食堂の裏口付近にいます!』
一国の皇女様がなんでそんな場所に?
そう思っていると、ジロ・カジャが説明する。
『ファルファリエ皇女は現在、残飯置き場を観察していますね!』
なるほどな。前に帝国の密偵たちが潜入したとき、残飯桶に潜り込んで脱出している。
より正確に言えば、密偵の脱出ルートを把握した上で俺が残飯桶に突っ込んだのだが。あいつ今でも元気かな?
学院からの脱出方法を確認しているのか、それとも何かを検証しているのか。
いずれにせよ、やはり彼女は帝国のスパイだ。
『少し釘を刺した方がいいかもしれんな』
するとジロ・カジャがこんなことを言い出した。
『ところでマスター。ナイフで武装した男子生徒が四名、彼女に接近してきたんですけど、これは危険と判断して良いですか?』
『当たり前だ! 報告が遅い!』
俺は椅子を蹴って立ち上がると、事前詠唱しておいた術を開放する。
「疾く!」
全身の瞬発力を強化した俺は、大テーブル三つと食堂カウンターを飛び越えて厨房に侵入する。着地と同時に再ジャンプ。裏口のドアを蹴り開けると、裏庭に飛び出した。
見ればファルファリエ皇女を四人の男子生徒が囲んでいる。見覚えがあるぞ。二年の特待生だ。
最近はおとなしくしてると思ったのに、また何かやらかすつもりか。
「お前たち、何をしている」
俺の声に四人ともビクッとして振り向いた。顔にはっきりと恐怖の色が浮かんでいる。
「あ……」
「ジ、ジン……」
この感じなら手荒なことはしなくても済みそうだな。
俺は彼らの間にずんずん割って入り、背中でファルファリエ皇女をかばいながら二年生たちを睨みつける。
「答えろ。何をしている」
もうそれだけで二年生たちは後ずさりしていたが、逃がす訳にはいかない。事情を把握しないと。
「これは何だ」
「いでででぇ!」
鞘に納めたままのナイフを持っているヤツがいたので、そいつの手首をつかんでひねり上げる。ゼオガ具足術の初歩的な関節技「小手返し」だが、返し方を知らなければ逃げられない。
「これで何をするつもりだったんだ」
「ま、待て! 待ってくれ!」
別の二年生が慌てて叫び、しどろもどろになって弁明する。
「その女は帝国の皇女だろ!? 学院のことを調べに来たに決まってるぞ!」
「そ、そうだ! だから俺たちはこいつを学院から追い出そうとしてたんだ!」
「お前も協力してくれよ!」
もう呆れて声も出ないぞ。
なんなんだお前ら。
俺は情けなくなったが、考えてみればこいつらは上の事情を何も知らない。
それに富裕層の子弟とはいえ、こんな学院に放り込まれる程度の連中だ。
この学院を出ても中堅以下の役人にしかなれないから、大事な跡取りを進学させる貴族や商人はいない。家督継承の余りもの扱いされている子たちだから、政治や外交については何も学んでいないだろう。
しょうがない。
「そんなことはわかっている。学院長も国王陛下も御承知だ」
「ま、まじかよ!?」
「てか、なんでお前そんなことまで知ってるの!?」
学院長とはもう三百年の付き合いだからな。
俺は二年生たちをじろりと睨み、それからつかんでいた手首を離した。二年生はナイフを落とし、その場に尻餅をつく。
彼らに戦意がないことを確認して、俺はこう告げた。
「学院長が許可した以上、ファルファリエ皇女殿下は俺たちの学友だ。殿下にどんな政治的意図があろうが俺たちには関係ない。彼女がここで学ぶ権利を、お前たちが勝手に奪うな」
これ以上ごちゃごちゃ言うつもりなら、お前ら全員残飯桶に叩き込むぞ。
二年生たちは自分たちに正義がないことがやっと理解できたらしく、卑屈な笑みを浮かべながら後ずさりした。
「わ、わかった。もうそいつには手を出さない。約束する」
「もう投げ飛ばされるのは御免だからな……」
「あと、スピネドールには内緒にしててくれ……」
どうやら二年生筆頭のスピネドールにバレると、あいつからも怒られるらしい。あいつも大変だな。
二年生たちが逃げてしまった後、俺は落ちていたナイフを拾う。鞘から抜いてみると、刃の薄い調理用ナイフだ。
「士分の子弟が鎧徹しも持っていないとはな」
こんなヤワな刃物で命のやり取りをするのは、よほどの達人かただの愚か者だ。
これだと骨に当たって刃が曲がってしまったり、刺した刃が筋肉に挟まれて抜けなくなったりするだろう。
一方、鎧徹しの短剣なら刃が分厚くて頑丈だ。突き刺して蹴り込めば柄まで貫き徹せる。
この調理用ナイフはどうせ調理場から失敬してきたものだろう。後でこっそり返却しておくか。
俺はファルファリエ皇女を振り返り、学院生を代表して謝罪する。
「申し訳ない、ファルファリエ殿。さっきのは二年の特待生たちだ。後で学院長に報告しておく」
あいつらは『念話』の修業がうまくいっていないし、素行不良だ。そろそろ行いを改めないと、放校処分も視野に入ってくる。二年担当の教官たちと相談しよう。
ファルファリエ皇女は緊張した表情をしていたが、取り乱す様子もなく落ち着いていた。さすがは皇女様だ。
「ありがとうございます、スバル殿。おかげで助かりました。……でもこれは、学院側の落ち度ですね?」
不意にニヤリと笑うファルファリエ皇女。
ナイフで脅されたばかりだというのに、さっそくこの事件を利用しようとしている。いい胆力と腹黒さだ。気に入ったぞ。それに少し安心した。
俺もニヤリと笑う。
「生徒同士のいざこざを外交問題にするつもりか?」
彼女は俺を脅しているつもりだろうが、学院としての対応は変わらない。皇女だからといって特別扱いはしない。戦争がお望みならまた俺が出るだけだ。
案の定、ファルファリエ皇女は笑いながら首を横に振った。
「まさか。スバル殿の困る顔を見てみたかっただけですよ」
「この程度でいちいち困りゃしねえよ」
いい性格をしたお嬢さんだ。ますます気に入った。
たぶんだいぶ苦労してきたんだろうな。
俺はファルファリエの半生を勝手に想像して気の毒に思いつつ、鞘に納めたままのナイフをくるくる回す。
「それより身辺には気をつけることだな。ベオグランツを敵視するサフィーデ人は多い。あいつらはまだマシな方だ」
学院の外に出れば、ベオグランツの姫君を本気で殺したい連中は山ほどいるはずだ。
「それはそれとして、皇女殿下をお守りした褒美を頂戴しようか」
ファルファリエ皇女はニコッと笑う。
「あら、何がお望み? 手の甲に接吻でもさせてあげましょうか?」
なんだその奇習は。不衛生だろ。
「頼まれても御免だ。それよりも少し聞きたいことがある」