第80話「帝国の銃剣」
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マルデガル魔術学院の一年生として中途入学したファルファリエ皇女は、すぐに一年生たちの人気者になった。
なんせ相手は皇族だ。
しかもサフィーデの王族であることを隠しているスピネドールと違って、こちらは皇女としての存在感を巧みに活用している。
「ベオグランツ帝国はもう、サフィーデと戦争しませんか?」
不安そうな顔で質問をぶつけてきたユナに、ファルファリエ皇女はにっこり微笑む。
「私がサフィーデに留学するよう薦めてくださったのが、他ならぬ皇帝陛下ですから。攻め込むつもりの国に、姪を留学させる人はいないでしょう?」
いや、結構いるぞ。一族の者を手駒としか思っていない王なんて、歴史上にもゴロゴロいる。お前の先祖にも何人かいた。
俺は教室の片隅で腕組みしながら渋い顔をするが、大半の生徒は柔和な皇女様に夢中だ。
「ベオグランツってサフィーデより暖かいんですよね? 雪は降ります?」
「土地によってかなり差はありますけど、それなりに降って積もりますよ。最南端のゼオガ地方はあまり積もりませんけど」
ちらりと俺を見る皇女。何か言いたそうだな。
だが俺は知らん顔をして、カジャのまとめた計算結果を書類に書き写す。
傍目には課題をやっているように見えるだろうが、これは一年生の基礎魔術実験に必要な資料だ。早くまとめないと、カリキュラム担当の教官に怒られる。
一方、ファルファリエ皇女は一年生たちから質問攻めにされていた。
「殿下は魔術師になられるおつもりですか?」
「魔術に興味はありますが、まだ決めていません。あと『殿下』はやめてください。ここでは生徒ですから」
柔らかい口調と穏やかな物腰。
やや失礼とも思える質問に対しても、決して不快そうな態度は見せない。いつも笑顔だ。
マリエはファルファリエ皇女を囲むグループの中に混ざっていたが、守秘回線の『念話』でさりげなく声をかけてくる。
『この子、大したものね』
俺は書類を書きながら雑に返事する。
『まともな王族というのはどこの国でもこんなものだ。無駄に敵を作らず、味方を増やす振る舞いが求められる』
ただ十七歳でこれだけ完璧に振る舞えているのは大したものだ。
『こういう振る舞いは一朝一夕で身につくものじゃない。かなり修練しているな。確かに大したもんだ』
俺が十七歳の頃なんか、浮遊円盤に帆を張って……いや、あの話はもう思い出したくもない。とにかくクソバカ野郎だった。
ただ、ファルファリエ皇女がそれだけ皇女として鍛えられているということは、彼女が帝室のスパイとして優秀であるということでもある。少々厄介だ。
『そういえば、彼女の名前が気になって調べてみたんだが』
『ああ、ファルファリエって珍しい名前よね。サフィーデにはないわ』
『どうやら「銃剣」って意味らしい』
『銃剣って、あの銃の先についてる鉄串みたいなヤツよね?』
『そうだよ』
ベオグランツ語では「ファル」が「鋭い」という意味になる。「ファリエ」は「武力」などを意味する。
『元々は「先鋒」を意味する言葉だったそうだが、最前線の歩兵が持つ銃のそのまた先端についていることから、銃剣を意味するようになったそうだ』
『先鋒と銃剣……』
『今の彼女を表すのにぴったりだな。この子は切れ者だし、今は戦いの最前線にいる』
しかしよくこんな名前つけたな。俺には子はいないが、さすがに娘に銃剣だの先鋒だの命名はしないと思う。
『ベオグランツ人は昔から尚武の精神があって、帝室にはそれが色濃く残っている。女子でも勇ましい名前をつけることが割とあるそうだが』
『親の顔が見てみたいわね』
『皇太子だった父親は病死しているし、母親もどこで何をしているか情報がない』
マリエは『念話』を使いながら談笑の輪にうまく加わっていたが、ファルファリエ皇女を見て少し気の毒そうな表情をする。
『かわいそうな皇女様ね』
『俺も似たような境遇だったから同情はするがな』
とはいえ、この子は明確に敵なんだよな……。しかも極めて厄介なタイプの敵だ。身分の高いスパイだから、排除することが難しい。
俺が腕組みしながら悩んでいると、ファルファリエ皇女の声が聞こえてきた。
「それで、この学院で最も魔法に長けておられる生徒はどなたでしょうか?」
「あー、それはもう絶対にジンさんですよ」
ユナが即答し、他の一般生女子たちもうなずく。
「そうだよね。先生たちより凄いもん」
「うんうん、学院長先生の愛弟子だって噂があるし」
「あれ、教官長の弟子じゃなかったっけ?」
どっちも違う。
しかしファルファリエ皇女は明らかに興味を持った様子で、質問を重ねてくる。
「どれぐらいお上手なんですか?」
「破壊魔法なら火縄銃なんかより圧倒的に速くて強いですよ。丸太ぐらいなら一撃で黒焦げにしちゃいますから」
「そうそう、あだ名が『雷帝』だもんね。稲妻が凄いんです」
みんなが勝手なことを言っているが、訂正しに行くと逆にややこしくなるので俺は聞こえないふりをしておく。
すると彼女たちはさらにどうでもいい方向に話を発展させ始めた。
「でもファルファリエ様、ジン君が凄いのは魔法だけじゃないんですよ?」
「まあ、そうなのですか?」
明らかに邪な意図を持ってファルファリエ皇女が食いつくが、一般生たちは気づいていない。
「魔法以外の学問にも詳しくて、とっても物知りなんです」
「それに戦の指揮もできるんですよ。軍事演習でも、ジン君が指揮したら必ず勝ちますし」
「サフィーデの誇る名将、ディハルト将軍にも勝ったって聞いてますよ」
俺のことならよく知っているので、ちょうどいい話題が見つかったとばかりに彼女たちは次々に発言する。
そしてこれ幸いと根掘り葉掘り問いただすファルファリエ皇女。
「ジン殿は凄いのですね。もしかして高名な武門の御出身ですか?」
しかし女子生徒たちは顔を見合わせ、困ったような顔をする。
「え? あー……どうでしょう」
「私たちもよく知らないんです」
もともとこの学院では生徒の出身についてあれこれ言わないことになっており、俺たちの身分や出身地は公表されていない。本人が黙っていれば誰にもわからないだろう。
俺は当初から潜入調査のつもりで入学しているから、俺の素性はほとんど明かしていない。思わぬところで役に立ったな。
ファルファリエ皇女は一瞬残念そうな顔をしたが、さすがに本人に断りなくあれこれ詮索するほど不躾ではなかった。すぐににっこり微笑む。
「ここは身分や出身地を問わず、学ぶ者を受け入れてくれる学びの園ですものね。こんなことを質問してしまった自分を恥じます」
そんな態度がまた女子生徒たちの心を捕らえたらしい。
「そ、そんなことはないですよ!」
「そうです、だいたいジン君が何も教えてくれないのが悪いんですから!」
なんで俺が悪者なんだ。
俺が顔をしかめると、マリエがさりげなく俺を促す。
『逃げた方がいいわよ?』
『うん?』
『この子たち、皇女殿下のためならあなたの過去を探るぐらい平気でやりそうだから』
確かにやりかねない。十代の子供の探究心と行動力は侮れないからな。
『図書室にでも行くか……』
俺は立ち上がると、そそくさと教室を出る。
「あれ? ジン君どこ?」
「ああ、ジンならさっき出てったぜ。それより俺もファルファリエ様とお話し……」
トッシュの発言が途中で遮られる。
「いいからほら、ジン君探すの手伝ってよ」
「なんで俺が!?」
「だってトッシュ君って、ジン君の親友なんでしょ? どこにいるか見当がつくよね?」
「えーっ!?」
歳の離れた友よ、悪いがお前に見つかる訳にはいかんのだ。
しかしあの皇女殿下、どうやら俺の素性を探ることも目的にしているようだな。隠し事は苦手だから、彼女の帰国まで逃げ切れる気がしないぞ……。