第79話「皇女ファルファリエの動揺」
079
* * *
【皇女ファルファリエの動揺】
(なんて男なの……)
私は目の前のサフィーデ人の男性に、少なくない恐怖を感じていた。
彼の名前は、スバル・ジン。
姓の方が前に来る、ゼオガ式の名前だ。響きにもゼオガ族の雰囲気がある。
ベオグランツ南端に位置するゼオガ地方。私たちの偉大なる祖先たちが征服した土地だ。なぜそんな土地の名前を名乗っているのか。
考えられるのはやはり、帝国に対する何らかの揺さぶりだろう。ゼオガ人たちはもう歴史に消え去って久しいが、征服の際に極めて激しく抵抗したことが知られている。
ベオグランツと戦う者として、この名前を名乗っているのだろう。
そしてその大層な名前に見合うだけの力を、この男は持っている。
皇帝陛下の話では、この男の魔法でベオグランツ軍の一個師団が壊滅したらしい。
生存者がいないので何が起きたのかはわからないが、後方の輜重隊が凄まじい落雷を確認している。「鉄錆平原全体を覆い尽くすような、信じられないほどの稲妻の爆発」だったという。
つまり彼がもし私を殺す気になれば、いつでも簡単にできるということだ。私にはそれを防ぐすべがない。私は猛獣の檻に閉じ込められているのと大差ないのだ。
そう思うと背筋がゾワゾワしてくる。
だがもちろん、スバル・ジンがそんなことをしないだろうというのもわかっている。そんなことをすれば帝国との同盟は破棄され、また戦争に逆戻りだ。
サフィーデは我が国との戦争を嫌がっている。5年間の期限つき同盟を結んだのは、サフィーデに猶予が欲しいからだろう。
私の役目は、「サフィーデがどうして5年間の休戦を望んでいるのか」を探ること。
その理由はおそらく、マルデガル魔術学院にあるだろうというのが陛下や宰相たちの推測だった。
そのために、私は送り込まれたのだ。
出会う前、スバル・ジンのことを優秀だが冷酷な男だろうと思っていた。戦場で数千の兵を皆殺しにした魔術師など聞いたこともない。
しかし実際に会ってみると、どうもそういうわかりやすい人物像ではくくれないような気がしてきた。底が知れないのだ。
優秀……なのはなんとなくわかるが、才知をひけらかす感じではなさそうだ。よくわからない。
冷酷には見えない。人間味は感じられる。
だが一方で、数千の帝国兵を殺したことを淡々と受け止めているようだった。武功として誇るでもなく、かといって罪悪感に苦しんでいるようでもない。
この男はいったい何者なのだろう?
会って少し会話をした程度では、何もわからなかった。
これはやはり、学院に在学してもっと深く交流する必要がありそうだ。数ヶ月、いや数年かかるかもしれない。
正直なところ、金品や地位をちらつかせて帝国側に引き抜けないかとも思っていたが、今はとてもそんな雰囲気ではない。下手な交渉をもちかけると黒焦げにされそうな気さえする。正直に言って恐ろしい。
(焦りは禁物ですよ、ファルファリエ。時間ならたっぷりあるのですからね)
私は自分にそう言い聞かせ、焦燥感と不安を和らげる。ここは敵地、判断を誤れば即座に自滅だ。
臆病なほど慎重に、そしてどこまでも狡猾に。
それが私に求められていることなのだから。
* * *
俺は王室が用意した馬車に揺られながら、マリエと念話を交わしていた。
『会話記録は以上だ』
『恐ろしい子供ね。さすがは大帝国の皇女様、というべきかしら』
マリエは俺の隣に座っているが、対面にトッシュとスピネドールが座っているので守秘回線での会話だ。
ファルファリエ皇女とナーシアたちは、もう一台の馬車に乗っている。そちらの会話はタロ・カジャが盗み聞きしているが、それほど意味のある内容ではなさそうだった。
マリエは馬車の窓を眺めながら、こう返す。
『心拍や血圧の記録は取ってる?』
『初対面の相手のときは必ず取るよう、カジャたちに命じている。ちょっと待て』
俺は記録を漁る。いろいろ記録を取らせているせいで、未整理情報の海に埋もれている。
『おや?』
俺は思わず首を傾げた。
『心拍も血圧も平常時のそれではなさそうだな。意外にも緊張しているようだ』
するとマリエは窓に向かって溜息をつく。
『緊張しないはずがないでしょう。相手は数千の自国兵を皆殺しにした謎の魔術師なのよ? たった17歳の子供なら恐ろしくて仕方がないのが普通だわ』
『それもそうか』
俺はベオグランツ人にとって忌むべき宿敵だからな。
ベオグランツに対する恨みを全て捨てた後に宿敵になってしまうというのも皮肉な話だ。
とはいえ全ては俺が自ら選んだ道だ。受け入れるしかないし、後悔しても意味がない。せいぜいしっかり恨まれておくとしよう。
マリエは言葉を続ける。
『ファルファリエ皇女があなたに対して嘘をつかなかったのも、半分ぐらいは恐怖心でしょうね。嘘を見破られてあなたを敵に回すことを考えて、正直に話すことを選んだのよ』
その可能性は確かにありそうだ。
『そう考えると、まだ十代の子供にかわいそうなことをしてしまった。次からはもう少し優しくしてやろう』
『それがいいわね』
俺たちはそこでしばらく黙り込み、それから俺は愚痴をもらす。
『ファルファリエ皇女は明確に敵ではあるが、かといってあまり手厳しくもできんな』
『敵である前に子供だものね。まあ、世間では17といえば一応一人前だけど』
サフィーデでもベオグランツでも、十代半ばで成人とされる。
庶民では十歳になる前に奉公に出され、職人や商人の見習いとして働かされることも多い。
だが何百年も生きてきた俺たちにとっては、五十でもまだ溌剌とした若造だ。十代など、ほんの子供でしかない。
『良き留学となるよう、力を尽くすとしよう』
『わかってると思うけど、あの子は敵よ?』
マリエが釘を刺してくるが、俺は取り合うつもりはなかった。
『学問の世界に敵も味方もない』
マリエは窓の外を眺めたまま、深々と溜息をつく。
『あなたのそういうとこ、本当に師匠そっくりだわ』
『それが自慢でな』
我が師の志を受け継ぐのは俺だ。
そして俺は師の志を受け継ぐために、国家レベルの難題を背負い込むことになる。
マルデガル魔術学院に戻ると、俺は即座に教官全員を集めた教官会議を開くことになった。
会議室に入った俺を教官たちが見つめている。俺の外見は十七の小僧なので、これじゃまるで呼び出しをくらった学生だ。
だが俺は軽く挙手して彼らの視線に応じ、そのまま上座の教官長席に座る。
「シュバルディン教官長」
教官の一人がすぐさま口を開いた。カリキュラムの制作を担当している教官だ。
「ファルファリエ皇女に正規の講義をさせるというのは本当ですか!?」
「告知した通りだ。彼女には当学院の通常の教育課程を修めさせ、余すところなく知識と技術を授ける」
俺はそう言って、彼らが一番懸念しているであろうことにも触れる。
「無論、『念話』の術も教える」
さすがにこれは教官たちがざわめいた。
「そんな!?」
「あの術は軍事機密ですよ!」
俺は教官たちの動揺を片手で制した。
「落ち着きなさい。これは国王陛下とディハルト将軍の承認を得ている。詳しく説明しよう。ただしここから先は最重要機密となる。漏洩防止のため、諸君には『誓約』の術をかけさせてもらう」
俺の言葉と同時にマリエがスッと現れ、教官たちに向かって手をかざす。事前詠唱しておいたので、発動は一瞬だ。
「秘を秘するために、汝らの魂に錠を」
あの複雑な術を全員まとめてかけられるのか。さすがは「魔女マリアム」、大したものだな。
術が完全にかかったのを確認し、俺は説明を続ける。
「軍事機密というものは大抵、いずれは敵側に漏洩するものだ。敵はそれを得ようと必死になるからな。従ってここで隠蔽しても帝国は『念話』の技術に気づく」
デギオン公の反乱のときも、王室の対応は極めて迅速かつ正確だった。替え馬や狼煙などの旧時代の高速通信では説明がつかない。
帝国の連中がよほどのバカ揃いでない限り、反乱鎮圧に新技術が使われたと考えるだろう。
ではどんな技術が使われたのか? マルデガル魔術学院が存在する以上、帝国は魔法による高速通信ではないかと推論するはずだ。
だからこそ、皇女を留学生として送り込んできた。
俺はそう説明し、さらに言う。
「だからこそ、ここで変に隠蔽すれば余計な厄介事を背負い込むことになるだろう。当学院はファルファリエ皇女を特別扱いしないと言った。であれば、講義の内容も特別扱いはできん」
「しかし教官長……」
「まあ待て。ここまでは教育の話だが、ここからが軍事の話になる」
俺はそう言い、会議室の防諜が完璧かどうか改めて確認する。大丈夫そうだな。
「ファルファリエ皇女に『念話』の術を教えれば、帝国側はサフィーデ軍の強さの謎が解けたと思うだろう。そして帝国軍にも導入を試みる」
「一大事じゃないの」
マリエがぼそっと言うので、俺は手をひらひら振って黙らせる。
「だが技術は常に進歩するし、対抗策も用意される。実は今教えられている『念話』は、完全なものではない」
その言葉に教官たちがざわめく。
彼らが落ち着くのを待ち、俺は説明を続けた。
「現在の『念話』は、通信距離がまだ短い。さらに敵方にも簡単に傍受できるし、通信妨害も容易だ。従って帝国側が『念話』を導入した場合、彼らの通信は我々に筒抜けになる」
「なんと……」
「もちろん、こちらの通信は傍受されないように隠蔽する。囮の通信で偽の情報を掴ませることも、暗号通信で解読不能にすることもできる。こちらはまだ何十枚もの切り札を持っているのだ」
だからむしろ、帝国軍が『念話』を使ってくれた方がありがたいぐらいだ。情報収集が簡単になる。
「この切り札は有限だ。今から何十年もかけて少しずつ切り崩していき、その間にまた次の切り札を用意する。少なくとも百年、サフィーデが通信において圧倒的な優位を保てるようにな」
ここにいる教官たちは百年後まで存命していることはないだろうが、俺とマリエはたぶん生きているだろうからな。遥か先まで責任を果たさねばならない。
「通信技術は軍事だけでなく、外交や経済にも大きな影響を及ぼす。この戦いは決して負けられん。諸君の力を貸してくれ。頼む」
俺がそう言って彼らに頭を下げたので、教官たちも納得したようだ。皆、真剣な表情でうなずいている。
と、そこで一人の教官がおずおずと挙手した。
「あの、シュバルディン様。さっきの『誓約』の魔法について質問してもよろしいでしょうか?」
「構わんよ。何なりと」
「その……もし機密を漏らそうとしたら、どうなってしまうんですか?」
教官たちが不安そうな顔をしているので、俺はうなずく。
「教えてあげよう。もし諸君が機密を漏らそうとした場合、たちどころに耐えがたい……」
皆がゴクリと固唾を呑み、俺は厳かに事実を伝えた。
「笑いが生じる」
「……笑い?」
きょとんとする一同に、俺はニヤリと笑いかける。
「しばらくは大爆笑で、とても会話はできないだろうな。腹がよじれるほど笑えるぞ。学術的な探究心が湧いてきたのなら、ここで試してみるかね?」
その後、会議室が爆笑に包まれたことは言うまでもない。




