第78話「腹黒い正直者たち」
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帝国からの留学生、ファルファリエ皇女にはやはり裏がありそうだ。
どうにかして彼女の真意を知りたいが、「偽証」の術では限界がある。この術は人間の「騙そうとする意志」にしか反応しないからだ。
『ねえシュバルディン、どうやって皇女様の尻尾をつかむつもりなの?』
マリエが念話で質問してきたので、俺はファルファリエを横目に見ながらそっと答える。
今はビアジュ家による皇女歓迎の祝宴中だ。彼女はトッシュたちに囲まれて、かなり打ち解けた様子で談笑していた。
『少なくとも魔術に頼る限り、穏当な手段ではつかめそうにもないな』
『そうね。心の中まで覗き見しようとすれば、拘束する必要があるものね』
いくら水面下で敵対しているとはいえ、相手は一国の皇女様だ。先日の密偵たちのような「尋問」はできないだろう。そもそも子供相手に酷いことはできない。
『どうせしばらく居座る気だろうし、ぼちぼちやるかな……』
『あなたって本当に子供には甘いのね』
『子供に甘い大賢者に助けられたからな。俺が子供に優しくしないと師匠が落胆するだろう』
たとえ敵だとしても、子供に危害は加えられない。
マリエがぽつりと言う。
『師匠があなたに破壊魔法の秘儀を授けた理由がよくわかるわ。私に授けなかった理由もね』
お前は必要なときは躊躇なく撃つからな……。
そんなことを念話でこっそり話していると、ファルファリエ皇女がこちらを向いた。
「ジン卿、よろしいですか?」
彼女の笑顔が少し重苦しく感じられた俺は、ついつい冷たい態度を取ってしまう。
「初対面ですので姓で呼んで頂けますか。姓はスバルです」
「ゼオガ式ですのね。大変失礼致しました。ではスバル卿」
にっこり笑うファルファリエ皇女。
この感じ、最初から知っていたように思える。「偽証」の術には反応がないが、騙すつもりではなく確認するつもりの発言にはあまり反応しない。発言者の認識次第だからだ。
魔術がもたらす情報がこんなにも頼りなく感じられるのは久しぶりだな。
ファルファリエ皇女は俺に近づいてきた。
「スバル卿がマルデガル魔術学院の特待生首席ですね?」
「1年生の特待生首席です。2年の首席はあっちのスピネドールですよ」
不気味なぐらい穏やかに微笑んでいるスピネドールを見る俺。もともとあいつは態度の割に面倒見の良い少年だが、すっかりファルファリエに共感しているな。
ファルファリエ皇女は軽くうなずく。
「でも鉄錆平原で活躍なさったのは、あなたなのでしょう?」
その話は生徒たちには秘密なので、俺は少し困る。
学院に来てからは隠し事だらけで、誰に何を秘密にしているのか、俺自身でも把握できていないところがあった。使い魔たちに聞かないとわからないときがある。
隠し事は苦手な性分だ。俺もゼファーたちと同じで研究者気質だから、情報は広めるものだと思っている。
するとファルファリエ皇女は何かを察したようだ。
「あら……?」
いかんな。先に弱みを握られたかもしれない。俺が帝国兵を皆殺しにした以上、会話の流れでこうなることは予測しておくべきだった。また失敗だ。
するとファルファリエ皇女は含みのある笑みを浮かべ、こう言う。
「スバル卿、テラスでお話しません?」
「おいジンのやつ、皇女様に気に入られてるぞ! ズルいたたた!?」
トッシュが軽薄に叫んだ瞬間、すかさずアジュラの拳で頭をぐりぐりされる。
「だからそういうとこ改めなさいよね!」
「なんで!? 痛い痛い頭が割れる!?」
俺は呆れつつも、トッシュの気配りに感謝する。
ああやって騒いでくれれば、俺たちが席を移す理由になる。……いや、たぶんそこまで論理的には考えていないだろうが、とにかくあいつは「こういうときはこう振舞えばいい」というのを直感的に知っている。
俺は年の離れた友人に感謝しつつ、ファルファリエ皇女と共にテラスに出る。
「良い国ですね」
皇女がそんなことを言ったので、俺は社交辞令を返す。
「ベオグランツも同じぐらい良い国ですよ」
すると予想通り、彼女は素早く食いついてきた。
「あら? 我が国にいらした経験がおありなのですか?」
反応が読みやすいのは助かる。俺は微笑みを浮かべてうなずいた。
「はい。何事も実際に見て学ばねばわかりませんから」
こいつは師匠の受け売りだ。
さて、ここからどう話を運ぼうか。
ファルファリエ皇女は俺をじっと見つめる。
「では実際にベオグランツの人々を見て、何を感じましたか?」
「おそらく殿下が今、考えておられるのと同じことでしょう」
俺ははぐらかしてみたが、ファルファリエ皇女は重ねて問う。
「あなたという人のことを、もっと詳しく知りたいのです。何を感じたのか教えてください」
その言葉に嘘がないことはわかったので、俺は正直に教えてやる。
「何も変わらないな、と」
さすがにこれだけでは説明にならないので、俺はもう少し続ける。
「ベオグランツ人もサフィーデ人も、寝て起きて働き、旨いものを食えば喜び、同じ病に罹ります。家族や友人を愛し、共同体の中では誠実です。何も変わりません」
「そうですね。……確かにそうです」
ファルファリエ皇女は自分の中で何かを確かめるように、そうつぶやいた。
そしてこんなことを訊いてくる。
「ではサフィーデ人と何も変わらないベオグランツ人を、あなたは何千人も殺したことになりますね?」
やはりファルファリエ皇女は、俺とベオグランツ軍との戦いについてかなり深いところまで知っているようだ。
たった一人の魔術師に数千の兵が全滅させられた事実は、帝国にとっては不都合な秘密のはずだ。
軍人でも政治家でもないファルファリエ皇女がそれを知っているのは、誰かが伝えたからだろう。
もちろん、何の理由もなく伝えるはずがない。彼女にそれだけの役目を背負わせるために、敢えて伝えたのだ。俺はそう判断する。
それはそれとして、質問には答えなくては。
俺は駆け引きをいったん捨てて、素直に答える。
「そうです。ただ彼らがここにいる人々と唯一違ったのは、彼らが戦うために戦場に来たという点です。それゆえ戦場の流儀にて討ち果たしました。それだけです」
「それだけ、ですか」
問い詰めるようなファルファリエ皇女の視線に、俺は真顔でうなずく。
「無論、引き返すように警告はしました。生き残る機会は何度も与えましたが、彼らはあくまでも戦うつもりでした。その意志を尊重し、殺しました」
それから俺は少し怒りを込めて言う。
「俺は彼らに警告を与えて、事前に何度か撃退していました。戦っても勝てないことぐらい、わかっていたはずです。それでもなお戦うように命じたのはあなたがた帝室でしょう」
無駄死にするのがわかりきっている戦場に送り込んでおいて、今さら慰霊も何もないだろう。
さすがにそれは言わなかったが、不本意な大量虐殺をやってしまった俺としては腹立たしくて仕方ない。
ファルファリエ皇女は真顔で俺の視線を受け止めていたが、やがて大きく「ふうっ」と溜息をついた。
「仰るとおりです。返す言葉もありません」
それから彼女は少し長い沈黙の後、こう言った。
「スバル卿、あなたという御方を誤解していたようです。あなたは……なんと評すれば良いのかわかりませんが、少なくとも私が思っていたような方ではありませんでした。その点をお詫びいたします」
どういう風に思われてたんだろう。少し気になったが、そこをほじくり返すのも悪いので無言でうなずいておく。
ファルファリエ皇女はさらに言う。
「あなたが本当の気持ちを話してくれなければ、あるいは人として見るべきものがなければ、私はこのまま帰国することも考えていました」
「それは一大事ですな」
「はい。そうすれば外交問題にできますよね?」
ファルファリエ皇女は意地の悪い微笑みを浮かべる。初めて見る表情だった。
そして今までとは違う、性格の悪そうな口調。
俺はその表情を見て、敬語を使うのをやめる。
「確かに殿下が騒ぎ立てれば、受け入れ側の俺たちは困る。護衛も侍女も返してしまって単身の皇女殿下を、俺たちが冷遇でもしたのかと思われるだろう」
軍事力でも経済力でも外交力でも、あらゆる面でベオグランツ帝国の方が圧倒的に強い。
周囲を山脈で囲まれて陸の孤島になっているサフィーデと違い、ベオグランツは周辺国と積極的に外交をしている。もちろん戦争もしているが、戦争は外交の一手段だ。
「殿下の役目は、サフィーデの内情を探ること。あるいはサフィーデに外交上の大失態を演じさせること。そんなところかな?」
「ご想像にお任せしましょう」
またもや意地悪そうな微笑みで返されるが、会話の流れを考えれば事実上の肯定だ。
「私があれこれ取り繕っても、なぜかあなたには通じない気がします。ですがそれは少々悔しいですから、できる限り意地悪させていただきますね」
「あの、殿下?」
「ああ、敬語は必要ありませんよ。今の会話の方が心地よいですから」
そして皇女殿下はまた、「ふふっ」と笑った。
やはり、とても意地悪そうな微笑みだった。
そして驚くべきことにこの会話の間、「偽証」の術はただの一度も反応しなかった。つまり彼女に俺を騙す意図は全くなかった、ということになる。信じられない話だが、魔法は嘘をつかない。
これは一筋縄ではいかない気がしてきたな……。