第77話「皇女ファルファリエ」
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ベオグランツ帝国から来る姫君を留学生として出迎えるために、総勢6名の出迎え使節が編成された。
反乱鎮圧の功績で騎士待遇を受けている俺とマリエ、トッシュ、アジュラ、スピネドール。
それと異国のミレンデから来ている留学生として、ナーシア。
これに護衛の衛兵隊が10人ほどくっついてくる。普段はマルデガル魔術学院で来訪者の応対をしたり、麓の村まで資材を調達しに行ったりしている地元出身の兵士たちだ。
気さくで親切だし規律もしっかりしているが、それほど強そうには見えない。もしかすると歴戦の猛者がいるのかもしれないが、物腰からは判別できなかった。
不安だ。
しかもこんな会話をしている。
「ほらみろ、やっぱり君の部下になっただろ?」
にこにこ笑っているのは、入学時に正門で受付をしてくれた中年の衛兵だ。普段とは違い、今日はちゃんと鉄兜と鎖帷子を着用している。
他の衛兵たちも矛槍や火縄銃を担いで、のんびりと歩いていた。
「いやあ、いい日和になったな」
「こんなときでもないと旅行なんかできないからな」
「留守隊に土産を買っていってやらんと」
「いかんいかん、薪の補充を引き継ぎするのを忘れとった」
緊張感が全くない……。
ただガチガチに緊張されてもいざというときに困るので、むしろこれぐらいでいいのだろうと考え直す。
道中で山賊などの襲撃を避けるには、こちらが武装した集団であることが何よりも大事なのだ。それさえ満たしていれば敵は襲撃を躊躇してくれるので、実際の戦闘力は何でもいい。
俺は念話でユナに呼びかける。
『ユナ、衛兵隊が薪の補充を忘れているそうだ。悪いが暇なときにでも衛兵詰め所に一報入れてくれないか?』
『じゃあこれから行きますね。ふふふ』
なんで楽しそうなんだよ。
ユナの魔力では国境地帯まで念話を飛ばせないが、ゼファーが実験用の魔力波増幅器を持っている。あれを貸してもらえば問題ないだろう。
『16人だと結構な大所帯ですね。泊まるところとか大丈夫そうですか?』
『宿の手配は王室がやってくれたから大丈夫だと思うが、日程に遅れが出ないか不安だな』
集団での移動は一番遅い者に合わせなくてはいけないので、人数が増えるとどんどん遅くなる。予定外の遅延も生じやすい。
幸い、街道筋に領地を持つリープラント卿が便宜を図ってくれたので、宿の手配や関所の通行もスムーズだった。流通を収入源にしているリープラント家は人脈が広い。
歩きながらナーシアが言う。
「以前に一度、徒歩での移動を実験してみて正解だったね。今度は野宿じゃないけど」
「確かに前回の予行演習は役に立ったな」
どこで何が役に立つかわからんものだ。
そうこうするうちに無事に国境地帯の旧ビアジュ領・シュナン村に到着する。ここは学院の荘園だ。
「ジン殿、お久しぶりですね。皇女殿下はまだ御到着ではないですよ」
ビアジュ家当主ギュレーが出迎えてくれる。相変わらずの好青年ぶりだ。
俺は彼に挨拶を返しつつ、疑問をぶつける。
「お久しぶりです。皇女殿下の一行に何か問題でもありましたか?」
「いえ、そうではありませんよ」
ギュレーは笑顔で首を横に振る。
「鉄錆平原で戦没者への慰霊の儀を執り行うそうで、1日遅れるとのことでした」
「聞いてませんが……」
俺は困惑するしかない。
するとスピネドールが眉間にしわを寄せる。
「おおかた、姫君特有の気まぐれだろう。皇女だの王女だのは気まぐれな者が多い。……本当に多い」
なんで2回言ったんだ。
こいつもれっきとした王子だし、もしかすると王族にしかわからない苦労でもあるのかもしれない。
トッシュが頭の後ろで手を組みながら笑う。
「まあまあ、いいじゃん。皇女様にしてみりゃ、自分の国の兵士が大勢死んだ場所なんだろ? そりゃ弔いのひとつもしたくなるって」
「それもそうね」
マリエが平然とうなずく。いい度胸してるな。
だが俺はそのとき、ふと気づく。
「もしかして、その慰霊の儀は当初から予定されていたんじゃありませんか? サフィーデを刺激しないよう、非公式で突発的なものを装っただけでは?」
「どうでしょうね……」
さすがにギュレーにもそれはわからないらしく、首を傾げていた。
結局何もわからないまま、俺たちは数日待つことになる。俺たちは出迎え側だから早めに着くよう予定を組んでいたのだが、余計に待たされた格好だ。
そしてやっとファルファリエ皇女殿下がお越しになった。
彼女は重騎兵三十騎と戦列歩兵百人を従えて現れた。
『すげえな、まるで戦争だ』
トッシュが念話でささやいたので、俺も念話で返す。
『聞かれているかもしれんから、例え念話でも不用意な発言は控えた方がいいぞ』
『あいつら念話使えないだろ?』
『有用な技術はいずれ必ず敵方にも渡る。敵がそれを貪欲に求めるからだ』
『そっか……でもあれ、だいぶ威圧的だろ?』
『それは俺もそう思う』
道中の警護や皇女としての格式を考えれば、やはりこれぐらいは必要だろう。山賊相手には過剰な戦力だが、万が一にも皇女に危険があってはいけない。
それにサフィーデの貴族が皇女暗殺を企てた場合、百人規模の護衛でも心許ない。
俺がみんなにそんな説明をすると、スピネドールが静かに答えた。
『確かにそうだな。この国は先日、大規模な反乱が起きたばかりだ。悔しいが文句も言えん』
ベオグランツ側にしてみればそうなるだろうな。デギオン公を焚き付けたのはベオグランツだが。
やがてファルファリエ皇女が豪華な帝室専用馬車から降りてくる。トッシュたちと同年代で、金色の巻き毛が印象的な少女だ。
『うわ……奇麗……』
『いいなあ金髪……』
ナーシアが羨ましそうに念話でつぶやき、アジュラが溜息をついた。
こちら側で唯一金髪を持つスピネドールが不満そうに言う。
『金髪なんていいことない……おい、今俺の髪を触ったのは誰だ?』
『俺ですけど』
『何でだ、トッシュ』
『いや、金髪ってどんな感じかなって思って』
愛されているようで何よりです。
ファルファリエ皇女は近衛の騎士たちと侍女たちを従え、こちらに歩み寄ってくる。
俺たちは無言で一礼し、彼女の言葉を待った。サフィーデでもベオグランツでも、発言権は常に上位者にあるからだ。
「はじめまして。ファルファリエと申します。マルデガル魔術学院の方々とお見受けしますが、間違いありませんか?」
奇麗な発音のサフィーデ語だった。よく練習しているな。
俺は学院生を代表して返答する。
「はい、マルデガル魔術学院の生徒代表です。ファルファリエ皇女殿下と共に学びたく思い、お迎えに参上しました」
「ありがとうございます」
柔らかな口調と表情。訓練されたものなのか、それともこれが素の性格なのか。俺にもまだ判断がつかない。「偽証」の術にも反応がないしな。
とはいえこれだけ政治的な役割を背負って来ている以上、前者だと思って相手した方がいいだろう。
しかし彼女は皆の予想を超える様々な振る舞いによって、すぐに一行と打ち解けた。
まずファルファリエ皇女は護衛と侍女たちを全員帰国させた。本当に単身になってしまった。
これにはサフィーデ側の全員が驚いた。
「よろしいのですか?」
ギュレーがさすがに心配して問うが、ファルファリエ皇女は笑顔で応じる。
「私はマルデガル魔術学院の生徒として来ているのですから、護衛や侍女は不要です。特別扱いはしないというのが、シュバルディン教官長からのお言葉でしたし」
確かに言ったけど。
その後の彼女の態度も、非常に好感の持てるものだった。
「鉄錆平原に眠るベオグランツ将兵に献花したくて、予定よりも到着が遅れてしまって申し訳ありませんでした。サフィーデの方々にとっては憎むべき侵略者なのだと思いますが、私にとっては祖国に忠誠を尽くした大切な臣民ですから」
そんなことを言われてしまうと、さすがにサフィーデの人々も悪くは言えない。
スピネドールが真摯な態度でこう応じる。
「それを詫びる必要など微塵もないぞ、ファルファリエ殿下。民を思う殿下の気持ちを非難する者がいれば、俺たちが殿下を弁護しよう」
お前、会う前の警戒心はどこに行ったんだ。
同じ王族ということで共感する部分でもあったのか、スピネドールはファルファリエに対してとても親切だ。
トッシュもうんうんうなずいている。
「そうだよな-。弔いってのは大事だよな。自分の国のお姫様が素通りしたら、死んだ帝国兵も寂しいしな。もちろん生きてる帝国兵も寂しいと思うもんな」
ファルファリエ皇女の行った慰霊は、生存している将兵の士気や忠誠心にも影響する。
トッシュは神官の息子だけあって、弔いが持つ意味をよく理解していた。
ファルファリエ皇女はにこやかにうなずき返す。
「はい。私たち帝室の者は将兵に戦いを命じます。しかしそれを当然のものと思ってはいけません。私たちは彼らの死に責任がありますから」
この言葉も「偽証」の術には反応していない。つまり本心だと思っていい。
マリエが守秘回線を使った念話で俺に話しかけてくる。
『どうかしら、この皇女様は?』
『ひとかどの人物であるようには思えるな。少なくとも王族としての自覚はあるようだ』
『そうね……』
マリエも「偽証」の術は使っているはずなので、ファルファリエ皇女が嘘をついていないことはわかっているだろう。
だからファルファリエという人物をどう判断するか、悩んでいるようだった。
だが俺は釘を刺しておく。
『帝室の一員としての使命を背負って来た以上、完全無欠の善人などということはまずあるまい。もう少し様子を……』
俺がそう言いかけたとき、それに気づいていないファルファリエ皇女が笑顔で言った。
「同盟を結んだ今、ベオグランツとサフィーデは良き隣人です。二度と戦火が起きないよう、両国友好の架け橋となるためにがんばりますね」
その瞬間、「偽証」の術が反応した。
『やはり「黒」か』
『あなたの見立ては正しかったようね、シュバルディン』
想定通りではあったが、悲しい話だな。
ではやるべきことをやるとしよう。