第76話「姫君への期待」
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デギオン公の反乱も鎮圧し、サフィーデ国軍の設立も着々と進んでいるさなかに、今度は帝国の姫君が魔術学院に留学しに来る。
これはかなり厄介な事態であり、俺にとっては頭の痛い話だった。
だというのに、学生寮では男子生徒たちが浮かれている。
「おいジン、聞いたか!? 帝国のお姫様だってさ!」
一番浮かれているのは、もちろんトッシュだ。
「俺、お姫様なんて初めて見るぜ! すげーな、皇族だぜ!」
「お前は勲章の授与で国王陛下に会っただろ」
「いやそれはほら、違うじゃん! わかるだろ!?」
わかったわかった、年頃の女の子を期待しているんだな?
すると2年生首席のスピネドールが険しい顔をする。
「浮かれている場合か、トッシュ。相手は敵国の皇族だぞ」
「でも珍しいじゃないですか」
珍しくはないよ。現にお前が今しゃべっている相手はサフィーデ国王の甥だ。
スピネドールは俺の顔をちらりと見て、言外に「何も言うなよ?」という表情をしてみせる。彼が王子であることは重要機密だ。
彼は小さく咳払いをする。
「それで、敵国の皇女はどんなヤツなんだ?」
「気になるか?」
「多少はな」
もっともスピネドールの場合、興味の理由は同じ王族だからだろう。トッシュと違って色恋にはまるで頓着しない少年だ。
俺は魔術書を開くと、ページに浮かび上がる文字を空中に投影した。
「ファルファリエ・ファルマーニェ・フィッツ・ノイゼンデルヒ・ベオグランツ。17歳の独身女性で、先帝の孫にあたる。帝位継承権は12位」
「ファル……ファルファルフィ?」
ややこしい名前を覚えきれなかったようで、トッシュが目を白黒させている。
仕方ないので一応説明しておく。
「先帝の長男だった故ノイゼンデルヒ大公の娘だな。帝位を継ぐ前に没したので弟が現皇帝になっている。ファルマーニェとフィッツは母方の家系を表しているはずだ」
「へえ……詳しいな、ジン」
ゼオガの民の世話をするために、ベオグランツでしばらく暮らしてたからな。
するとスピネドールが「ふん」と鼻を鳴らした。
「次期皇帝候補ではないのか。それで17歳で未婚の姫君となると、何か訳ありだな」
サフィーデでもベオグランツでも、王侯貴族は10代後半になればさっさと結婚させられることが多い。もちろん政略結婚だ。
そう言うスピネドールも「訳あり」で、結婚してすぐに子供ができてしまうと王位継承問題の火種になりかねないので婚期を遅らせているらしい。それにこいつ、結婚願望とか全くなさそうだしな。
スピネドールは腕組みしながら言う。
「普通なら嫁ぎ先でも探している時期に、敵国に留学させられる皇女だ。ただ者ではないだろうな」
それを聞いたトッシュが興奮する。
「じゃあ物凄い才女だったりとか? 冷酷非情の策士とかですか!?」
「何をそんなに嬉しそうにしてるんだ、お前は」
スピネドールが怪訝そうに首を傾げているが、俺には何となくわかった。
たぶんトッシュはそういうタイプの女性が好みなんだろう。
こいつは最近アジュラと妙に仲がいい気がするので、要するに気の強い女の子が好きなんだろうな。
俺は溜息をついて立ち上がる。
「そろそろアジュラたちが食堂に来る頃だ。続きはあっちで話そう」
食堂で俺たちはアジュラたちと合流したが、女性陣の感想は俺たちとはだいぶ違った。
「かわいそうなお姫様ですよね。その人にとっては、サフィーデは敵地ですから」
今にも泣きそうな顔をしているのはユナだ。彼女はハンカチをきゅっと握りしめる。
スピネドールとトッシュが顔を見合わせると、今度はナーシアがぽつりと言う。
「もしかして、むりやり留学させられたのかな……。それとも私みたいに、サフィーデに来た方が故郷にいるよりマシなのかもしれないね」
男子たちは理解不能といった表情をしているが、そこにアジュラがつぶやく。
「できれば純粋に魔術に興味を持って、自分らしく生きるためにここに来て欲しいんだけどね」
しばらく黙っていたトッシュとスピネドールが、ほぼ同時に口を開いた。
「そんな訳ないじゃん!?」
「そんな個人的な理由で来るはずがないだろう」
スピネドールはさらに言う。
「いいか、留学生は帝国の尖兵として選抜された人材だ。帝室の一員である以上、帝国の利益を何よりも重視するだろう。そんな甘っちょろい理由のはずがあるか」
俺もどちらかと言えばスピネドールたちと同じ意見ではあるが、アジュラたちの気持ちもわかる。
だから知らん顔して薬草茶を飲む。
実際のところ、ファルファリエとかいう皇女の真意や立場はわからない。あれこれ想像したくなるのは俺も同じだが、先入観を抱いてしまうのは良くない。
それよりも今は任務の話だ。
「ファルファリエ皇女がどんな人物かは、会ってみればわかる。そして俺たちは皇女を国境地帯まで出迎えに行かねばならない。学院の荘園があるシュナン村で合流予定だ」
「ええっ!?」
トッシュとアジュラが目を丸くしたので、俺は2人のケープについている勲章を指差す。
「その勲章のおかげで、俺たちは騎士と同格の身分として扱われる。貴人の出迎えにも相応の身分が必要だからな」
「てことは、出迎えは俺とジンとスピ先輩と……マリエとアジュラか?」
トッシュが言うので、俺はうなずいた。
「そうだ。あとナーシアにも来てもらう。ナーシアはミレンデからの留学生だからな」
「今度は野宿はナシでお願いね?」
「皇女の出迎えに野宿はないだろ」
ナーシアのアウトドア嫌いも相当なものだが、この子はだいぶ繊細だからな。
スピネドールが質問してくる。
「護衛はどうなんだ?」
「学院の衛兵隊を使うそうだ。あまり政治色を強くしたくないので、なるべく学院関係者で出迎える形にしたいらしい」
「ふん……」
やや不満そうなスピネドール。
言っちゃ悪いけどここの衛兵隊は閑職なので、お世辞にも精鋭とは言えない。来客の応対など雑用が多い。
ベオグランツ帝国とサフィーデ諸侯の双方に対して警戒が必要であることも考えると、警備は俺がやらないとダメだろう。
サフィーデ諸侯には帝国に対して激しい敵意を抱く者もいれば、王室の威信失墜を望む者もいる。そういう連中は留学生に何をするかわからない。
そしてもちろん皇女が単身で来るはずがないから、お供の中には諜報員がいるはずだ。
「気が重いな……」
俺は溜息をついたが、スピネドールは俺を見て小さくうなずいた。
「お前がいるから俺はそれほど心配していないぞ。何とかするだろう?」
お前も最近、ゼファーみたいなことを言うようになったな。俺の「先輩」はだいたい全員がこんな調子だ。
「何とかはするつもりだが」
俺はシマヅとサイカの骸骨銃兵を百体ほど持っているが、皇女の出迎えに骸骨の軍団というのも趣味が悪すぎる。
そこにマリエがやってきて、いつものように真顔で言った。
「協力するわ」
「心強いな」
マリエがいてくれるなら大丈夫か。戦いでも相当な強さを発揮するし、重傷者が出ても治してくれる。
留守番役になったユナが笑顔になる。
「みなさん、道中くれぐれも気をつけてくださいね」
「ありがとう」
おっとそうだ、彼女にも頼み事をしておかないと。
「俺たちがいない間、ユナは学院の様子を教えてくれ」
「はい、任せてください」
ゼファーの報告だと生徒の様子がよくわからんからな……。