第75話「帝国の奇策?」
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『先生』
『先生はやめなさい』
俺は「念話」の術で通信し、王都にいるディハルト将軍と今日もやり取りをしていた。
ディハルト将軍自身は魔術を使えないが、彼は直属の通信士官として数名の魔術師を幕僚に加えている。学院の卒業生たちだ。
彼らは俺たちの会話を怪訝に思っていることだろう。
『現状、念話による通信は極めて機密性の高いものです。しかし魔術師を介さねばなりません。常に誰かに聞かれていることを決してお忘れなきように』
『はい、先生』
だからその先生呼びはやめろって言ってるだろ。
通信担当の魔術師たちは、俺の正体をもちろん知らない。俺がシュバルディンだと知っているのは魔術学院の教官たちだけだ。
いずれは彼らの口から秘密が漏れてしまうだろうが、それはできるだけ遅らせたい。帝国に知られると厄介だ。
これ以上、「マルデガル魔術学院に学生らしくない変なヤツがいる」と思われるのはまずい。
しかしディハルト将軍は未練たらたらで、こう言い返してくる。
『私の師たる者は、私が決めます。ジン殿は紛れもなく、我が師と呼ぶに相応しい御方ですよ』
『いや……もういいです、そろそろ本題に入りましょう』
トッシュとはまた違う感じだが、この男も少々馴れ馴れしいな。
俺は今日の議題に進むことにした。
『ディハルト殿の幕僚の顔ぶれを見れば、貴殿のお考えはわかっているつもりです。帝国の諜報に関する情報を集めたいのでしょう』
帝国と内通していた謀反人・デギオン公の実弟シュマイザー。
そしてシュマイザーの義兄にあたるリープラント卿。彼はデギオン家の謀反に深く関わっていた。
この2人だけではない。
リープラント卿と親交のあった先代ビアジュ卿は、ベオグランツ帝国の密偵たちに協力していた。先代は隠居しており、当代のビアジュ卿はディハルト将軍の指揮下にある。
謀反人の見本市だ。
ディハルト将軍は苦笑いする。
『さすがに少々やりすぎましたか?』
『見る者が見れば、これ見よがしといわんばかりですな』
露骨すぎる。
ただしゼファーやマリアムは、ディハルト配下の顔ぶれを見ても特に何も思わないだろう。研究者気質のあの2人は、この手の変な勘ぐりをしない。
一方俺は郷士の子で、しかも故郷を戦争で滅ぼされている。ひとまず何でも疑う癖がついていた。
だから俺は言う。
『シュマイザー殿もリープラント殿も、知っていることは余さず話してくれたはずです。先代ビアジュ卿も、跡取り息子が将軍に仕えているとなれば、帝国などどうでも良いはず』
彼は単なる利害の一致で帝国に協力していただけで、思想や因縁のようなものは何もない。
俺の言葉にディハルト将軍は薄く笑う。
『御慧眼、誠に恐れ入ります。先生のお言葉通り、お三方からは情報提供がありました。今はその情報が真実か、裏付けを取っているところです』
抜け目のない男だ。
それはそれとして「先生」はやめろ。恥ずかしいから。
彼はこう続けた。
『ベオグランツ帝国と我が国は現在、形だけではありますが同盟関係にあります。今後も謀略が繰り広げられるでしょうから、それに備えなくてはいけません。もちろん同盟を破棄していきなり再侵攻してくる可能性もありますが……』
『それをすれば帝国は他の同盟国からの信用を失いますからな』
『ええ。それに武力侵攻では、また先生に蹴散らされるだけです』
いや本当に「先生」はやめてくれ。俺の中の「先生」のイメージが俺自身のせいで壊されそうだ。
俺は溜息をつく。
『そうならないよう願っていますぞ』
『はい。軍備についてはお任せください。軍備については』
なんだよ。妙に含みを持たせた言い方だな。
『ディハルト殿、まさかまた俺に何かやらせるおつもりですかな?』
『ええまあ』
やっぱりか。何だよ、さっさと言え。
ディハルト将軍はにこやかに伝える。
『帝国はどうやら、貴学院に密偵を送り込むつもりのようです』
『またですか』
前にもグライダーで侵入を試みて撃退されただろうに。
『サフィーデで内乱を扇動する計画を断念したかと思えば、またこの学院への潜入を企むとは……』
するとディハルト将軍は首を横に振った。
『いえ、今度は潜入とは少し違うようです。実は帝国側から正式に留学生派遣の打診がありまして。噂に名高いマルデガル魔術学院の魔術を、帝国の若者に学ばせたいと』
ほほう、留学か。良い響きだ。
もっとも政治的な思惑が満載の留学だから、素直に歓迎できるはずがない。
『噂に名高いなどと言ってはいますが、つい先日までは魔術など戦争の役には立たないとバカにしていたでしょうに。彼らには魔術を研究するつもりなどありますまい』
ベオグランツ帝国に魔術師はほとんどいない。彼らは魔術よりも銃を信頼している。
帝国には帝室と手を結んだ国教団があり、精霊信仰などを敵視している。魔術師の中にはアジュラのように精霊を信仰する者もいるから、魔術師は肩身が狭い。
だからディハルト将軍も困ったように頭を掻く。
『もちろんです。私も陛下も、彼らの言葉を額面通りに受け取る気はありません。ただその……』
妙に歯切れの悪い口調で、ディハルト将軍が言う。
『でも先生。隣国から皇女の1人を留学生として送りたいと言われたら、外交儀礼上どれぐらい悩むと思います?』
『それは……また、大きく張りましたな』
帝室に皇女が何人いるか知らないが、確かあそこは帝位継承権を持つ者しか帝室に含めなかったはずだ。皇女を名乗っている時点で、それなりの重要人物ということになる。
いかに仲の悪い隣国同士といっても、王族の類が出てくるとさすがに無下にはできない。
俺は腕組みして考える。
『これがそこらの貴族なら拒絶しても何とかなるでしょうが、帝室の一員となると外交問題になってしまう』
『そうです。それに先生はご存じないかもしれませんが、マルデガル魔術学院は魔術の聖地として各国から地位を認められています』
『おっと、そうでしたな』
例えば特待生1年のナーシアは、ベオグランツより南にあるミレンデ出身だ。
彼女のように他国から入学してくる生徒もそこそこいる。ここは平民や女性でも平等に教育を受けられる珍しい教育機関だ。
それに国立の学校なので、卒業すれば経歴に箔もつく。だから魔術は別としても一定の需要があった。
しかし学籍簿を調べても、ベオグランツ人は過去に1人も在籍していない。
『ベオグランツ帝国には、もっとマシな教育機関があるはずです』
『貴族の子弟などが学ぶ帝国大学がありますね。大学が嫌なら学者を招聘して専属の家庭教師にできますし』
じゃあもう皇女をスパイにして何かやる気まんまんじゃないか。
ディハルト将軍はやや申し訳なさそうに言う。
『ですから留学生となる皇女が怪しいのは明らかなのですが、外交的に断ることもできません。大変恐縮なのですが受け入れをお願いします』
『それは学院長が決めることでしょう。それで学院長は何と?』
するとディハルト将軍はますます申し訳なさそうになる。
『いえ、これから打診するところです。まずは先生に御相談をと思いまして』
『俺の立場は学生ですよ?』
『それはわかっているのですが、やはり相談相手としてはゼファー殿は少々不安なのです。研究にしか御興味を示されませんから』
いや確かにそうなんだけど。あいつ本当に困ったヤツだよな。精神活動のリソースを研究に全て注ぎ込もうとするから。
俺は溜息をつく。
『ディハルト殿のお気持ちはわかりますので、学院長には俺から話しておきましょう』
『ありがとうございます!』
そんなに嬉しそうな声になるなよ。どんだけ苦手なんだ。わかるけど。
『それでディハルト殿。留学生の氏名など、詳しい情報を頂戴できますかな?』
『実は帝国側からは氏名の通達を受けていません。ギリギリまで伏せているつもりのようです』
なるほど、手の内を探られたくないということか。
だが俺はそれを認めなかった。
『最高の教育とは、個々人に合わせた指導法を行う教育です。どんな人物かもわからないのでは教えようがありません。しかも途中から入学して学ぼうなど、絶対に許しませんぞ』
『いえ、しかし、先生!?』
俺たちの師匠は、弟子それぞれの性格や能力、そして興味関心に沿った形で指導してくれた。だから授業が楽しかったのだ。
弟子の俺がその指導法を蔑ろにできるはずがない。
『今すぐに帝国に親書を送り、留学生の情報をありったけ送らせなさい。さもなければ留学など認めません。これは学院長も必ず同じことを言うはずです』
『わ、わかりました! ひとまずそのように王室に報告いたします!』
王室がどう動くかはわからないが、ディハルト将軍の口添えがあれば何とかなるだろう。
ディハルト将軍は完全に怯えていたが、最後にぼそっと問いかける。
『先生、もしかして本気で皇女に魔術を御教授されるおつもりですか?』
『無論です』
学びの扉を開く者に例外はない。