第69話「絶望の軍旗」
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翌朝、国王軍はサヴァラン砦を接収した。
「手際よく破壊されていますね」
ディハルト参謀が砦の様子を見回し、俺に詳細を教えてくれる。
「城門は閉じないように固定され、防衛用の大型クロスボウや殺人孔などは全て破壊されて使用不能になっています」
俺に話しながら、ディハルト参謀は溜息をついた。
「井戸は埋められていますし、兵糧には御丁寧に汚水をかけられているので捨てるしかありませんね」
「戦の常道ですね」
撤退戦の定石だ。敵に奪われたら困るものは全て破壊する。
勝手にくっついてきたマリエは、眉をひそめていた。
「野蛮ね。もったいないわ」
「戦争なんて野蛮でもったいないものの集合体だろう」
貴重な燃料で鍛えた鉄で、かけがえのない命を潰し合うんだからな。バカのやることだ。
問題なのは、そのバカみたいなことを俺たちはどうしてもやらないといけない……ということなんだよな。たぶんこれからも永遠に。
「まあいい。ここが戦場になる可能性は少ない。防衛能力が損なわれていても問題ないだろう」
井戸が埋まっているのはかなり不便だが、その気になれば魔法で復旧させられる。いざとなれば俺が引き受けよう。
俺は砦の衛生面や毒物の有無などをマリエに確認してもらい、その間にディハルト参謀と相談する。
「ディハルト殿、これからどうなりますか?」
「さて、どうしましょうか?」
ふっと笑うディハルト。悪戯っ子のようだ。さては何か企んでいるな。
当ててやろうか。
「まさか、籠城中のデギオン公の心を苛むような策をお考えではないでしょうね?」
「やはりジン殿の目はごまかせませんか」
やっぱりこいつ、参謀職だけあって搦め手が好きだな。
俺は溜息をつく。
「サヴァラン砦を預かっていた公弟シュマイザーが、降伏勧告を受けたその日に砦から逃げ出してしまったのです。この状況を使わない手はないですから」
「ええ。敵の判断を狂わせれば勝利は近づくでしょう。できれば流血は最小限にして、国力を温存したいのです」
俺が流血を好まないのは主に人道的な理由からだが、今回はその方が戦略的にもいいだろう。内乱でサフィーデが衰えたらベオグランツ帝国が喜ぶだけだ。
「ではその方向で俺たちも協力します。『念話』で情報を広めましょう」
「ええ、よろしくお願いします」
味方の将兵が慌ただしく走り回っている中、ディハルト参謀は俺に頭を下げた。
* * *
【デギオン公の苦悩】
「サヴァラン砦を敵に奪われただと?」
デギオン公は救援を求める直筆の密書をしたためながら、家臣の報告に眉をひそめた。
「森を焼かれた程度で陥落するような砦ではないのだぞ。シュマイザーはどうした?」
すると家臣の騎士は困り果てた表情で頭を下げる。
「申し訳ございません。消息不明です。ただ、サヴァラン砦に王室の軍旗が翻っていることは事実でして。それに砦周辺に2千ほどの軍勢が見えます」
「守備隊にしては数が合わぬな。狼煙や鏡の合図は試しただろうな?」
「はい。しかし応答がありません」
「ふむ……」
家臣に動揺を見せる訳にはいかないので、デギオン公は窓の外を眺める。
(1日で落城はありえん。そもそも敵はサヴァラン砦を攻めていない。とすれば、シュマイザーが砦を捨てたことになる。なぜだ?)
守備隊の造反でシュマイザーが殺された可能性もあるが、それなら敵はヴァンブルク城に公弟の首級を誇示するだろう。城内の兵が激しく狼狽えるのは確実だからだ。
(この感じ、シュマイザーはまだ兵を掌握しているな。だとすれば砦を捨てて、どこに逃げた?)
ありえそうな可能性は2つ。南の砦のどこかに逃げ込んで軍団の再編成をしているか、王室に投降して寝返ったかだ。
デギオン公は騎士に問う。
「判断するには情報が足りん。ありったけの斥候を放て」
「ははっ」
「それと城内の将兵には安心するように伝えよ。主計長、酒と肉を振る舞ってやれ」
「承知いたしました」
騎士が主計長と共に退出すると、デギオン公はすぐさま金庫から城の見取り図を取り出す。
(万が一シュマイザーが寝返っていたときがまずい。あいつはこの城の弱点を知っている)
公弟が握っている不都合な事実は、それだけではない。
昨年の不作で穀物の備蓄がやや不足していること。
そして国王軍の突然の進攻によって、近隣の村から穀物を強制的にかき集めることになったこと。
デギオン公よりもオトゥモ神殿に忠誠を誓う郷士や農民たちが多数いること。
そして彼らが穀物の徴発で恨みを抱いていること。
知られては困ることは、まだまだたくさんある。
それらのほぼ全てをシュマイザーは公弟として知っていた。
(あいつが寝返っていれば、私はおしまいだな……。だがシュマイザーが生き残れば家名は残せるか)
そう考えれば悪い話ではない。
デギオン公は冷酷であったが、それは自分自身に対しても同様だった。家名が残せるのなら自分の死などは大した問題ではない。
そこに側近が駆けつけてくる。
「大変でございます。シュマイザー様が王室に降伏したとの情報が、斥候よりもたらされましたぞ」
「ふむ」
デギオン公は不安に駆られたが、それはあくまでも押し殺す。
そして笑ってみせた。
「弟が降伏したのなら、国王軍はこれ見よがしに弟の軍旗を戦列に加えるであろう。外の軍勢に弟の軍旗はあるか?」
「いえ、あればすぐに物見より報告があるでしょう。そういった報告はございません」
「見たことか。どうせ敵方が苦し紛れにまいた虚報であろう」
デギオン公は内心の不安は外には見せず、悠々と振る舞う。
しかし側近はまだ不安そうだ。
「しかし御前様、城内の将兵が動揺しないでしょうか? 敵方が噂を撒いているのだとすれば、いずれ我が軍にも噂は漏れ聞こえましょう」
「そうだな。ではこちらも虚報で対抗するとしよう」
デギオン公はサラサラと羊皮紙に布告文を書き記す。
「公弟シュマイザーはサヴァラン砦を放棄し、南側の砦と連携して軍団の再編中である。またベオグランツ帝国の援軍がサフィーデの国境地帯に迫っており、我が軍の勝利は目前である。……こんなものでよかろう」
布告文を側近に手渡すと、初老の忠臣は落ち着かない表情になった。
「これは危険な賭けではございませんか? いずれ兵にも露見しますぞ」
「なに、適当な頃合いでまた虚報を流す。帝国軍はサフィーデの国境地帯を制圧したと兵たちに告げればよい。遅かれ早かれ事実となるのだからな」
兵の士気を高めることは、デギオン公の急務だった。サヴァラン砦が陥落して兵が動揺している。
さらにデギオン公がサヴァラン砦への救援を出さなかったため、兵はデギオン公に対して不信感を抱きつつあった。実弟すら見捨てる冷酷な君主だと思われては、兵はついてこない。
「敵がそのような小細工を弄しているということは、攻め手に事欠いている証拠だ。将兵の健闘を讃え、酒を振る舞ってやれ」
「またでございますか」
「籠城戦では兵に楽しみを与えてやることも必要だ」
側近は複雑な表情をしていたが、やがて恭しく頭を下げる。
「御前の深謀遠慮、感服いたしました。ただちに城内の全軍にこれを布告して参ります」
「うむ、急げ」
こうして見事に国王軍の企みを防いだかに思われたが、その翌日。
「大変です!」
「今度は何なのだ」
帳簿をめくって城内の兵糧を確認していたデギオン公に、側近が悲鳴のような報告をした。
「帝国っ、帝国軍の軍旗が! ベオグランツ帝国の軍旗が、国王軍の軍勢の中に翻っておりますっ!」
「しまった!?」
デギオン公は自分が罠にはまったことに気づき、手から帳簿を取り落とした。
* * *
「戦いは2手、3手先を読むものだ」
俺はスピネドールたちと食事をしながら、そう説明した。鶏モモの燻製肉にかぶりつく。陣中ではなかなかの贅沢品だ。今回は魔術師たちが念話で大活躍しているせいか、妙に待遇がいい。
「ディハルト参謀は『公弟が寝返った』という噂を流す。すると敵方はどう出る?」
俺が視線を向けると、スピネドールは当然のような顔で応じた。
「噂を打ち消すに決まっている。場合によっては嘘をついてでもな」
「そうだ。良い読みだ。では他にデギオン公が考えそうな『嘘』は何だ?」
するとスピネドールは少し考える様子を見せて、それからこう答える。
「そうだな……。たぶん援軍の存在をちらつかせるだろう。援軍のない籠城など意味がないから、城兵は援軍を待ち望む」
「さすがは2年生筆頭だ」
俺がからかうと、スピネドールは迷惑そうな顔をして前髪を払った。さては照れているな。
「で、1年生筆頭よ。そこから先の盤面はどう指すのだ?」
「簡単だ。その援軍が嘘であることを敵方に見せつけてやる。今回、デギオン公が待ち望んでいるのはベオグランツ軍だ。そこで国王軍の陣地に帝国の軍旗を掲げる」
一応、サフィーデ王国とベオグランツ帝国は形式的には同盟国になっている。一方の国で謀反が起きれば、もう一方が軍事的な支援をしたとしても不思議ではない。
「これでデギオン公配下の将兵は絶望しただろう。もう援軍は来ないと思い込んだはずだ。近隣の諸侯は全て王室側についているからな」
デギオン家の姻戚であるリープラント家が王室への恭順を示し、討伐軍に参陣したことが大きかったようだ。
リープラント卿の実妹は公弟シュマイザーの妻であり、両家の結びつきは決して弱くない。
デギオン公の内部事情をよく知っているはずのリープラント家が、不義理を承知で王室側についた。しかもリープラント卿が王室に密告したという噂まで流れている。
これはデギオン領に近い諸侯にかなり衝撃を与えたようで、彼らは一人残らず王室側に味方した。勝てない謀反に加わるバカはいない。
するとアジュラが首を傾げる。
「でもベオグランツ帝国の軍旗なんて、よく持ってこれたわね。あれって本物なの?」
「もちろん。前に侵攻してきた帝国軍の『忘れ物』だ」
あの部隊は俺が全滅させたが、あの世に軍旗は持って行けないからな。
もっとも俺もあの軍旗を使うことになるとは思っていなかったので、鉄錆平原の監視塔に放り込んだままにしていた。
しかしディハルト参謀がどうしても欲しいと言ったので、昨夜慌てて転移術で取りに戻った。
そして今、その軍旗が陣中にいくつも翻っている。あちこち焦げているが、遠目にはわからないだろう。
マリエが俺を見つめて質問をぶつけてくる。
「そこの誇り高い郷士の末裔さんは、あれでいいの?」
またそうやってすぐに嫌みを言う……。
「戦の作法には反するが、実際の戦ではよくある計略だ。映像記録を残さなければただの噂で済む。そんな事実はなかったと公式に否定すればおしまいだ。だいたい軍旗を奪われるような戦い方をした帝国軍が悪い」
後ろめたさはあるので、早口でまくし立ててしまった。
我ながら酷いことを言っていると思うが、戦というのは酷いことの寄せ集めなので今更だろう。殺し合いに比べれば騙し合いなど軽いものだ。
「さて、次の問題は逃げたシュマイザーだ。彼の軍を他の敵軍から切り離す。行くぞ」
するとトッシュが燻製肉を頬張りながら慌てる。
「ちょっと待ってくれよ、もう1本食ってから」
「好きなだけやるから残りは道中で食え」
食事を済ませた俺たちは立ち上がると、それぞれの持ち場に向かって歩き出した。




