第67話「放たれた矢」
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【守将シュマイザー】
「たいした猛火だ。余っている肉があれば燻製にするのだがな」
甲冑姿のシュマイザーが豪快に笑ってみせると、サヴァラン砦の兵士たちも笑う。
「ははは、元から燻製肉と塩漬け肉しかありませんよ!」
「急いで燻製にする必要ありませんでしたね!」
シュマイザーは兵の士気が高いことに安心しつつ、皆にこう告げる。
「この砦の周囲に木はなく、砦が燃える心配はない。また、火勢が弱まるまで敵の攻撃はない。せっかく敵がくれた休息だ、交代でしっかり休め」
「はっ!」
兵たちがそれぞれの持ち場に散っていった後、シュマイザーは城壁の監視塔から麓を見下ろす。
(救援の動きが全くない。これは少々まずい)
サヴァラン砦が山火事で類焼することはないのだが、遠目には砦が燃えているように見えるかもしれない。特に末端の兵は勘違いする恐れがある。友軍の士気に悪影響がないか心配だった。
サヴァラン砦からはヴァンブルク城もよく見える。
朝方、川のあちこちから煙が立ち上っていることが報告されていた。煙の位置を考えると、おおかた橋を焼き落とされたのだろうと推測している。
(上流からの救援は期待できないな。下流からの援軍がないのは、おそらく敵が山の南側にも布陣して救援を阻止しているのだろう)
となると後はヴァンブルク城からの救援しか期待できないが、そのヴァンブルク城も敵が布陣している。とてもここまでは救援に来られない。
(わかってはいたことだが、いずれは攻め落とされるな)
もともと、敵が山頂に布陣するのを阻止するための砦だ。長期戦になれば攻め落とされることはわかっている。戦死も覚悟していたことだ。
(デギオン家のために死ぬのは全く構わん。娘たちも逃がした。もはや心残りはない。ただ……)
ひとつだけ不安があった。
(敵の用兵が妙に巧みだ。機動的に動き、散開し、すぐまた密集する。あれは何だ?)
こちらの動きを全て知り抜いているかのように、敵は素早く進軍してきた。砦や迎撃部隊の隙間を縫うようにして、ヴァンブルク城まで侵入してきたのだ。
そして今も兵を効率的に分散させ、こちらの動きを全て封じている。
あんなに兵を分散させてしまうと指揮系統や情報の伝達が混乱し、相互の連携が取れなくなるのが普通だ。
それに分散された兵は弱くなり、個別撃破される危険性が高まる。
本来なら愚策のはずだが国王軍は緒戦に勝利し、今や理想的な布陣を完成させていた。
(全ての敵部隊が常に連携し、戦いの全域を支配している。一万足らずで数万の軍勢のような強さを発揮しているのはなぜだ? あれが例の魔術学院とやらの秘術か?)
従来の戦術理論とは全く違う敵の動きに、サフィーデ式軍学を修めたシュマイザーも困惑していた。
魔術師といえば火の玉を飛ばしてくるおかしな連中のはずだが、まさか戦場で存在感を示すとは思わなかった。シュマイザーはこめかみを軽く押さえる。
(とにかく今は防戦に徹するのだ。時間を稼ぐことのみが勝利に通じている)
だが、本当に時間を稼がせてくれるのだろうか?
その疑問はシュマイザーの胸中で、山を覆い尽くす猛火のように次第に強さを増していた。
* * *
「さて、頃合いだな」
北側の山肌が黒焦げになったのを見て、俺は特使が掲げる一時休戦旗を手にする。
「時間が惜しい。ぼちぼちあの砦を頂くとしよう」
「そんなにうまくいきますか、あるじどの?」
タロ・カジャが俺の肩に乗って、顔を洗っている。最近だんだん猫っぽい仕草が上達してきたな。
そしてカジャと同じことを、マリエも気にしていた。
『サヴァラン砦の兵士たちはおそらく、決死の覚悟でしょう? 簡単に攻め落とせるとは思えないけど、もしかしてあなたが片付けるの?』
俺は笑う。
「俺が不老不死の神性の存在で、サフィーデだけに与する理由があるのなら、それでもいいんだがな。悪いがここはサフィーデ人たち自身でケリをつけてもらう」
『どうやって?』
「まずは戦の作法に則って、降伏勧告からだ」
俺はディハルト参謀が用意してくれた軍馬に乗る。たくましくて従順な良い馬だ。これはたぶん恐ろしく高いぞ。立派な民家が数軒建つ。
俺はディハルト参謀の気遣いに感謝しつつ、砦に向かって馬を進めた。一介の学生が騎乗を許されるのは異例のことだが、今は軍の特使だからな。
タロ・カジャが山の斜面を見上げながら、ふと首を傾げた。
「あるじどの、だいぶ燃えてますね。ところどころに変な空き地がありますが」
北側の斜面は木が全て燃えてしまっているが、確かに空き地がある。そこだけ木がない。石積みで補強しているから、あれは人工的に作った空き地だ。
「伏兵を隠すための備えだな。下からは見えないが、あそこから矢や岩で攻撃するつもりだったのだろう。攻撃後、すぐに退避できるように道が整備されている」
何も考えずに攻めていたら危なかった。
俺は空き地に馬を進めて上を見上げる。
「攻め手がここに到達する頃には、守備兵は砦に退却している。そしてここは上からの攻撃に対して無防備だ。制圧しても砦攻めには使えまい」
「なるほど、ふぅーん」
カジャが何か学習しているようだ……。学習してどんどん賢くなるのはいいんだが、主人に都合良く賢くなってくれるとは限らないのが使い魔の厄介なところだ。
するとそこに、上の方から大きな声がする。
「止まれ! そこで何をしている!」
俺は一時休戦旗を掲げ、ありったけの大声で叫び返した。
「我は国王陛下の特使である! シュマイザー殿ならびにサヴァラン砦守備隊に、陛下のお言葉を伝える!」
とりあえず矢は飛んでこないので、話を聞く気はあるんだろう。
「降伏するのなら、命は取らぬとの陛下の御慈悲である! ただちに降伏せよ! 降伏を承服せぬのなら砦を明け渡して立ち去れ!」
「降伏も開城もしないでしょうね」
しないと思う。いいから黙ってろ。
案の定、砦は静まりかえっている。おい、返事ぐらいせんか。
しばらくすると、別の声が響いた。
「我こそは公弟シュマイザーである! 特使よ、帰って陛下にお伝えするがいい! 我らデギオンの一門を見くびってくださるな、とな!」
やれやれ、物わかりの悪い小僧だ。
俺は大声で笑う。
「はっはっは! これは呆れた!」
「何だと!?」
城壁の上に甲冑姿の男が現れる。40代だろうか、遠目にも見事な武者ぶりだ。やはり若いというのはいいな。
「この私を愚弄する気かね?」
「愚弄も何も、この状況でそんな砦に籠城するのは大馬鹿者ですぞ!」
俺がそう言うと、カジャがちょいちょいと俺をつついた。
「あるじどの、言い方、言い方」
「挑発しているんだよ」
俺は小声で言い、シュマイザーらしい騎士にさらに言う。
「この焼けた山を御覧なさい! もはやサヴァラン砦は陥落したも同然だ!」
「魔法使いに何がわかる!? 攻め手が身を隠す場所がなくなり、砦はむしろ強固になっているのだぞ!」
口喧嘩に乗ってきたな。おそらく砦の兵士の士気が下がるので、不安材料を否定したいのだろう。
いきなり矢や石で黙らせようとしないのは良い心がけだが、ちょっと甘いぞ。やはりまだまだ若造だ。
俺は大人げなくシュマイザーを煽りまくる。
「攻め手? 陥落同然の砦を攻める者などおりませんぞ、シュマイザー殿! サヴァラン砦は来年の夏には無用の長物になりましょう!」
「何を言うか!」
「あなたはわかっておいでのはずだ! 禿げ山は雨で崩れる!」
この山の斜面では木の根が地面を固定していたが、その木が全部燃えてしまった。根は腐り、やがて雨と共に斜面は崩れる。
俺はさらに続けた。
「北からの強風が吹きつけるこの地方で、北側の斜面は常に風雨にさらされましょうぞ! 斜面は崩れて崖になり、サヴァラン砦は本城との連絡を絶たれる! 数年間の持久戦を考えているデギオン公にとって、この砦にもはや軍事的価値はない!」
シュマイザーが一瞬黙る。軍人としては優秀かもしれないが、弁論術は苦手のようだ。
だがそれでも一軍を預かる将だけあって、彼はこう言い返してきた。
「それはそのときに考えれば良いことだ。詭弁で砦を手に入れられるなどと思わぬことだな、小僧!」
そっちがその気なら、山頂に隕石雨をぶつけて標高を低くしてやってもいいんだぞ。
などと大人げないことを言いそうになったが、それをやると後で困るのは俺の方だ。
年長者らしく振る舞おう。いや待て、今の俺は「小僧」なんだった。
ではこう言っておくか。
「わずか数年先のことも考えられぬようでは、貴殿の将の器も大したことがないな! やはり攻め落とすまでもなかったか!」
カジャの助けを借りてシュマイザーの表情を拡大して見ると、彼の顔つきが変わった。
「特使の小僧よ。戦の場でそこまで言ったからには、覚悟はできているのだろうな!」
彼は大弓を手に取ると、こちらに向かって矢を放ってきた。
予想通りではあるが、若いヤツは血気盛んでいかんな。
俺は強化魔法で身体能力を底上げし、飛んできた矢を一時休戦旗で叩き落とす。
俺の胸を狙って正確に飛んできたので、これでは約束稽古と大差ない。旗でくるんで矢の勢いを殺し、ヒョイとつかみ取る。
だがシュマイザーや周囲の敵兵は慌てた様子だ。
「むっ!?」
「シュマイザー様の6人張りの強弓が!?」
そりゃ凄いな。俺なんか弓は苦手だから、そんな強い弓はまともに引けない。
だがここで彼の弓を褒めると挑発にならないので、俺はなるべく平然と言う。
「騎士ならもう少し強い弓を引きなされ」
俺は矢に魔力を与え、ダーツの要領でスイと投げつける。
矢は空中で魔力を運動エネルギーに変換し、銃弾を遥かに超える威力を持って空を裂く。
魔力で加速した矢は城壁の石組みに深々と突き刺さり、山全体に響くほどの高く澄んだ音を立てた。
「なっ……!?」
「お返ししたぞ。命は無駄になさらぬことだ」
俺はそれだけ言うと馬を反転させ、山道を降りていった。
もう矢は飛んでこなかった。
タロ・カジャが俺に問う。
「これでいいんですか?」
「万事手筈通り、だな」
あの砦に王室の旗が翻るのも、そう遠くはないだろう。




