第65話「燃える血」
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「デギオン公の居城、ヴァンブルク城は三方を川で守られています。攻城側が布陣できるのは南側だけです」
俺を本陣に案内したディハルト参謀は地図を取り出し、風で飛ばされないように四隅に小石を置いた。
俺は一応、念の為に聞いておく。
「やはり水攻めは無理ですか?」
「はい。もちろん検討はしたのですが、時間がかかりすぎますからね。早期に反乱を鎮圧しないと、他の貴族が蜂起する可能性もあります。帝国も動き出すでしょうし」
ディハルト参謀は、さらに地図の北側と南側を示す。
「上流にも下流にもデギオン公の砦が複数あります。上流や下流で川の水を堰き止めようとすれば、すぐに攻撃を受けるでしょう。おちおち作業できません」
さすがに水のことは想定しているか。
「なるほど、支城網が存在しているのですね」
城の周囲を守る砦がいくつもあり、こちらの包囲攻撃を妨害してくる訳だ。となると川の水を干上がらせるのも、逆に水浸しにして孤立させてしまうのも無理か。
水計が無理なら、後は火計だが……これも無理だろうな。風向きが悪い。
「火計も無理そうですか?」
俺がそう言うと、ディハルト参謀はうなずいた。
「はい。この絶え間ない北風では、南から攻める我々が火と煙に苛まれます。おそらく風向きも計算して築城されているのでしょう」
他には地中を掘削して城壁を崩したり侵入口を作ったりする方法もあるが、それも川が阻む。サフィーデの技術力では川の下をくぐるトンネルは作れない。
まず間違いなく水没してしまうだろう。
だから俺は腕組みして感心するしかなかった。
「いい城ですね」
「本当ですね。味方の城だったらもっと良かったんですが」
ディハルト参謀は風で乱れる前髪を払い、そっと溜息をつく。
「とりあえず砦の攻略から取りかかる予定ですが、それぞれの砦が連携して動くでしょうから包囲に手間取りそうですね。こちらはまだ様子見を決め込んでいる諸侯が多く、兵力に余裕がありませんし」
すると念話でマリエが質問してくる。
『砦の攻略はどうしても必要なの?』
『砦の兵力が健在な限り、城を包囲しても背後から攻撃を受ける。城を攻めてるときに背後から攻撃を受けたくないだろ?』
『面倒ね』
『こうやって城を攻め落とすのに必要なコストをとことん高くすることで、最初から攻められないようにしているんだ。こうして実際に攻められたときにも役に立つ』
さて参ったな。
少なくとも王室は俺がこの城を攻め落とせることを知っている。『雷帝』を叩きつければ日没までに全てが終わるだろう。
そしてそれを期待されていることもわかっている。
だがそれでは何も解決しない。
俺たちが何とかできる範囲にも限度があるし、俺たちだって不死身じゃない。俺たち3人が他の5人の兄弟子たちのように戦死や事故死でいなくなれば、この国は終わりだ。
自分たちで国を維持していけるようになってもらわないと。
ということで、俺の出撃を催促されないうちにさっさと攻略してもらうか。俺は大雑把に計画を立て、ディハルト参謀に相談する。
「全ての砦を潰していたら帝国の介入を許してしまいますが、かといっていきなり本城を攻めるのは無理ですね」
「そうですね。こちらには兵が8千しかいませんが、敵の守備兵力は6千ですから」
「あまり差がないな……。川があるから逆に包囲できてるようなものですね」
「ええ、そうなのです」
城を攻め落とすには通常、敵の3倍の兵力が必要だ。
ディハルト参謀がうなずいた。
「敵は南側だけに兵力を集中させることができますから、仮に3倍の兵力差でも大苦戦するでしょう」
「では力攻めは諦め、小狡い方法で何とかします。敵に城門を開かせましょう」
俺は地図の二本の川を指でなぞった後、本陣から20アロン(2km)ほど南にある「サヴァラン砦」の文字をトントンと叩く。小さな山の頂上にある砦だ。
するとディハルト参謀は俺が言うよりも早く、ハッと何かに気づいたような顔をした。
「ほう……そうしますか」
「はい、やってみましょう」
今のでわかるのか。この坊や凄いな。話が早いのは助かる。
しばらく黙った後、ディハルト参謀は眼鏡を押さえてじっと俺を見る。
「勝算はどれほどありますか?」
「俺は魔術師ですからわかりません。ですが、どう転んでも最後には敵が城門を開くことになります」
あまり自信はなかったが、俺はとりあえずやるだけやってみることにした。
ダメなら『流星』でも叩き込んで城門を吹き飛ばそう。
俺はその後、具体的な方法についてディハルト参謀と相談する。話がまとまった後、ディハルト参謀は諸将と軍議を開くために陣中に伝令を走らせた。
この軍議には「念話」で国王も臨席し、俺も同席する。
そして国王の口添えで軍議はあっという間にまとまり、ただちに実行に移されることになった。
ディハルト参謀は何も言わなかったが、彼は今回、参謀職以上の権限を預かっているようだ。
軍議のときの諸将がやたらと腰が低く、みんなディハルト参謀の提案に素直に従っている。どうも彼は国王の名代を務めている気がする。順調に出世してるな。
俺は自分の宿舎に戻りながら、ふとつぶやく。
「さて、問題はサヴァラン砦の将だが……」
ここは少々ズルをして、タロ・カジャに調べさせてもいいだろうか? いやいや、それを始めると際限なく俺が出張ることになるぞ。
俺はケープを風に煽られ、悩みながら宿舎に戻る。
するとマリエが俺を出迎えた。
「あなたにお客さんよ。かわいいお嬢さん」
「誰だ?」
「デギオン公弟の奥さんですって」
なんだって?
マリエの言う通り、貴婦人が数名の兵士に警護されて俺を待っていた。
確かにまだ若いな。40代ぐらいか。上品で優しそうな印象だ。
その印象通りに、彼女は微笑みながら俺に一礼した。
「はじめまして、お若い魔術師様。私はデギオン公弟シュマイザーの妻、レイヌと申します。リープラント卿の妹です」
「これは……。お初にお目にかかります。マルデガル魔術学院特待生1年のスバル・ジンです」
驚いたな、渦中の人物がこんな場所にやってきたぞ。
レイヌは俺に書状を差し出す。蜜蝋で封印されており、封印はデギオン家の家紋だ。
「夫より書状を預かって参りました。いえ、元夫ですね」
「元?」
俺の代わりに、そばでうろうろしていたトッシュが疑問を発してくれた。
するとレイヌは微笑む。
「ええ。戦になりましたので、私と娘たちは離縁されました」
デギオン家の者でなくなれば、連座で処罰される可能性はかなり減る。これも戦の倣いだ。
少し胸が痛んだが、今は感傷に浸っている場合ではない。俺は書状を開封する。
中身は予想通りだった。
「デギオン公弟シュマイザー殿は降伏しないそうだ。息子や兄と共に最後まで戦うと書かれている」
俺がそう言うと、マリエが眉をひそめた。
「妻子を残して死ぬつもり?」
「死ぬつもりはないんだろうな。ただ、万が一に備えて妻子は逃がした。そんなところだろう」
まんまと利用された形だが、死人は少ない方がいいので別に構わない。
俺は念話でマリエに説明を補足する。
『元から彼の降伏は期待していない。サフィーデ貴族の論理では当主、それも実兄を見捨てて投降など許されないからな。サフィーデ中の貴族から蔑まれることになる』
『面倒ね、貴族って』
俺もそう思う。
『ただ、妻と娘をこちらに寄越したことを考えると、シュマイザーとは交渉の余地がまだある。俺たちを信用していなければできないことだ』
『それもそうね。もちろんレイヌたちは保護するんでしょう?』
『無論だ。戦う意志のない者を傷つける理由はない。それに大事な交渉材料でもある』
妻子が大切に扱われたと知れば、シュマイザーの心も傾く可能性がある。ここで彼女たちに危害を加えるのはバカのやることだ。
俺はディハルト参謀を通じて、王室にレイヌと娘たちの保護を要請するつもりだ。ゼファーが口添えしてくれるだろうから、これは問題なく通るだろう。ゴチャゴチャ言うヤツがいたら俺が直接乗り込んで黙らせるだけの話だ。
俺はシュマイザーが今どこにいるのか、ちょっと気になった。
「奥様方はどちらからお越しになられましたか?」
するとレイヌは少し悩んだ様子を見せたが、小さく溜息をついた。
「こちらの将兵も見ておりましたから、隠し立てしても仕方ありませんね。サヴァラン砦です」
これから攻める予定の砦だ。これこそ天祐というヤツだな。
「シュマイザーもサヴァラン砦におります。交渉をお望みでしたら、サヴァラン砦に使者をお送りくださいませ」
この砦はヴァンブルク城が包囲されたとき、敵軍を後背から攻める役割を担っている非常に重要な砦だ。ここの敵兵力はせいぜい千足らずだが、ヴァンブルク城の攻撃中に後方から襲撃されると大損害が出る。
デギオン公はこの大事な砦を実弟に預けたらしい。彼が実弟を深く信頼していることがわかる。
「ふむ……」
俺は少し考える。
マリエが念話で話しかけてきた。
『これって好機じゃない? シュマイザーが寝返ればサヴァラン砦も手に入るでしょう?』
『まあそうなんだが、さっきも言ったように寝返ること自体が貴族としての生命を危うくしかねないからな。期待しない方がいい。貴族の血の結びつきは強い』
そう答えた俺だが、同時にこうも言う。
『だが好機なのは間違いない。デギオン公の慎重な判断が裏目に出たな』
『どういうこと?』
『血は水よりも濃い。血の一滴は水の一滴と等価ではない』
『シュバルディン。わかるように説明しなさい』
後で説明するから。
その日の夜から翌朝にかけて、ただちに作戦が開始された。
「報告します! 東側の木橋を全て焼き落としました!」
「西側も全て終わりました!」
「工兵隊から報告! 東の石橋に爆薬を設置完了とのこと!」
朝日に照らされ、あちこちから煙が立ち上っている。どうやら準備は整ったようだ。
「いよいよ戦争か……」
トッシュが緊張した顔をしているので、俺は首を横に振る。
「戦争ならとっくに始まっていた。もう大詰めの段階だ」
「俺たちまだ一度も戦ってないのに!?」
「そうだ。両軍が対峙するのは戦争の最終段階、終わりの始まりに過ぎない。そして終わりの終わりもすぐに来る」
俺は目の前の山を見上げ、その頂上のサヴァラン砦を指差した。
「俺は戦争が嫌いだ。さっさと終わらせてメシにしよう」
* * *
【デギオン公の困惑】
ヴァンブルク城の豪華な食堂で、デギオン公は朝食の手を止めた。
「木橋を全て焼かれただと?」
「はっ。石橋はさすがにまだ燃やせていないようですが、兵が不安がっております」
報告に現れた騎士自身も不安そうな顔をしている。
彼はさらにこう報告した。
「また、敵の一部が南に向かって移動を開始しております」
「南か」
すぐ南には守りの要であるサヴァラン砦があり、さらに下流にもいくつかの砦があった。
「下流の砦を一掃してから城攻めを開始する気か。だとすれば、橋を焼き落としたのは上流からの援軍を阻止するためであろうな」
上流の砦からの援軍は、必ずどこかで一度川を渡らなければならない。
残っている橋は石橋ひとつしかないので、援軍の進軍ルートは1つに絞られることになる。簡単に待ち伏せされてしまうだろう。
すると側近が問いかけてくる。
「御前、いかがいたしましょう?」
「これは敵の誘いの手だ。我が城から援軍は出さぬ。上流の砦に援軍を命じよ」
配下の騎士たちは明らかに動揺していた。
「本当によろしいのですか?」
「ヴァンブルクの城門を開けば、敵主力がただちに押し寄せてくるぞ。この城は依然、敵に包囲されているのだからな。そして包囲されていることが最大の救援なのだ」
「それはどういう……?」
騎士や側近たちが首を傾げたので、デギオン公は白パンを取りながら薄く笑う。
「わからぬか。敵は我が城を包囲するため、主力をここに据えている。それゆえ、砦の攻略には少数の兵しか出せぬのだ。このようにな」
大きなパンから一口分をちぎったデギオン公は、それを指先で弄ぶ。
「砦を落とせるギリギリの兵力では、さぞかし時間もかかろう。そして砦同士は互いに連携し、敵の包囲を背後から食い破る。敵は徒に兵と時を失い、やがて自滅するのだ」
半分は家臣たちを安心させるための演技ではあったが、デギオン公自身もこの戦いには必勝の自信があった。
(この城なら5年粘ることもたやすい。5年経てば帝国との同盟も破棄され、帝国がサフィーデに押し寄せてくる。今は耐え忍ぶときだ)
覚悟を決めて白パンを噛みしめたとき、伝令が駆け込んでくる。
「たっ、大変です!」
「騒々しい。今度は何だ」
すると伝令は真っ青な顔をして、こう叫んだ。
「サヴァラン砦が! シュマイザー様のサヴァラン砦が燃えています!」
「なにっ!?」
デギオン公は思わず立ち上がった。
* * *




