第62話「守らぬ守り」
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トッシュとマリエが捕まえてきたのは、デギオン公の密偵だった。
「密偵に魔法をかけて、情報を直接読み取りました。我々ではなくビアジュ家を見張っていたようです」
俺はディハルト参謀にそう報告する。
ディハルト参謀は眼鏡を押さえ、俺の報告に興味を示した。口元に変な笑みが浮かんでいる。
「読み取ったんですか」
「はい。命は奪っていませんし、密偵は情報を読み取られたことに気づいていません」
今回はマリエが編み出した新しい術を試してくれたので、捕虜の脳をいじくり回すのが楽だった。やはり医療系の魔術師がいると心強い。
ディハルト参謀は俺をじっと見つめる。
「大変興味がありますね。その術はジン殿しか使えませんか?」
「高位の術ですので、私以外には学院長と教官長ぐらいしか使えないと思います」
「ふむ……そちらの話も後でおうかがいしたいです」
そういえばこの眼鏡の坊や、参謀職だったな。興味を示すのも当然か。
俺は少し後悔しつつ、話を戻す。
「デギオン公はビアジュ家を信用していないので、謀反の一味に加えるにあたって予備調査をしていたようです。ビアジュ家は魔術学院に荘園を寄進していますから、親王室派の疑いが捨てきれなかったようで」
するとディハルト参謀はククッと笑う。
「例の件は表沙汰にはなっていませんから、デギオン公が疑うのも無理はありませんね」
この子、陰謀が絡むと途端にいきいきしてくるな。
俺はさらに後悔を深めつつ、話を続けた。
「密偵は追いかけてきたトッシュを見て、見習い魔術師ぐらいならどうにでもできると思ったようです。少し脅して情報を聞き出して、後はさっさと逃げるつもりだったようですね」
ディハルト参謀は少し考え、それから俺に質問する。
「他にわかったことはありますか?」
「密偵の質があまり良くないことと、近くに仲間がいないことぐらいでしょうか。大した情報は渡されていませんでした」
デギオン公にとっては王室や親王室派の動向が一番気になる。ビアジュ家なんかに人員は割けないだろう。
捕まった密偵もせいぜい「念のために一応監視しとくか」ぐらいの意図で送り込まれたはずだ。だからトッシュに見破られるし、判断を誤って捕まえられる。
俺は役立ちそうな情報や押収品をディハルト参謀に全て渡した。ディハルト参謀の父親は王室の顧問武官だから、彼を通じて後は王室に任せることにしよう。
ディハルト参謀はそれを受け取り、淡々と告げる。
「助かります、ジン殿。これだけ証拠が固まっていれば、デギオン公に対して詰問の使者を送る必要もないでしょう。ただちに陛下が討伐軍を招集なさるはずです」
「では俺はこれで」
退出しようとした俺に、ディハルト参謀が声をかけてきた。
「君が何者か、ますます興味が出てきました。教えてはくれないのでしょうけどね」
俺は背中を向けたまま、前回と同じ答えを繰り返す。
「ただの学徒ですよ」
「ではひとまず、そういうことにしておきましょう」
追及を諦める気はなさそうだな……。
デギオン公については後日の報告を待つことにする。
その後、俺たちは予定通りにシュナン村で研修を続けた。国境地帯の鉄錆平原にも赴く。
「おー、広いなあ! 気持ちいいぜ! なあジン?」
叫んでいるのはトッシュだ。開放感のある地形が好きらしい。
ここで大勢のベオグランツ兵を殺した俺としては、気持ちいいどころの話ではない。曖昧にうなずいておくのが精一杯だ。
幸い、トッシュはすぐに違うものを見つけた。
「ずーっと向こうに塔が建ってるな。あれはサフィーデの塔かな?」
「ああ。古い監視塔だ。今も利用されている」
主に俺にな。
ついでに俺は説明しておいた。
「監視塔の向こうは、魔術学院が敷設した『竜茨』の防壁がある。銃弾や砲撃でも簡単には破壊できず、騎馬でも突破できない」
「すげえな……」
あれを使うことを思いついたのは俺なので、そこは少し誇らしい。
だが植物は急に枯れることもあるので、鉄条網を作れるような工業力はいずれ必要になるだろう。何とかして近代化への道筋を作らなくては。
そんなことを考えていると、ユナがふと首を傾げる。
「そういえばなんで『鉄錆平原』っていうんですか?」
「なんだ、知らないのか」
そう言ったのは俺ではなくスピネドールだ。彼は腕組みしながらこう説明する。
「サフィーデ建国以前より、この地は幾度も戦場になった。戦士たちの骸と共に剣や鎧が錆び、この平原はどこを掘っても鉄錆が出てくる」
しかしユナはさらに問う。
「なんでそんなに何度も戦場になってるんでしょうか?」
「うん? それは……だな」
スピネドールが言葉に詰まったので、俺が助け船を出す。
「サフィーデは周囲を険しい山に囲まれているが、南東部の鉄錆平原だけは山で守られていない。だから侵略者はいつもここから攻め込んでくる」
「なるほど……」
うなずくユナ。スピネドールも一緒になってうなずいている。
すると今度はトッシュが首を傾げた。
「他の場所からでも進軍できそうなもんだけどな。山越えでも何とかなるだろ?」
「いい質問だ」
俺は近くの岩場に腰掛け、弁当包みを取り出しながら説明する。
「鉄錆平原の向こうはベオグランツ帝国だ。その前身だったグランツ王国の頃から好戦的な強国でな。トッシュよ、お前が他の国の王ならサフィーデを狙うか?」
「んー……?」
トッシュはしばらく考えていたが、すかさずスピネドールが口を挟む。
「もちろん狙うだろう。サフィーデは素晴らしい国だ。なんといっても……」
「狙わないんじゃないかな」
ぽつりとナーシアが答え、スピネドールが黙る。気の毒に。
ナーシアは古代文字の石飾りを弄びつつ、こう続けた。
「だって山越えでサフィーデに侵攻して占領しても、すぐにベオグランツ帝国がやってくるでしょ? 占領したばかりでゴタゴタしてるときに、ベオグランツ帝国の侵攻を防ぐのは無理だよ」
やはりナーシアは学業全般が優秀だ。野外活動は一番苦手そうだが。
俺はうなずいた。
「そう。この近隣で最も強いベオグランツ帝国が、平原を渡って楽々と侵攻してくる。ナーシアの言う通り、それを防ぐのは難しいだろう。他国は山越えで兵を送らねばならないし、サフィーデ人は味方じゃない」
アジュラがナーシアにタオルを渡しつつ、苦笑いしてみせる。
「なるほど、最後はベオグランツ帝国が持ってっちゃうって訳ね。じゃ、ここが開けているのはサフィーデにとって幸運なことだわ」
「そう言えるかもしれないな」
ここに長大な城壁を築かなかったのは、もしかすると歴代サフィーデ王の戦略的判断だったのかもしれない。
今はここを竜茨で一時的に封鎖しているが、恒久的な城壁や要塞を作ってしまうと周辺国も妙な気を起こすかもしれない。悩ましいところだ。
それはそれとして、今はもっと大事なことを伝えておく。
「この平原の気候を覚えておいた方がいいぞ。魔術学院の生徒が従軍するとしたら、おそらくここでの防衛戦だ。防衛が成功すれば長期戦になる」
「気候……そうだね」
ナーシアが風の匂いをくんくん嗅いで、ふんふんとうなずく。
「もしかして、ここって結構蒸し暑い?」
「ああ、低地だからな。夏は蒸し暑いし、冬は山から吹き下ろしてくる寒風が強い。過ごしやすい場所じゃない」
監視塔で一泊したときはつらかった。
「長期間の防衛戦になれば、武装した連中が何万人も野営することになる。通常の野営よりも負傷や疲労で衛生状態が悪くなるし、そこから疫病が蔓延することもある」
戦死者より病死者の方が多いなんてこともざらだ。
「王室が求めているのは『死なない魔術師』だ。『念話』の腕前ももちろん大事だが、何よりも消耗率が低いことが優先される。魔術師の補充はどうしても時間がかかるし、戦闘の最中に死なれると指揮系統が大混乱に陥る」
そして何よりも、未来ある若者をこんなことで死なせたくない。死ぬのは俺みたいなジジイだけで十分だ。
だがその思いは胸の奥にしまっておく。
「それはそれとして、こっちに来てメシでも食え」
俺が弁当の包みを開くと、みんながそれを覗き込んだ。
「なんだこれ」
「握り飯を知らんのか」
俺は塩味の握り飯をひとつ頬張り、故郷の味を堪能する。
「サフィーデではあまり米を食べる習慣がないが、ベオグランツ南端の旧ゼオガ地方では稲作が盛んでな。こうして炊いた飯を携行する習慣がある」
「それ日持ちしなさそうだし、たぶんパンの方が便利よね?」
アジュラが不気味そうに握り飯を見つめているので、俺は白米についても講釈を垂れる。
「まあそうだが、小麦と違って米は粉にする必要がないからな。それに手間さえかければ小麦より多くの人口を養うことができる」
むしゃむしゃと握り飯を頬張る俺。
「ベオグランツ帝国が強大なのも、稲作が可能な穀倉地帯を抱えているのが一因だ。兵を飢えさせては一軍の将とは呼べんからな」
するとスピネドールが妙に感心したようにうなずく。
「なるほど。帝国との国境地帯で帝国の強さについて学ぶ食事という訳か。さすがは1年生筆頭、面白いヤツだ」
スピネドールは格好をつけながら握り飯を手に取る。
そして嫌そうな顔をした。
「……おい、なんだこれは」
「だから握り飯だと言っている」
「いや、この妙にべたつくのは……」
俺は3つ目の握り飯を頬張りながら、当たり前のことを教えてやる。
「握って塊にできることを考えれば、相応の粘り気があるのが当然だとは思わないか、2年生筆頭?」
「むむう」
握り飯と俺の顔を交互に見比べながら、おそるおそる握り飯を食べるスピネドール。
「妙な味だ」
「慣れれば美味いぞ。そうだ、いずれベオグランツ領の稲作地帯に連れて行ってやろう」
新米を食えば感想が変わるかもしれないからな。
だがスピネドールはギョッとした顔をして、ほっぺたに米粒をつけたまま俺を見る。
「それはつまり、サフィーデが帝国を征服するという意味か?」
そういうつもりで言ったんじゃないんだが。
しかし弁明する前にトッシュが軽薄な口調で割り込んできた。
「ジンならできる気がするぜ」
「確かにな」
おいそこ、勝手に通じ合ってるんじゃない。