第57話「黒と白の疑惑」
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俺たちは予定より2日遅れて、サフィーデ南東部にあるシュナン村にようやく到着した。
大変だった。
「大変だった……」
考えてることがそのまま口に出てしまうぐらい大変だった。
「どうしたの、ジン?」
後方のやや頭上の辺りから、ナーシアの声が聞こえてくる。
彼女は今、俺が召喚した浮遊円盤に乗ってふよふよと飛んでいるところだ。
本来ならこんな行軍はありえないのだが、こうでもしないとあと数日はかかりそうだったので仕方なかった。
俺は振り返ると、深く溜息をついた。
「お前はもう少し、野営に慣れろ」
ナーシアは小さくうなずき、拳を握ってみせた。
「がんばる」
するとマリエが念話で話しかけてくる。
『箱入りお嬢様だとは思っていたけれど、まさかここまで野宿がダメなんてね』
『野営をした日はほとんど眠れなかったそうだからな。蚊に刺されただの、寝床に小石が入っただの……』
ナーシアは特待生4人の中でも特に優秀な生徒で、魔術理論や自然科学については学年トップだ。理論派、実験室の魔術師といえる。
だから野外活動は苦手だろうというのは、俺も予想はしていた。ちょっと予想を超えただけだ。
俺はナーシアの名誉のため、こう答えておく。
『書庫で読んだことがある。人間の中には2割か3割ぐらいの割合で、外部からの刺激に過敏な者がいる』
もともと、人間の感受性は個人差が大きい。何に対して敏感に反応するかも人それぞれだ。
ナーシアの場合、特に触覚が敏感なようだ。蚊に刺された痒みも、豆粒ほどの小石のゴツゴツした感触も、彼女には耐えがたい苦痛らしい。
こればかりは生まれつきなのでどうしようもない。訓練してもそれほど改善はされないだろう。
マリエが溜息をつく。
『困ったものね』
『外部からの刺激に対して敏感というのは、学習においては良い効果をもたらすことが多い。彼女の優秀さは、その過敏さと表裏一体なのかもしれんな』
人には誰しも長所と短所があるが、それは表裏一体であることも多い。都合の良い面ばかりを評価し、都合の悪い面だけを直せと言うのは酷な話だ。
『とはいえ、これでは行軍に随伴などできんな』
ナーシアは優秀だが、前線には不向きなようだ。後方の作戦司令部のような拠点に配置して、その優秀さを発揮してもらうのがいいだろう。
『やはり実地でやらせてみないと、何事もわからんものだな』
『そうね。これが実戦だったら、彼女死んでたわ』
『他にもこういう生徒がいるかもしれん。ゼファーにも相談した上で、野外活動訓練は正式に導入しよう。生徒の適性診断にもなる』
予定はだいぶ狂ってしまったが、ナーシアのおかげで貴重な知見が得られた。彼女に感謝しよう。
それはそれとしてだ。
「そろそろシュナン村だ。もう降りて歩け」
「便利すぎてもう手放せない……」
ナーシアが浮遊円盤にぺたりとへばりつき、未練がましく悶えている。
水平を完璧に維持して滑らかに移動する円盤だから、乗り心地は最高だろう。
だがそれを引っ張っているのは、俺の魔力だ。疲れるんだぞ、これ。
「降りないのなら術を畳むぞ」
「わわっ!? 降りる、降りるから」
もぞもぞと降りてきて、尻餅をつくナーシア。運動はまるでダメだな。
帰ったら俺が直々に体術の指導をしてやろう。
俺は浮遊円盤を消して、ナーシアに手を差し出す。
「ここまで来たらもう少しだ。シュナン村に着いたら羊料理と清潔なベッドが待ってるぞ」
「えっ、ほんと? じゃあ、がんばっちゃおうかな」
照れくさそうに笑いながら、ナーシアが俺の手を握り返す。
それを見ていたトッシュが一言。
「そういうところだぞ、ジン」
「何がだ」
「そういうところだ」
どういうところなんだよ。若者文化は俺にはさっぱりわからん。
ビアジュ家の領地だったシュナン村と、その近くにあるビホーク村。
いずれもごくごく普通の農村だが、今はマルデガル魔術学院の荘園だ。魔術学院は王室所有なので、実質的に天領となっている。
荘園の管理は地元の郷士がそのまま引き継いでいた。
「ようこそ、魔術師殿」
シュナン村の郷士が俺たちを出迎えてくれる。
ここの郷士はビアジュ家に代々仕えていたはずだが、それを悲しんでいる様子は報告されていない。少なくとも、ジロ・カジャからのレポートにはない。
そういえばジロ・カジャはどこだ?
そんなことを考えていると、ひょこりと白猫の使い魔がやってきた。もちろん誰にも見えていないし、聞こえてもいない。
『マスター、この人は大丈夫そうです』
『大丈夫かどうかを判断するのは俺だ。結論ではなく情報を出せ』
ジロ・カジャの最大の問題点はこれだ。勝手に結論を出す。
高い分析能力と判断力を持っているせいで、ジロ・カジャは常に主導権を握ろうとする。未熟な魔術師だと使い魔の召使いにされてしまう。
すかさずタロ・カジャが口を挟む。
『そうだよ、勝手なことしないでくれる?』
『はーい、すみませーん』
全く反省していない口調で、ジロ・カジャはレポートを送信してくる。
一瞥して、事情はだいたい理解できた。
『なるほど、王室直轄領になったことが嬉しい訳だな』
『はいっ! ビアジュ家みたいな田舎の弱小領主の家来より、天領の代官やってる方が栄達が見込めそうですよね!』
俺はうなずきつつ、ジロ・カジャに釘を刺す。
『使い魔が人間を値踏みするのは感心せんな。以降、慎むように』
『はーい、プロトコル更新しまーす』
どうだか。
話がだいぶそれてしまったが、とにかくシュナン村郷士は信用しても良さそうだ。
彼らが俺たちに敵対するとしたら、王室よりも強大な存在……つまりベオグランツ帝国が絡んできたときだろう。
ジロ・カジャは得意げに「なーん」と鳴く。
『ね、大丈夫そうでしょう?』
それは認めるが、完全に信用できないのはこいつも郷士も同じだ。うっかりしていると足をすくわれる。
俺たちは郷士に挨拶し、学院長からの書状を手渡す。
「こちらは代官の正式な委任状です。今後も引き続きシュナン村の管理をお願いしたいと、学院長が申しておりました」
すると郷士はそれを恭しく受け取った。
「おお、これはかたじけない。大切にいたしましょう」
あれは何かあったときに郷士の地位を守る大事な武器になるからな。
まだまだ付き合いが浅い者同士、まずは安心してもらうことが大事だ。
「皆様お疲れでしょう。ささ、宿舎を手配しております。古い屋敷を手入れしましてな」
こうして俺たちは無事、シュナン村に拠点を確保した。
トッシュたちには、明日まで村内での自由行動を許可する。ただし村民に迷惑をかけないよう、念を押してからだ。
「明日は農村と山林を用兵的な視点で見学する。講師にサフィーデ王室の武官を招いているので、解説してもらう予定だ」
「うえー……」
トッシュが嫌そうな顔をするが、スピネドールは興味津々だ。
「面白そうだな。軍学にも興味がある」
だろうな。
俺はその後、部屋に引っ込んでジロ・カジャから詳細な報告を受ける。
「ビアジュ家の様子について、その後の報告をしてくれ」
「はいっ、マスター!」
猫のくせに敬礼なんかして、白猫の使い魔はよどみなく語り始める。
「ビアジュ家の先代当主についてですが、屋敷からほとんど出てきません。書類仕事もしていませんし、当代である息子とも日常会話しかしていませんよ。だから大丈夫です!」
「大丈夫かどうかを決めるのは俺だ」
「あっ、失礼しましたっ!」
どうも調子が狂うな。いや、こいつの前向きな性格はピンチのときに主を奮い立たせてくれる……はずだ。たぶん。
設計を間違えたかもしれない。少し後悔はある。
「当代の方はどうだ? 滞在中に一度は挨拶に行く予定だが、その前に詳しく知りたい」
「まだ20代ですが、しっかりした人ですよ」
使い魔の人物評なんて全くアテにならないが、その後の報告でジロ・カジャの説明がだいたい合っていることはわかった。
「執務に精励し、生活に乱れはなく、村民からの人望も篤いと……」
「そういう風に見えました、はい」
ジロ・カジャがピシリと敬礼する。あんなモーション登録したっけ?
俺の部屋に遊びに来たマリエが、少し安心したように言う。
「それなら大丈夫そうね」
「いや、どうかな」
俺は魔術書を開いて監視リストを表示し、指先でトントン叩く。
「ジロ・カジャの処理能力に余裕を持たせるため、監視対象は絞り込んでいる。リストから漏れている人物が何かしていた場合、気づけない可能性もあるな」
もちろん露骨に変な真似をしていたらジロ・カジャが気づくだろうが、人間の心理に疎い使い魔を欺く方法ならそれなりにある。
「ビアジュ家の先代と当代の会話記録全てと、彼らが直接間接に指示や報告で関わった人物を全てリストアップしろ」
「大変な量になりますよ?」
ジロ・カジャが首を傾げるので、俺はタロ・カジャを手招きする
「検証はタロ・カジャにもやってもらう。……こいつは人間のことをよく理解しているからな」
すると黒猫の使い魔がうなだれる。
「めんどくさいです……」
「えっ!? 『めんどくさい』!? 使い魔が!?」
白猫の使い魔は僚機の発言を理解できず、しばらく硬直していた。