第55話「魔女が少女だった頃」
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【魔女が少女だった頃】
「マリアム、この子がシュバルディンじゃよ」
師匠がそう言ってにっこり笑った。笑うと本当に幼い少女にしか見えないが、これでも世間で評判の大魔術師だ。
「ほれほれ、兄弟子に挨拶せぬか」
師匠が促すので、私はシュバルディンという人に視線を向けた。
黒髪の少年だ。歳は私と同じぐらい、いや、ちょっとだけ年上だろうか。東方移民であるゼオガ人の年齢は私には読めない。
ついさっきまで何か本を読んでいたようだが、表情がやけに険しい。ちょっと怖い。
私はおずおずと頭を下げる。
「……どうも」
「うん」
そっけない感じで軽くうなずくシュバルディン。やっぱり怖そうな印象だ。
するとシュバルディンは急に表情を変えた。笑ったのだ。
「ああ、すまん。ずっと考え事をしてて挨拶が疎かだった。俺はシュバルディン。本名は……まあいいだろ、シュバルディンだ」
シュバルディンというのは本名ではないらしい。確かにゼオガ人っぽくない。
険しい表情のときは凍てつく冬の嵐のようだったのに、笑うと初夏の涼風のように爽やかだった。その激しい落差に、思わず見とれてしまう。
「マ……マリアムです」
「南トリバルディア系のいい名前だな。これからよろしく」
にっこり笑ったシュバルディンだったが、挨拶が済むとまた表情に陰りが出てきた。冬の曇り空のような、暗く救いのない表情だ。
「午後のお茶の時間にでもゆっくり話をしよう。また後で」
「あ、はい」
シュバルディンは険しい表情になると、再び書物に視線を落とす。ペンを手に取り、何かを猛烈な勢いで書き記していた。
「ダメだ、これじゃ10人も殺せずに魔力が枯渇する。最低でも100人……いや待てよ。遅延分詞をここに入れて、隊列の後方で爆散させれば……」
完全に自分の世界に没頭している。私は途方に暮れて、師匠を振り返った。
「あの」
「わしの弟子たちは皆、個性的でのう」
個性的で片付けてしまっていいんだろうか? あと物騒な言葉を口走っていた気がするが、それもいいんだろうか?
しかし師匠は全く気にせず、とてとて歩き出す。
「弟子たちの中でも、シュバルディンは特に愛想が良くて面倒見が良いからの。何かあれば頼りにすると良いじゃろう」
あれで? 少し心配になってきた。
「さて、次は……おお、ちょうどよいところに。ゼファーよ、新しい仲間じゃぞ」
「いえ、今は実験中で忙しいのですが」
眼鏡をかけた青年が立ち止まり、ちらりと私を見る。端正な顔立ちだが、ちょっと神経質そうだ。
「君が新入りか。私はゼファーだ」
「よ、よろしくお願いします。私は」
「マリアムだろう? 警戒紋の音声を拾ったからわかる」
それだけ言うと、端正な顔立ちの青年はシュバルディンに呼びかける。
「おいシュバルディン、『書庫』から召霊術の用例集を出力してきてやったぞ」
「悪いな、そのへんに置いといてくれ」
「兄弟子に雑用をさせておいて何なんだ、その態度は……」
「うるせえ! こっちは一刻を争うんだよ!」
まるで狂犬だ。やっぱりシュバルディンもまともな人間には見えない。
「まあ、仕方ないだろうな。ではここに置いておこう」
ゼファーは溜息をついて机に本を1冊置くと、残りの書物の束を抱えてスタスタ歩いて行ってしまった。
なにあれ。
「うむうむ、皆それぞれに励んでおるようじゃのう。すまんなマリアム。皆、おぬしに戸惑っておるのじゃよ」
「そう……なんですか?」
さっきからまともな弟子が1人もいないので、だんだん不安になってきた。
しかし師匠はにこにこ笑っているだけだ。
「ふふ、初々しいじゃろ?」
「どうなんでしょうね……」
本当にどうなんだろうと、今でも思っている。
* * *
やがてトッシュたちが薪を集めて戻ってくる。
「だいぶ集めてきたぜ」
「ずいぶん遅かったな」
スピネドールがそう言って立ち上がると、トッシュが集めてきた薪を見る。
「時間がかかった割に少ないな。お前、さぼってたんじゃないだろうな?」
「アジュラがいるのにできないですよ、そんなこと」
「それもそうか」
いつも思うけど、お前たちの会話ってだいぶひどいな。
するとアジュラが横から説明する。
「良さそうな薪をしっかり選んできたから。ね、トッシュ?」
「ん? うん」
なんだその微妙な返事は。
やっぱりさぼってたんだろうか。まあいい、詮索はやめておこう。
スピネドールも疑わしそうな顔をする。
「薪に良さそうも悪そうもないだろう?」
「いや、あるでしょ。ちゃんと選ばないと燃えないもん」
アジュラが言い、トッシュもうなずく。俺もうなずく。
しかしスピネドールは首を傾げた。
「そういうものか……?」
あ、わかったぞ。
「さてはお前、質のいい薪しか使ったことがないな?」
「どういうことだ?」
俺はトッシュが集めてきた薪を見て、二人の丁寧な仕事ぶりに満足する。
「生木は水分を多く含んでいるから燃えにくい。だから本来はしっかり乾燥させてから使うんだ。スピネドールは乾燥してない薪を使ったことがないんだろう」
俺はクロモジの枯れ枝を取る。
「2人はちゃんと枯れて水分の抜けた枝を拾ってきている。特にこういう油分の多い木は着火用に重宝するんだ」
「そうか」
素直にこっくりうなずくスピネドール。
俺は薪を選別して、用途別に並べ直す。
「最初は火が小さいから、燃やすのは小枝や樹皮がいい。特に針葉樹がいいな。ない場合は薪を鉈で細く割る必要があるが、今日は大丈夫だ」
「なるほど、勉強になる」
魔術学院もそうだが、スピネドールの実家だと着火剤も道具も上等なものを常備しているはずだ。熾火や種火を育てるのも使用人がやるんだろう。
庶民ならこんなことは子供の頃から知っている。
魔術学院の生徒は富裕層の子弟が多いから、貴族も多数いる。彼らはこういうちょっとした生活の知恵を知らないので、やはり覚えてもらう必要があるな。
俺はサフィーデ産の上質な火打ち石を取り出し、鉈にカチカチと打ち付ける。
「まずは着火用の獣毛に火花で火をつける。すぐに消えてしまうから、さっきのクロモジの小枝で火種に育てる。この火種を細めの薪で少しずつ育てる」
「いくら俺でも、そこから先はわかるぞ。火種の上に薪を組むんだ」
スピネドールがフフンと鼻を鳴らす。そこは別に威張るとこじゃないだろ。
「貸せ、俺がやってやろう」
「まあ待て。ここからが本題なんだ」
みんなに教えておきたい技がある。
俺は何本かの薪に火を移すと、それを放射線状に並べた。中心部で薪の先端同士がくっついて、そこだけ燃えている。
マリエが不思議そうな顔をする。
「何をしているの……?」
「昔、スワンジャ地方を旅したときに平原の民がこうしていた。やり方を教えてもらったが、非常に優れた方法だ」
後で『書庫』を調べて知ったことだが、異世界の「ネイティブアメリカン」と呼ばれる人々も同じような方法を用いていた。それだけ合理的な方法なんだろう。
だが今度はトッシュが首を傾げる。
「むかし?」
「『何年か前』に、師匠のお供でな。いいから聞け」
俺は慌ててごまかす。こいつ意外と鋭いから、油断してると正体がバレそうだ。
「この方法だと、薪を動かすだけで火力が調節できる。中心部に薪を寄せれば火力が増え、引っ張れば火力が落ちる」
「こんな小さな火、何に使うの?」
ナーシアの問いに俺は答える。
「大きな火は近寄れないが、こういう小さな火なら近づいて暖まることができる。眠ったら凍死するような夜だと、薪を節約しながら朝まで暖を取るしかない。そういうときに役立つ」
実際、これで命を救われたこともある。知恵は力だ。
もしサフィーデ軍が大敗を喫して壊滅したとしても、生徒たちが生きて魔術学院まで帰ってこられるようにしておきたかった。
どれだけ瀕死であろうとも生きて戻りさえすれば、俺たちが必ず助ける。
だから今回は物資はなるべく現地調達して、痕跡を残さずに隠れながら野営する方法を教えておく。
「各自、これを独力で作ってみてくれ。焚き火は野営の基本だ」
俺はそう言うと立ち上がる。
トッシュとアジュラは気づかなかったようだが、さっきからちょろちょろうるさい連中がいるな。
何者かはわからんが、放置もできんな。




