第54話「夜がくる前に」
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「今回の目的地は、国境地帯にあるシュナン村だったな? 確か学院に寄進されたとかいう」
スピネドールが質問してきたので、俺は歩きながらうなずく。
「そうだ。ビアジュ家と王室が何か揉めたらしくて、そのお詫びにビアジュ家が寄進してきた村らしい。没収だと体裁が悪いからな」
『いけしゃあしゃあと……』
カジャがぼそっと言ったので、俺は念話で返す。
『大人の事情は大人だけ知っていればいいことだ』
それに真相を明かすと、せっかくビアジュ家のメンツを守ったのが無意味になる。
『タロ・カジャよ。ジロ・カジャからの連絡は入っていないな?』
『大丈夫みたいですよ。ジロ・カジャは現在もビアジュ家を監視してますが、不穏な動きは確認されていません』
『確認されていない、か』
確認されていないのと、存在していないのは違う。一応警戒しておこう。
俺はお手製の「旅のしおり」をめくる。
「確認しておくが、学院からシュナン村までは行軍演習と野外活動演習を兼ねている。シュナン村では荘園と国境地帯の視察を行う」
「聞けば聞くほどつまんなそうだな……」
トッシュがさっそく嫌そうな顔をしているので、俺は苦笑した。
「心配するな。予定に遅延を生じさせない限り、道中の行動はおおむね自由だ」
「自由って言っても、何日も野宿させられるんでしょ?」
そう言ってきたのはナーシアだ。野外があまり好きではないらしい。
俺は彼女に言う。
「仕方ないな。従軍するようになれば、否応なく野宿する機会が増える」
魔術師たちは通信兵なので、指揮官と同伴することが多いはずだ。指揮官が民家や宿を借りられる場合は、そちらで宿泊できるだろう。
とはいえ、それも確実ではない。野宿にも慣れてもらわないと。
「さて、まだ日は高いが野営の準備をしよう」
「あら? でもまだ歩けるわよ?」
アジュラが首を傾げたので、俺は首を横に振る。
「設営に時間がかかる。夜がくる前に完了させないとな。それに」
俺はサフィーデ軍の戦術教本を思い出す。
「1日の行軍距離はおおむね決まっている。あまり無理をすると脱落者が出るし、戦場に着いたときに疲労で戦えないからだ」
アジュラが納得したようにうなずく。
「ふーん……なるほどね」
「だからサフィーデ軍も1日の行軍距離を『平時300アロン、戦時400アロン』と定めている」
平時の300アロン(30km)はそれほど難しくはないが、400アロン(40km)は結構厳しい。なんせ武器や鎧を身につけた大集団だ。どうしても道中でトラブルが起き、予定が狂う。
だがそれは将軍たちが考えれば良いことなので、俺たち魔術師は行軍についていけるようにするだけだ。
「今日は既に300アロン歩いた。それにこの先は深い森だ。野営すると山賊や狼が出るかもしれない。さっさと休んで明日に備えるぞ」
学生寮の快適な寝床と違って、野営では疲れが取れない。どうしても疲労が蓄積するので、早め早めの休息が不可欠だ。
するとスピネドールが口を開く。
「よし、ジンの言う通りにしろ。俺とナーシアは野営地の設営だ。トッシュとアジュラは周辺で薪を集めてこい。その際、不審なものがあれば報告しろ」
手際いいな、こいつ。俺が言おうと思っていたことを全部やってくれている。
トッシュが面倒くさそうな顔をした。
「スピ先輩が薪集めでもいいじゃん……」
「お前はやることが大雑把すぎる。お前の天幕で寝るのはお断りだ。あと『スピ先輩』はやめろ」
「ちぇー」
拗ねるトッシュに、スピネドールは小さく溜息をつく。
「それにな、悔しいが俺は野外活動に慣れていない」
「え?」
「お前は神殿の裏山で遊び回っていたそうだから、薪集めは得意だろう?」
「まあ……そうですけど」
まんざらでもなさそうな顔をして、トッシュが笑みを浮かべる。
「じゃ、じゃあ薪集めてきます。おい、行こうぜアジュラ」
「はいはい、行きましょ。鉈持った?」
「おう、持った!」
「いちいち抜かなくていい! これだから男子は!」
二人は連れ立って雑木林の奥へと歩いていった。
その間にも、スピネドールは次々に指示を出す。
「ジンは何かやることがあるんだろう。マリエとユナはそれを手伝え。余裕があればこっちの手伝いを頼む」
「ええ、わかったわ」
「はぁい」
うーん、スピネドールの意外な一面を見た気がする。こいつ人を使うのがうまいな。
そう考えると、やっぱり貴族の子なんだろうな。それも使用人が大勢いる名門の家柄だろう。本物の貴公子という訳だ。学院での人気も納得できる。
するとスピネドールが俺を見た。
「どうした? 何かまずかったか?」
「いや、助かる。指示が的確だな」
「こんなものは慣れだ。それより天幕を張るのを手伝ってくれ」
俺には好きなことをやらせてくれるんじゃなかったのか?
不思議に思いながらも一応うなずくと、スピネドールは小さな声で言う。
「女子は行軍で見た目以上に疲れているはずだ。力仕事は俺たちでやろう」
「……そうだな」
サフィーデ軍が定めている行軍の目安は、訓練された健康な成人男子を想定している。わかってはいたことだが、10代の女の子にはかなり厳しいだろう。
それに慣れてもらうのがこの行軍演習の目的だ。戦争という闇夜が訪れる前に、全ての準備を終えておかねばならない。
だが今回はスピネドールの意志を尊重することにする。
その代わり、実戦でも同じように女子生徒を労ってくれよ。
スピネドールが天幕用の太いロープを持ってくる。
「よし、設営するぞ。ジンは支柱を立てておいてくれ」
「わかった。もやい結びはできるか?」
「なんだそれは」
ああもう、やっぱお前貴族だろ。結び方の定番だぞ。
「俺が結ぶ。お前が支柱を立ててろ」
「いや、せっかくだから覚えておこう。おい教えろ」
「それが人に物を教わるときの態度か」
俺が10代の少年と大人げなくモメている間に、女子たちはてきぱきと何かを進めている。
「マリエさん、その緑の三角は何ですか? わあ、いい匂い!」
「虫除けのハーブで作った自家製の練り香よ。香炉に入れて、天幕の風上に吊しておきましょう」
「香炉もおしゃれですね、かわいい!」
くそっ、女子たちめ。
するとスピネドールが俺に声をかけてくる。
「おいジン、ここからどうやって紐を通すんだ」
「だから、そっちの結び目に通……待て、そこは握ってろ。ほどけるだろ」
「む?」
無情にもパラリとほどけた紐を見下ろし、スピネドールが眉をひそめる。
「信じられん。こんなものが本当に結べるのか?」
「俺はお前が信じられんぞ」
男子は男子でバカばっかりだ。
俺は溜息をつきつつも、少し新鮮な気分で野営の準備を進めていく。
いつも野営は1人だったから、こういうのは久しぶりだよ。