第53話「生煮えの想い」
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サフィーデに賢者と名高いゼファーが、難しい顔をして口をもぐもぐ動かしている。
「これがトッシュ君の作ったゼオガ風野菜汁か」
だいぶ苦労して呑み込んだ後、ゼファーは軽く咳をする。
「根菜が生煮えのようだが……」
「芯まで煮えてないのにトッシュが発酵豆を大量にぶち込んだからな。こんなにドロドロになったらもう煮えん」
ゼオガ地方には発酵豆の調味料があり、保存が利いて美味いので何にでも使う。料理に失敗したときにも発酵豆でごまかすから、「発酵豆をつける」は「失敗する」の慣用句だ。
ゼファーはしばらく無言で野菜汁を見ていたが、溜息をついた。
「発酵豆をつけたらどうかね」
「発酵豆をつけたからこうなったんだよ」
俺たちがこんな頭の悪い会話をしていると、マリエが椀に手をかざしてぐつぐつ煮込んでいる。魔法で電磁波を照射しているようだ。
「女子も料理のできる子とできない子の差が激しいわ。料理はできても火を熾せない子もいるし、その逆もね」
「魔術を学べるのは、もともと裕福な家の子弟に限られるからな。炊事や火起こしは不慣れだろう」
ゼファーがそう言い、生煮えの根菜を口に放り込む。
俺は兄弟子が修行僧みたいな顔で教え子の料理を食べているのがおかしくて、笑いながら口を開いた。
「この状態で戦地に送り出すのは不安だな」
「うむ」
するとマリエが椀の湯気越しに俺を見る。
「何か良い案があるのではなくて、シュバルディン?」
「『書庫』で少し調べてみた」
俺は学院長室の壁に、いくつか資料を投影する。
「師匠が巡った異世界の中には、学校教育の制度が確立している世界がひとつだけある。例の『神世』だ」
他の異世界では公教育の制度が十分に普及しておらず、こことさほど変わらない。
「『神世』の学校にもいろいろあるが、十代の少年少女が学ぶ学校……コーコーとか言ったかな」
するとカジャがサッと助け舟を出してくれる。
「はい、あるじどの。コーリツコーコーです」
コーだらけで発音しにくいな。
「そのコー……まあとにかく学校だ、そこには楽しみながら学べる工夫が凝らされている」
「楽しむ必要があるのかね?」
ゼファーが3つ目の根菜を口に運びながら言うので、俺は言ってやった。
「では聞くが、師匠の講義は退屈だったか?」
「とんでもない。毎日が驚きと興奮、それに達成感で満たされていた」
ゼファーは生煮えの根菜をボリボリ噛みながら、ふと遠い目をする。
「そうか、なるほど。私たちがここまで学びの道を歩めたのは、楽しみながら学べたからだな。私たちばかり楽しんで、学院の生徒たちに楽しみがないのは不公平だ」
「確かにそうね。楽しいと思えなければ努力は続かないわ」
飽きっぽい性格のマリエもうなずいている。
俺たちは三賢者だの何だのと呼ばれているが、自分の好きな学問を楽しみながら勝手に研究していただけだ。普通の人たちが趣味に没頭するのと何も変わらない。
だからこそ、「楽しむ」ということの重要性は理解していた。
「話を戻すぞ。『神世』のコーコーには、講堂を離れて野外で活動する学習活動がある。これを取り入れれば、生徒たちは楽しみながら野外活動の訓練ができるだろう」
「それは良い案だな。王室からも魔術師たちが行軍に耐えられるよう、しっかり訓練して欲しいと要望されている」
本来、学校とは生徒のために存在するべきものだが、このマルデガル魔術学院は国のために存在している。サフィーデ王室が求める人材を養成する場所だ。
だから王室の要望には応えなければならない。
「軍学校でもないのに軍事教練をするのは気が進まんのだが、ここは実質的には軍学校だからな」
俺がそう言って溜息をつくと、ゼファーもうなずいた。
「すまんな。学校設立の際、私がもっとうまく説得できれば良かったのだが」
「いや、誰が説得してもこれが限界だろう。むしろよくここまでこぎつけたものだ」
もっと平和になって国全体が豊かにならなければ、生徒のための学校なんてものは作れないだろう。今はこれで我慢するしかない。
「では野外活動訓練をカリキュラムに採用したいと思うが、いきなり導入する訳にはいかない。まず少人数で試験的に実施してみる」
俺の言葉に、ゼファーが4個目の根菜を呑み込みながらうなずく。
「承知した。必要な手配は私がするから、教官長の裁量で進めてくれ」
「わかった」
それから数日後、俺はいつものメンバーを集めて学院を徒歩で出発した。野外活動の予行演習だ。
「俺をお前たちの仲間に入れるのはよせ」
スピネドールが仏頂面で歩いているので、俺は苦笑する。
「すまないな。男子の頭数が足りないんだ」
「一年の男子生徒を適当に捕まえてくればいいだろう?」
「一般生はダメだ。『念話』の基礎教練がある」
特待生は全員『念話』が使いこなせているので、その期間を別のことに充てられる。
俺は歩いている生徒たちを見た。
トッシュが主張する「四天王」は俺とトッシュが男で、アジュラとナーシアが女の子だ。
ただ、4人では野外活動のテストとしては規模が小さすぎる。隊列も作れない。
そこで「念話」の訓練がもう必要ない一般生……つまりマリエとユナを加えると、男女比がどうしても崩れる。
だから俺はスピネドールに説明した。
「若い女の子が集団で旅をすれば、良くない連中に必ず狙われる。男手が必要だ」
「それはわかるが……」
スピネドールは気難しいが、決して冷淡な人間ではない。むしろ世話を焼きすぎるタイプだ。
「それならむしろ、衛兵なり教官なりを同伴させれば良かっただろう?」
シュバルディン教官長がここにいるよ。
それは明かせないので、俺は肩をすくめてみせる。
「あくまでも生徒の力で何とかするのが、この野外活動の趣旨だからな」
「ふん」
不満そうな返事をするが、スピネドールはすぐに声を張り上げる。
「トッシュ、お前の相方は誰だ!?」
「え? えーと……アジュラだっけ?」
「ちゃんと覚えておけ。何かあればアジュラを守るのはお前の役目だぞ」
危険な場所で行動するとき、1人よりも2人組の方が圧倒的に生還率が高い。人間は連携することで何倍も強くなる生き物だからだ。
だから俺は生徒たちをバディで行動させることにした。
組み合わせについては、マリエと相談して決めてある。はしゃぎすぎるトッシュにはお目付役としてアジュラを充てた。ナーシアやユナでは少し気の毒だからだ。
そしてスピネドール先輩がトッシュに何やら言い聞かせている。
「いいか。真の騎士には、か弱き女性を守る義務がある」
「こいつ全然か弱くないんですけど……ていうか俺、騎士じゃなくて神官の子で……」
ぐだぐだ言うトッシュに、スピネドール先輩が一言。
「お前がモテないのはそういうところだぞ」
「急に言葉の刃が!?」
アジュラは気が強いように見えるが、ああやって自分を奮い立たせている面もある。人並みに不安や恐れを感じる少女だ。
「スピ先輩、もう少し優しく言ってくださいよ!」
「お前に優しくする必要があるのか?」
「ないですけど」
トッシュのメンタルは頑丈だが、どういう経歴を歩んできたらこうなるんだ?
経歴といえば、スピネドールの経歴もよく知らないな。貴族なのは間違いないはずだが。
そんなことを考えていると、ユナがふと口を開いた。
「私たちだけ3人1組でいいんですか?」
「いいのよ」
そう答えたのはマリエだ。
「トッシュ&アジュラ」そして「スピネドール&ナーシア」のバディは、全員が破壊魔法もそれなりに使える。ちょっとした脅威は武力で解決できるだろう。
しかしユナは破壊魔法が不得手なので、誰かが守らなくてはいけない。
だからユナには俺とマリエのバディに入ってもらい、何かあれば俺が全体の指揮を執りつつ、マリエがユナを守る。そういう方針だ。
もっともそれは秘密なので、俺は曖昧に答えておく。
「3人1組での試験も兼ねているそうだ。シュバルディン教官長がそう言っていた」
そこにマリエが守秘回線の念話で話しかけてくる。
『でもこれ、どうしても男女で組ませることになるわね』
『学院の男女比がほぼ半々だし、女子生徒の2人組では危険すぎるからな』
どんな服装をしていようが、女性だけだとロクでもない連中に狙われやすい。
平民や郷士の中には追い剥ぎに豹変する連中もいる。彼らにとっては山菜採りと同じような感覚だ。酷いときには領主や神官が追い剥ぎに加担することもある。
だから女子生徒だけでバディを組ませることはできない。
『これが定例行事になると、あちこちで恋が生まれそうね』
『ははは。数日間一緒に行動したぐらいで恋が生まれるのなら、俺とお前はどうなってしまうんだ? そう考えれば、さほど心配せずとも大丈夫だろう』
俺は苦笑する。
若い頃のマリエ、いやマリアムはとても可愛かったので、俺も少なからず心が揺れ動いたものだ。当時は俺も若かった。
もっともその頃の俺はベオグランツ人への復讐ばかり考えていたから、俺は恋愛などしなかった。マリアムからもずっと避けられてるような感じだったしな。
やはり復讐鬼なんかに振り向く女性はいないのだろう。少々手遅れだが、良い教訓にはなった。
するとマリエが俺をじっと見る。あの頃と同じ顔、同じ表情だ。
『そういうところよ』
『何がだ』
『あなた、人間について何を学んできたの……?』
『まあ、いろいろと……』
人情の機微に疎い俺でも、さすがにお前に嫌われてることぐらいはわかってるよ。だからこうして誤解を招かないよう、俺なりに気を遣ってるんだ。
もうお互いに恋なんて歳でもないし、旧知の学友として交流できればそれで十分だ。
それなのにマリエが深々と溜息をついたので、俺は少し傷つく。
さらにアジュラが俺をちらりと見た。
「ジン、今マリエと念話で何か話してたでしょう?」
「ああ、ちょっとな」
アジュラはやたらと察しがいいな。
するとアジュラが俺を軽く睨む。
「これ以上マリエを困らせたら、女子全員が敵になると思いなさい」
俺が何をした……。