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第52話「賢者の料理講座」

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   *   *   *


【マリエの料理教室】


 マリエは鍋をのぞき込むと、野菜の煮え具合を確かめた。

「さすがね。具材に合わせて切り方を工夫してたし、皮むきも丁寧だったわね」

「貧乏性ですから」

 ユナが照れくさそうに笑うが、マリエは首を横に振る。



「いいことだと思うわ。それに料理の秘訣は『基本に忠実に、そして丁寧にすること』。でもそれは魔術も学問も変わらないわね……」

 意外な気づきがあるものねと、マリエはふと微笑む。



 それから今度はかまどをのぞき込み、燃えている薪を観察する。

「うん、いいわね。これなら鍋の置き場所を変えれば火の強弱も調節できるし、薪の量も無駄がないわ」

「ありがとう、マリエさん」

 ユナが微笑み、こう続ける。



「でもこんなことばかり得意でも、立派な魔術師にはなれませんよね」

「そんなことはないわ。この力は誰かを助け、自分自身も助ける力よ。食材を料理に変える魔法はないものね」

 あれば本当に楽なのにとマリエは内心で溜息をつく。



 一方、ユナは嬉しそうだ。

「えへへ。あ、そろそろ味を整えちゃいましょうか」

「そうね。芯まで煮えてるから、もうソースを入れても大丈夫でしょう」



 そんな会話をぼんやり見ているのが、特待生のアジュラとナーシアだった。

「あっち早いわね」

「アジュラ、よそ見してるとまた指切るよ」



 二人は慣れない手つきで包丁を動かし、芋の皮を剥いている。

 それをちらりと見たマリエが言う。

「そんなに包丁を動かすと危ないわよ。包丁は固定して、芋の方を動かしなさい」



 顔を見合わせる二人。

「意識はしてるんだけど……」

「手が追いつかないっていうか……」

 マリエはクスッと笑った。

「慣れればすぐにできるようになるわ。二人とも筋がいいから」



 アジュラも笑う。

「そ、そう?」

「ええ、もちろん。私があなたぐら……」

「ん?」



 マリエは小さく咳払いした。

「私があなたぐらいの腕前の頃は、なかなか上達しなくてずいぶん嘆いたものよ。あなたたちの方がずっと上達が早いわ」

 するとナーシアが首を傾げる。



「でもこれ、本当に勉強会なの? 料理してるだけだよね?」

「これも大事な勉強よ。生き延びるための大事な勉強」

 マリエは真面目な顔をする。



「ベオグランツ帝国との戦は、これからも続くわ。魔術師である限り、戦場に出る可能性は高いでしょう。そして戦場では何が起きるかわからないって、私の兄弟子が言っていたわ」



 ユナが鍋をかき混ぜながら、何かに気づいたように問う。

「もしかして、その兄弟子さんも戦争に?」

「ええ。望んではいなかったけれども、何度も戦場で戦ったわ」

 マリエは窓の外を見て、小さく溜息をつく。



「その人が言うにはね、『魔術師だからといって魔術しか知らない専門バカにはなるな』って。味方とはぐれてしまうこともあるし、部隊が壊滅して1人で逃げ惑うこともあるそうよ。そのときに魔法しか知らなければ、たぶん生き延びられないわ」



 その言葉にアジュラがうなずく。

「そうね。私もナーシアもお嬢様育ちだから、森や草原で一晩過ごせって言われたら途方に暮れちゃうわ」

「ユナはなんか手慣れてるけどね」



 ナーシアがそう言うと、ユナが頭を掻く。

「田舎育ちですから。農場の娘だと、何でも一通りできないと暮らしていけなかったですし」

「でもそれが、あなたの強さよ」

 マリエはそう言うと、アジュラとナーシアに言った。



「ほらほら、芋の皮むきに時間をかけすぎよ。生薬の調剤でも包丁は使うから、しっかり練習しておいた方がいいわ」

「だったら男子もやればいいのに」

「そうよね。さすがにジンだってこういうのはできないでしょ?」



 皮むきに苦戦しているアジュラたちがそんなことを言ったので、マリエはクスクス笑う。

「芋の皮むきなら、私よりジンの方が上手よ」

 シュバルディンは長い間放浪していたので、野外生活なら何でも得意だ。自炊も手慣れている。



「もっとも、見た目や盛り付けにこだわらないから食欲は湧かないけど……」

 なにせ「食えりゃいいだろ」が口癖の料理人だ。味も上等とは言いがたい。

(でもたまに無性に食べたくなるのは、なぜかしらね?)



 そんなことを考えていると、いつの間にかユナたちに囲まれていた。

「マリエさん、さっきからずっとジンさんのこと考えてるでしょ?」

「いつも澄ましてるのに、ジンのことになると表情が緩みまくるもんね」



 遥かに年下の少女たちに囲まれて、マリエは半歩後ずさる。

「別にそういう訳じゃ……」

「おっ、動揺してる動揺してる」

「ちょっと顔が赤くなってるよね?」



 もう半歩後ずさりたいが、煮えた鍋があるので逃げられない。

 マリエはチラチラと鍋を振り返りつつ、少女たちの包囲網に追い詰められていく。

「さあマリエ~? 白状し~ろ~」

「ジンさんカッコいいですよね! 実力や見た目だけじゃなくて、世話好きで真面目ですし!」



「いえ、そんなことないと思うけれど、あっ、ほら、鍋が煮えてるわ」

 何とか話題を変えねばと思うマリエだったが、アジュラたちは恋愛談義が大好きな年頃だ。

「鍋より熱くて煮詰まってる話題があるでしょー?」

「そうそう、ぜんっぜん進展がないから一部の女子が焦れてんのよ」



 アジュラの言葉にマリエが首を傾げる。

「なぜ?」

「そりゃ……」

 アジュラたちが顔を見合わせ、ナーシアが代表して答える。



「ジンがカッコいいからだよ?」

「そうよね、なんか告白の順番待ちになってるみたいだし」

「なっ!?」

 マリエが驚くと、握っていた木の杓子がみしりと鳴った。



 にんまり笑う少女たち。

「おんやあ?」

「焦ってる焦ってる」

「早く告白しないと、抜け駆けしちゃう子が出てくるよー?」



 マリエは賢者の名にかけて何か言わねばと思ったが、そのときちょうど鍋から焦げ臭い臭いが漂ってきた。

「ありゃ?」

「焦げてる焦げてる!」

 バタバタと走り回る少女たちを見て、マリエはほっと胸を撫で下ろした。



   *   *   *



 俺はトッシュと一緒に焚き火を熾しながら、彼に自炊の大切さを懇々と説く。

「『料理は女の役目』なんて考え方は捨てろ。お前も食事は自分で作れるようになれ」

「魔術の勉強だけでも大変なのに、今さら料理なんか覚えられねえよ!?」



 この国の神官たちは見習い時代に雑用全般をやらされるはずだが、神殿長の家柄だとそうでもないらしい。聖職者も管理職は世襲制だ。

「『男子厨房に入るべからず』ってのが、うちの家訓なんだけどな……」



「それはな、トッシュ。この国の女性は自分の部屋をなかなか持てないからだ。厨房ぐらいしか1人になれる場所がないんだよ」

 俺の父も「厨房にはむやみに行くなよ。母上の憩いを邪魔してしまうからな」としつこかった。



「あー、そうか。でもお前ってときどき、死んだ婆ちゃんみたいなこと言うよな」

 トッシュが薪をどんどん突っ込みながらぶつくさ文句を言っているので、俺は薪を少し減らす。



「燃料を無駄にするな。調理にこんな火力は必要ないし、燃やしすぎると煙が増える。戦場なら居場所を敵に知られることになるぞ」

 それを逆手に取って炊事の煙を大量に上げ、こちらの戦力や行動予定を敵に誤認させるという戦術もある。



 だがトッシュは不思議そうに俺を見上げた。

「いや、戦場なら炊事当番の兵がいるだろ?」

「大事なことを誰かに任せっきりにしていると、その誰かがいなくなったとき窮地に陥るぞ。美味いものを作れとは言わんが、調理ができるようにはしておけ」



「ジンが言うからには、なんか意味があるんだろうけどさ……」

 トッシュがまだ文句を言っているので、俺は少し考える。

 あ、そうだ。



「トッシュ」

「なんだ?」

「料理ができる男はモテるぞ」



 次の瞬間、トッシュの瞳に輝きが宿った。

「本当か?」

「当然だ。女性も毎日料理を作り続けるのは疲れるものだ。体調が悪いときもある。そんなとき、恋人や夫が料理を作ってくれたらどうだ?」



 トッシュは少し考え、うんうんと大きくうなずく。

「確かにそうだな。こんな面倒くさいこと、たまには誰かにやってもらいたいよな」

「だろう? だがサフィーデの男、特に良家の若者はほとんど料理ができない」

「なるほど! だったら一気に優位に立てる!」



 トッシュは立ち上がり、俺を真剣なまなざしで見つめた。

「ジン、教えてくれ! 俺に料理を!」

「ああ、うん……。今ちょうど教えているところだな」

 こいつはいろいろ問題のある少年だが、行動力と向上心は人並み以上に持ってるんだよな。だから尊敬している。



「調理の基本的な工程はたった3つだ。食材を切り、火を通し、味をつける」

「それだけ?」

「それだけだ」

 原始時代はそれすらしてなかったんだから大丈夫だ。



「とはいえ可食部の判断、包丁の使い方、食材ごとの加熱方法、調味料の使い方。覚えることはそれなりにあるし、慣れも必要だ。だが魔術を修めるのに比べればたやすい」

「ふむふむ」



「ではまず煮物からやってみよう。難しそうに見えるが、食えないようなものができることは少ない」

 とりあえずゼオガ風の野菜汁でも作ってもらおうか。

 あれと炊いた米さえあれば、どこでも生きていけるからな。


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― 新着の感想 ―
[良い点] お婆ちゃん可愛い。 …と思ったらお爺ちゃんも半分は同じ事を考えていたようです。
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