第5話『我が名は』
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その後、俺は詰所の門衛たちに呼び止められた。門衛たちはサフィーデ王国軍の制服を着ている。魔術師ではなさそうだ。
相手が武装しているのでちょっと緊張したが、どうやら通常の手続きらしい。
「さっき外が騒がしかったが……えーと、君は新入生か。受験番号と名前を」
このとき俺は、周囲の壁に精神魔法の結界が張り巡らされていることに気づく。『偽証』の術だ。他者を欺こうとする心の動きを感知するので、嘘をつこうとするだけで反応する。
青白く浮かび上がっている魔術紋をよく見ると、ゼファーの癖があるな。俺にはよくわからない公式や定数を使っているようで、通常の半分以下のサイズに収めている。
つまり俺には破ることができない。魔術師としての実力は兄弟子の方がやはり上だ。
だがまあ、本名は名乗っても問題ないだろう。
「受験番号029、『スバル・ジン』です」
「スバル・ジン?」
顔を見合わせた門衛たちが、俺に重ねて問う。
「珍しい名だな」
「はい。先祖がゼオガの氏族で、今でも名前を代々受け継いでいます。普段は通名ですが」
「なるほどな」
「ゼオガといえば遠い昔に滅亡した古代王国だな」
そう、俺の祖国は滅亡した。くだらない戦争のおかげで。
実は「スバル・ジン」が俺の本名だ。「シュバルディン」は通名に過ぎない。
国を滅ぼされて異民族の中で暮らすことになった俺が偏見や差別に曝されないよう、師匠がつけてくれた。
これは誰にも説明したことはないから、他の弟子たちは知らないと思う。もちろんゼファーも知らないはずだ。
門衛たちは壁に備え付けられた石版をチェックしているが、魔法装置らしいそれは何も反応していない。
彼らは書類を確認し、軽くうなずく。
「問題ない。お、君は特待生か」
「将来、俺たちの上司になるかも知れないな。そのときはよろしく頼むよ」
どうせすぐにトンズラする予定なので、さすがにそれはない。
だが門衛たちも冗談で言っているんだろう。俺は軽く笑ってみせる。
「いえいえ、ははは」
門衛たちはにっこり笑い、俺に敬礼した。
「マルデガル魔術学院へようこそ」
「ありがとうございます」
その後、俺は必要な書類一式を受け取る。こうして審査は無事に終わった。
俺はマルデガル魔術学院の正門をくぐると、使い魔の黒猫・カジャに声をかけた。
「カジャ、これを記録しろ」
「なんですか?」
「ここの地図だ」
紙媒体を持ち歩くのは不便だし、状況次第では怪しまれることもある。
「ほら早くしろ」
「はぁい、はぁい」
「返事は一回」
地図によると、マルデガル魔術学院は男子寮と女子寮があるようだ。俺の部屋は最上階の四階の角部屋らしい。しかも1人部屋だ。
たぶん一番いい部屋なんだろう、さすがは特待生だ。
ただ、あんまり嬉しくはない。
「山城の角部屋は冬が寒いんだよな……」
「ジジイみたいなこと言ってますね、あるじどの」
「ジジイだよ」
寒くなる前に退散しようと心に誓う。
階段を上りながらチラチラ様子を見たが、特待生以外の生徒は4人部屋らしい。変な言動をするとすぐバレるから、個室で助かった。
学院内部には魔法的な監視装置はほとんどない。この寮にもなさそうだ。危険量の魔力に反応する警戒装置はあったが、これは生徒の監視用ではなく魔法実験の安全用だろう。
個室のドアを閉めると、ようやく俺は安堵する。
「やれやれ、これで安心だ」
さっそくゼファーに会ってみてもいいが、その前に学院の様子を少し調べてみよう。まさかとは思うが、兄弟子が邪悪な研究に手を染めていたりしたら困る。
俺がベッドに寝転がってあれこれ考え始めたとき、ドアがノックされた。
「誰だ?」
「俺だよ、俺」
いや誰だよ。
不思議に思っていると、見覚えのある赤毛の逆毛がぴょこっと顔を出した。受験会場にいた011番だ。
「よう、029番」
「ジンだ。お前は?」
「トッシュ。元素術の使い手さ。俺の華麗な詠唱、覚えてるだろ?」
どっちかというと、その赤毛のツンツン頭の方が印象に残ってる。
トッシュと名乗った少年は俺に近づき、ニヤリと笑う。
「やっぱ個室はいいよな。俺、4人部屋が嫌で特待生になったんだ」
なるほど、帰ってくれないか。
追い返したかったが、あっちは10代の少年で、俺はジジイだ。年長者としては、あんまりむげにするのも気の毒だった。
俺が顎を撫でながらどう反応しようか考えていると、トッシュは椅子に腰掛けて窓の外を見る。
「角部屋か、うらやましいな。開放感があって」
寒いと思うんだよ。ここ4階だし。
トッシュは俺の顔を見て、またニヤリと笑う。
「せっかくお互い個室になったんだ。エロい本なら持ってきてるから、必要になったときはいつでも貸すぜ。あ、変なシミはつけるなよ?」
「いや必要ない」
こいつ、たぶんバカなんだろうな。
でも何となく好きになってきた。
その後、トッシュはしばらく黙る。
それからふと、口を開いた。
「なあ、お前は何者なんだ?」
彼の表情はとても真面目だった。
入学試験のときにあれだけ派手に暴れた以上、同級生としては気になるのだろう。
正体は明かせないが、俺はなるべく正直に答える。
「お前と同じ、魔術を学ぶ者だよ」
「……そっか」
トッシュは立ち上がると、ドアノブに手をかけた。
「ま、おいおい教えてもらおうかな。よろしくな、ジン」
「ああ、よろしく」
短い付き合いになるだろうが、彼とは仲良くしよう。
「あ、エロい本貸そうか?」
「必要ないと言っている」
こいつ、やっぱりバカだ。