第41話「目覚めた雷帝」
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こうして着々と軍の強化は進んでいったが、その間もベオグランツ帝国はひっきりなしに攻め込んでくる。さすがに疲れてきた。
「鬱陶しいんだよ、てめえらは!」
勉強会が盛り上がっている最中に呼び出されたので、俺の機嫌は大変に悪い。
「カジャ、これで何度目だ」
「侵攻の意図ありと思われる攻撃は6度目です」
攻め込んでも大した被害が出ないからって、ポンポン攻め込んで来やがる。
「1回目は火薬を燃やして、2回目は雨で撃退したんだったな」
「はい。3回目は砲撃で竜茨を吹き飛ばそうとしたので、あるじどのが逆に大砲を吹き飛ばしました。4回目は攻撃に紛れて工兵が潜入を試みたので、魔法で見当識障害を起こして追い返してますね」
あの手この手で突破を試みようとするから、毎回気が抜けない。
「5回目は重騎兵大隊で強行突破しようとして、全員が竜茨に絡まって救助を求めてきました」
敵に救助を求めるとは間抜けな連中だ。鎧と軍馬を没収した後、メシを食わせて帰してやった。
「あれからしばらくは迂回路を探して斥候がうろうろしていたようだが、結局また来たか」
「勝算のない、無目的な軍事行動だと思われます。ボクでももう少しマシな選択をしますよ。あの人たち頭悪いです」
もちろん頭が悪いのは現場の帝国軍将兵ではない。侵攻を命じているのは皇帝か軍の上層部だ。
とはいえ、こちらもサフィーデを守る約束をしている。
「やり過ぎると味方からも危険視されるから、なるべく地味な方法で追い返してきたが……」
これ以上こんな手ぬるい迎撃を繰り返しても埒があかないようだ。何回攻めても軽微な被害で済むのなら、皇帝は軍に攻撃を命じ続けるだろう。
「残念だが、やはり兵法の教えは正しいか」
俺は覚悟を決める前に、事の是非をもう一度慎重に検討する。重大な決断だ。
だが結論は変わらなかった。
「カジャ、周辺にベオグランツ兵以外の人間がいないか再確認」
「観測できる範囲には該当者はいません」
巻き添えをくらう人間がいないうちに、やってしまうか。一応、警告だけはしておこう。
『聞け、ベオグランツの将兵よ! ここから先はもはや加減はせんぞ! 死にたくなければ兵を退け!』
警告の声を二度だけ飛ばしてみたが、これで退却する軍はいないだろう。無駄なことをしていると自分でも思う。
だが無警告で大量殺戮をするのは、さすがの俺でも気が引けた。
そして案の定、ベオグランツ軍は隊列を整えて行進してくる。横隊での戦闘隊形だ。
「攻めてきたのはお前たちだ。覚悟はいいな?」
以前に捕虜にしたベオグランツ兵士たちの顔を思い出す。あの軍勢の中にも、きっと何人かいるだろう。
俺は彼らのために祈りを捧げつつ、『雷帝』の本当の姿を解放した。足元に魔法陣が発生し、そこから生まれた膨大な数の術式が、俺の周囲で複雑な魔術紋を形成していく。
特異点を超える密度で魔力を集めた以上、もはや後戻りはできない。この魔力を早く使い切らないと死ぬのは俺の方だ。
許してくれとは言わないが、苦しまずに逝ってくれ。
「魂の火花よ」
鮮烈な青白い光が鉄錆平原全体を包み、何もかもをホワイトアウトさせた。一瞬遅れて轟音が監視塔を震わせる。
よくわからない破片がこの辺りにまでパラパラ飛んできた。
「師匠が俺たちに授けた数々の『秘儀』は、限界を超えて魔力を集め、それを行使する術だ」
「限界って、魔力特異点のことですか?」
「そうだ。特異点を超えた魔力は平衡状態に戻らなくなり、魔力が魔力を集めるようになる。ただし大変危険な状態だがな」
師匠はよく「魔力のこの性質こそが、宇宙の熱的終焉に対する唯一の希望かもしれんのう」と言っていた。
「遠い未来の果てにある『熱的終焉』なんぞに興味はなかったが、あのとき俺がラルカンの研究に協力していればな……」
「どうしたんですか、あるじどの?」
使い魔が不思議そうにしているので、俺は気持ちを切り替える。ここはまだ戦場だ。
「なに、老人にありがちな後悔だ。それよりもカジャ、観測結果を報告しろ」
「えーと……はい。生存者はいません」
「そうだろうな」
人間は電流に弱い。思考も心拍も微弱な電流のおかげだ。もともと電流が流れるようにできている。
だから強烈な電流をくらえば、ひとたまりもない。苦しむ暇どころか、何が起きたのか理解する暇もなかっただろう。
平原の様子を観察すると、黒焦げになったベオグランツ兵たちがあちこちに散らばっていた。弾薬や軍服が燃えている。
一見すると無傷に見える者たちも大勢倒れているが、誰も立ち上がってこない。死んでいる。
あの辺り一帯にほんの一瞬だが、致死レベルを遥かに超える電界を作ったのだ。魔法以外の方法では、たとえ絶縁体で全身を覆っていても防ぎきれないだろう。
「戦う意志を持って戦場に来た以上、これもひとつの結末だ。納得してくれ」
「誰に言ってるんですか、あるじどの?」
ゼオガの民なんか、お前らの先祖にいきなり攻め込まれて殺されたからな。それに比べたら帝国の街や村でぶっ放さないだけありがたいと思ってくれ。
とはいえ一方的な殺戮なのは間違いないので、俺は心の中でごにょごにょ言い訳する。
なんだかとても疲れた。戦死者の弔いをしてやりたいが、1人ではとても無理だ。
「帰ろう、カジャ」
「はぁい。転送門にアクセス中……座標照合、誤差0.00001%。安全を確認、転送開始します」
俺の姿は戦場から消えた。
マルデガル魔術学院に戻ってきた俺は廊下を歩きながら、ふと窓の外を眺める。
ここは南東部の国境地帯から遠く離れた、北西部の山の中だ。今のところ戦乱の気配はない。行き交うのもみんなサフィーデ人、つまりは味方だった。
「平和だな」
思わずつぶやく。
すると背後から声をかけられた。
「どうしたんだ、ジン?」
トッシュだ。勉強会の続きはこいつに任せたが、もうそれぐらいには科学や魔術の知識を吸収している。下手な教官より博識だろう。
そんな彼はもっともらしく顔をしかめてみせる。
「ジン、ベオグランツ帝国がサフィーデに攻めてきたんだぞ。平和なんかじゃない」
「ん? まあ、そうだな」
「俺たちも何かあれば戦わなきゃいけないみたいだし、気を引き締めていかないとな」
腕組みしてうんうんとうなずいているトッシュが、今は何だかとてもかけがえのないものに思えた。
どうやら俺はだいぶ疲れているらしい。俺は苦笑する。
「心配するな。お前を戦場になんか行かせんよ」
「おいおい、俺だって一応は特待生だぜ? そりゃお前ほど強くはないけど、『念話』だって頑張って練習してるんだから」
いや、そういうことじゃないんだ。
だが俺が単身でベオグランツ帝国軍と渡り合っていることは、誰にも明かせない。これは国家機密だ。
だから俺は適当に笑う。
「こないだみたいに練習中に混線させるなよ?」
「わかってるって! いやー、スピ先輩って念話でも女子から告白されまくってるんだな! あれはびっくりした……」
そんなどうでもいい会話をしながら2人で歩いていると、戦場の光景が少しだけ薄れていく。
自分でも意識していなかったが、マルデガル魔術学院での生活が俺の「日常」になりつつあるようだ。
今日、俺は何の恨みもない何千人もの人間を殺した。
これも戦だから詫びる気も後悔する気もないが、殺した事実は永遠に消えない。どうにも嫌な気分だ。
ベオグランツ軍の旅団を1つまるごと壊滅させてからしばらくして、帝国からの侵攻は完全に止まった。
その数日後に攻め込んできた軍も、俺が全員殺したからだ。
おかげでますます気が滅入る。やはり本職の武人のように割り切ることができない。
ベオグランツ帝国の総兵力は10~20万程度と推測されるのでまだまだ戦力は残っているが、さすがに懲りたらしい。この調子で戦力を失っていると国が崩壊する。
帝国は帝国で他国との小競り合いもあるし、支配地域の反乱も頻発しているらしい。そうそう兵力の浪費はできない。
俺はまた学院長室に呼び出され、ゼファーの相談相手をやらされる。
「これで戦争が終わったりはせんかな?」
「何とも言えんが、ベオグランツの過去の歴史を考えると終わらんだろうな。国家規模でもサンクコスト効果は強力に働く」
ゼファーは溜息をつく。
「確かにここで侵攻を断念しても、投資した血と鉄は戻ってこないからな。無駄な投資はさっさと切り離すのが一番良いのだが……」
「皆が皆、お前のように論理的に判断できる訳ではないからな」
ベオグランツ皇帝にしてみれば、多大な犠牲を出した挙げ句に征服に失敗したとなれば困るだろう。形だけでも何とか成果を得たいに違いない。
「ベオグランツ帝国は、北方から南下してきたグランツ人が征服に征服を重ねて作り上げた国だ。油断すればすぐに反乱が起きる。それだけに侵攻失敗による威信低下は避けたいはずだ」
「だが何度攻めてきても無駄だろう?」
ゼファーの指摘はもっともなので、俺はこう答える。
「軍事力でどうにかできないのなら、また外交と諜報で何とかしようと画策するはずだ」
「では魔術学院も警戒は怠れんな」
「ああ。人の出入りは厳重に監視してくれ。それと王室に渡した情報は、ベオグランツ帝国に流れることも考慮しておこう」
「なぜだ?」
「どうせサフィーデの宮廷には間者が紛れ込んでいる。サフィーデ貴族の中にも内通者がいると思っておいた方がいい」
俺がベオグランツ帝国のお偉いさんなら、まず間違いなく諜報戦を仕掛ける。
その上で外交戦も繰り広げるだろう。
「ベオグランツ帝国は『マルデガル魔術学院の一生徒に旅団を壊滅させられた』と考えている。だとすればこの学院を最優先で狙ってくるぞ。暗殺隊を送り込んできてもおかしくない」
「それは困るな……。まあ、暗殺者の集団ぐらいなら私の方で処理しておこう」
ゼファーは事も無げに言う。
魔術の使い手として見た場合、ゼファーは俺より数段上の恐ろしい達人だ。原子分解だの重力縮退だの因果律消失だの、よくわからないが物騒すぎる秘儀を自在に操る。
こいつがいれば学院の守りはおおむね大丈夫だろう。
「じゃあ王室への工作と帝国軍の迎撃は俺に任せろ。ときどきマリエも借りるぞ」
「ああ、彼女もそれを望んでいる」
「俺たちがサフィーデを守っている間に、この学院で優秀な魔術師を大勢育ててくれ。いずれは彼らが自分で国を守るようになり、そうなればこの国で魔術が発展していくだろう。俺も全力を尽くす」
軍事的に役立つ技術としてだろうが、とにかくこの国に魔術が根付いてくれるはずだ。
俺は長い間、傍観者として生きてきた。傍観者であることを選んだというよりも、他の生き方を選べなかった結果だ。
だが色々あって、ひとつの勢力に加担することを選んだ。誰に強制された訳でもなく、俺が自分で選んだことだ。
だから最後までやる。
ゼファーは俺の顔をじっと見ていたが、何かを察したように俺に頭を下げる。
「ありがとう。私の事情にここまで付き合ってくれて感謝している」
「今はもう『俺たちの事情』だろ?」
傍観者の時間は終わったのだ。