第4話『虚空の刺客』
04
無事に『マルデガル魔術学院』への入学が決まったので、俺は入学準備を整える。
といっても俺は元々身軽な放浪生活で、荷支度の必要は何もない。荷物は魔法の圧縮ポーチひとつだ。
それに本当に大事な荷物は、もっと別にある。
「カジャ、システムに異状はないか?」
「はい、あるじどの。先日の試験で得た情報も整理して保存できていますし、ばっちりですよ」
「よろしい」
知識と情報こそが魔術師の財産だ。カジャはその魔術師の財産を預かる、家令のような存在でもあった。
俺は自前の研究室や書庫を持っていない放浪者だから、カジャのような使い魔が頼みの綱だ。何があっても研究に支障がないように、予備のカジャまで用意している。
しかし最近、使い魔を連れ歩く魔術師を全く見かけなくなった。
使い魔は取り扱いがかなり難しいからだろう。高度な知性や意志を持つタイプほど、反乱や暴走の危険がある。
「まああれだ、塩漬け肉食うか?」
「なんですか急に猫撫で声で。ボクは熱量さえあれば何でもいいです。炭でも油でも」
「黒猫が炭かじってたら不気味だろ……」
こいつ自身の行いについても、少し命令を出しておいた方がいいかもしれないな。
「その姿のときは飼い猫の習性を擬態しろ。さて、行くか」
マルデガル魔術学院は人里離れた山奥にあり、名前の由来となった『マルデガル城』を再利用している。調べたところによると、おおよそ250年ほど昔の城だ。
城というのは基本的にどれも貴族や王の持ち物であり、軍事や政治の拠点となる。廃城でもない限りは勝手に利用はできない。
『ということはつまり、世俗の権力が絡んでいるということか』
俺の念話に妹弟子マリアムが答える。
『兄弟子ゼファーはそういうものから距離を置いていたはずだけど、何があったのかしらね?』
『ここ30年ぐらい会ってなかったからな……。俺もお前も自分の研究に没頭してたし』
まあいい。全ての基本は観察だ。学内を隅々まで観察して、調べてみればわかることだろう。
それよりも今は、目の前の『こいつ』だ。
「はい、次の人。円盤の中心に乗って。端は危ないよ」
魔術学院の正門へは巨大な石橋を渡って入るようになっているのだが、途中がごっそり欠落している。もちろん普通は渡れない。
そこで大型の浮遊円盤を浮かべ、それで渡るようなのだが、正直ちょっと嫌だった。
『あれに乗るのか』
『微笑ましいわね』
冗談じゃないぞ。
『ありゃ貨物用だろう。魔術師があんなもんに乗ったら恥だ』
『しょうがないでしょう。普通の新入生は飛行の術が使えないわ』
それはそうだが。
まさか『飛行』の術をここで使う訳にもいかないし、おとなしくあれに乗るしかないのか。
最後にあれを使ったのは、火竜の死骸を師匠の研究室まで運んだときだ。
係員らしい魔術師が、微かに苦笑しながら俺を見ている。
「次の人、怖がらずに早く乗りなさい。これに1人で乗れるようじゃないと、魔術学院の生徒にはなれないよ」
くそ、あの凄まじい死臭を思い出してきたぞ。
火竜の喉袋から可燃性のガスが漏れてて、それが腐敗ガスと混ざり合ってそれはもう凄かった。目が痛かったしな。
「早く乗りなさいってば。後がつかえているから」
「わかった、わかりましたから」
「よし、この真ん中の棒をしっかり持って。不安ならベルトを通して固定しなさい」
「いえ、大丈夫です……」
俺は溜息をつき、浮遊円盤の中心に立った。円盤の中央には杖を模した棒が立っており、これを掴むらしい。遠目には、魔法使いが杖を突いて空を飛んでいるように見えるはずだ。
素人目には幻想的な光景だろうが、本職の魔術師としては「ごっこ遊び」にしか思えない。猛烈に恥ずかしい。
『亡き兄弟子たちには見せられん姿だな……』
マリアムの声がクスクスと笑う。
『見習いの頃、それに帆を張って空を飛ぼうとした人の台詞とは思えないわねえ』
ああ、あれはいい思いつきだと思ったんだが。
いや、ちょっと待て。
『お前が弟子入りする前の話だぞ。なんで知ってる?』
『先生がいつも話してたわよ? シュバルディンの創意工夫は素晴らしいって。慣習や前例を物ともしないのがあの子の強さだって』
師匠。何やってんですか師匠。
やめてくれよ。
打ちのめされた俺は浮遊円盤に運ばれ、ふよふよと空を飛んでいく。杖そっくりの取っ手は……別に必要ないが、せっかくなので握っておく。
浮遊円盤は水平と高度を維持することにかけては完璧だ。他に能がないともいう。
ただ疑問もある。
「なあカジャ」
「なんですか、あるじどの」
「こいつはいったい、何なんだろうな?」
魔術師は浮遊円盤を簡単に召喚できるが、こいつがいったい何なのか誰も知らないのだ。材質も不明、なぜ浮いているのかも不明、水平と高度を保っている原理も不明だ。
忠実なる使い魔はしばらく沈黙し、それから答える。
「蓄積された情報の中にはありません」
「そうだろうな」
こいつが何なのか全くわからないが、人畜無害で便利なので使われている。
見習い時代のとき、師匠が俺の擦り傷を手当しながら教えてくれたことを思い出す。
『この円盤は世界を包む殻なのではないかという仮説があってのう。まあわしが考えた仮説なんじゃが』
『世界を包む殻? 卵の殻みたいなもの?』
『さよう、この世界を別の世界と隔てておる卵の殻じゃ。そう考えれば、水平と高度を維持する機能にも納得がいくじゃろ?』
『わかんないよ』
今ならわかるが、師匠はいない。
俺は念話でマリアムに言う
『こいつが師匠の言っていた「卵の殻」だとすれば、完全な平面ではなく曲面のはずなんだ』
『宇宙全てを包む殻よ? 仮に曲面だったとしても原子1粒分にも満たないでしょう。測定する手段がないわ』
そう、だから仮説の域を出ない。
『いずれ惑星よりも大きな……そうだな、銀河系ほどもある浮遊円盤を召喚できれば、測定できるかもしれんな』
『端から端まで測ってるうちに、器具も観測者も寿命が尽きるわよ……』
この途方もない感じ、実に心地よい。
『こういう会話ができる相手も、もうお前とゼファーだけだな』
『……そうね』
俺たちにさまざまな知識を授けてくれた師匠は、今はいない。
師匠はこの世界にやってきたときと同様に、異界渡りの門を開いて元の世界に帰ってしまった。
師匠は存在するだけで魔力平衡を乱し、強大な魔力場を形成してしまう。だからときどき異世界に移動して、蓄積した魔力を清算しないといけないそうだ。
あまりにも強大な存在なので、師匠は元の世界では魔王として君臨していたという。
もちろん冗談だろう。あの師匠にそんな覇気も野望も感じられない。学問と指導をこよなく愛する、どこまでもまじめな教育者だった。
もし次に会えるとしたら、たぶん数百年後だろう。俺が存命だといいんだが。
『そういえばゼファーも、また師匠に会いたいといつも……』
そのとき不意に、俺は妙な気配を感じる。より正確に言えば、風を切る甲高い音だ。可聴域ギリギリ、それも若返った耳でなければ聞こえない音域だった。
同時にカジャが告げる。
「あるじどの、頭上から高速で接近する物体が4つです! あっ、これ直撃します!」
そいつの正体を分析している暇はない。俺は『盾』の術を使う。魔力で作り出した力場を傘のように展開すると、間髪入れずに何かがぶつかってきた。
傘状の力場にぶつかった何かは、そのまま俺の周囲をすり抜けて再び上空に舞い上がる。一瞬しか見えなかったが、トンボの羽を生やしたミミズのような生物だった。
「カジャ、分析結果を報告!」
「あっ、はい! およそ96.4%の確率で『飛針蛭』です」
聞き覚えがあるが思い出せん。すぐさま『書庫』で調べる。
『飛針蛭』
『高い飛行能力を持つ吸血性の環形動物。上空から重力を利用して急降下し、鋭い口吻を突き刺して鳥類の血を吸う。チャスベンテ地方などの亜熱帯に生息。重篤な感染症を媒介する』
「こんな高緯度にいる生物じゃないぞ」
「そんなこと言われてもボク知りません。あ、また来ます」
「ええい、面倒な」
再び『盾』の術で受け流す。なるべく下に受け流すよう、急角度で細い円錐形の力場にした。だがこれは厳しい。
浮遊円盤に乗っている状態では、上空からの攻撃を回避しづらい。逃げ場も遮蔽物もない。
魔法で防ぐにしても、相手が高速すぎる。
だがカジャは落ち着いた様子だ。
「あるじどの、これ『盾』で弾いていれば向こう岸まで安全に行けませんか? 城門まで行けば屋根がありますよ」
「他の浮遊円盤に弾いてしまう可能性があるし、向こう岸までこいつを連れて行くと巻き添えが出るかもしれん」
同様の理由で、派手な破壊魔法も使えない。すぐ近くには他の生徒たちの乗った浮遊円盤がある。
『盾』の術ではいくら弾いても飛針蛭にダメージを与えられない。この術は磁石のような反発力で攻撃の軌道を変えているだけだからだ。
「飛針蛭の知覚を混乱させれば……いや、やはり巻き添えが出るな」
いつもならさっさと『飛行』の術で逃げ出してしまうのだが、見習い魔術師が使うような術ではない。俺の正体がバレてしまう。
もちろん、ここで大立ち回りを演じてもダメだ。できれば戦っていることすら気づかれたくなかった。
「あるじどの、また来ます。急降下を感知しました」
「しつこいな」
やはり倒すしかないか。相手はただの蛭、石でもぶつけてやれば死ぬだろう。
問題はここに石がないことだが……。
あ、そうか。
次の瞬間、俺は浮遊円盤の外に飛び出す。カカカカンッと鋭い音が4つ、ほぼ同時に響いた。
それから俺は浮遊円盤の縁にぶら下がりつつ、カジャに聞いた。
「やったか?」
カジャの答えは簡単だった。
「はい。敵勢力は全滅しました」
「よろしい」
俺は『剛力』の効力が切れないうちに、よっこいしょと浮遊円盤によじ登る。事前詠唱している術のうち、とっさに使えそうだったのがこれしかなかった。
「さすがは『世界の殻』だな」
浮遊円盤の上には、びちびち跳ねている気持ち悪い生物が4匹。いずれも黒光りする口吻が折れ曲がり、トンボを思わせる透明な羽もバラバラになっていた。
浮遊円盤の方には傷ひとつない。
俺は飛針蛭の突撃をギリギリでかわし、わざと浮遊円盤に激突させたのだ。鳥ぐらいなら串刺しにしてしまう飛針蛭も、これはさすがに相手が悪すぎた。
俺はふと生物学的興味を覚え、飛針蛭の鋭い口吻をまじまじと見つめる。
「この口吻……」
「はい?」
「てっきり炭素かカルシウムでできていると思っていたが、鉄分が含まれているな」
「それがどうかしましたか?」
「吸血によって得た鉄分で口吻を形成し、急降下時の姿勢を安定させる錘としても使っているのだろう。それにこれなら鳥類の骨ぐらい砕ける。非常に興味深い」
「それよりあるじどの、マリアム様から念話です」
マリアムの心配そうな声が聞こえてくる。
『シュバルディン? 今何かと戦ってなかった?』
『飛針蛭が4匹、執拗に俺だけを狙って襲ってきたところだ。もう片付いた。「世界の殻」の前では、文字通り歯が立たなかったようだな』
『世界の殻?』
俺は事情を説明しつつ、まだうねうね動いている飛針蛭を浮遊円盤の外に蹴り落とす。
『飛針蛭は本来、人間を襲うような生き物じゃない。人間の骨は鳥類よりも遥かに頑丈だから、口吻で深く突き刺すにはリスクが高すぎる。それに何かに操られているような動きだった』
『ということは、その何とか蛭は誰かに使役されていた……ということかしら?』
『そうだろうな。どうやらゼファーではない誰かが、俺を疎ましく思っているようだ。まさに「刺客」だな』
『確かにゼファーがこんな不確実で回りくどい方法を使うはずがないわ。彼なら飛竜の群れを召喚することだってできるでしょうし』
するとカジャがこう言う。
「では、正体不明の敵対者にあるじどのの素性がバレてるって認識でいいんですね?」
「あ、あー……うむ。そう考えた方が良さそうだな」
少なくとも、ただの新入生とは思われていないだろう。
潜入前から正体がバレていることに気落ちしつつ、俺は浮遊円盤に運ばれていく。
そして対岸に着いた後、浮遊円盤を管理する魔術師たちから「浮遊円盤にぶら下がって遊ぶな」と注意されてしまった。
『俺は被害者なのに納得がいかんぞ』
『ほんと、あなたって変わらないわね』
なぜかマリアムがクスクス笑った。