第39話「戦争の魔術師たち(3/3)」
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太陽が大きく西に傾き始めた。演習も終盤が近い。もう長距離の進軍はできないだろう。到着前に日没になってしまう。
『こちらユナです! 「白城」の防衛に成功しました! 敵が撤退していきます!』
『ナーシアだよ。1人だけ味方が来て、「南東砦」を取り返してくれたよ』
よし、うまくいった。
【第6局面】
■黒城(54)
□北西砦(1) □北東砦(1)
□南西砦(35) □南東砦(1)
敵敗走↑(66)
□白城(22)
『すげえな、ジン! 全ての砦を占領できてるじゃん!』
『一時的なものだ。トッシュ、油断するなよ』
『そうだな。だが敵は砦を全て奪われたことにまだ気づいていない。これを狙っていたな?』
スピネドールが冷静に応じる。でも声が少し弾んでいた。彼なりに、この勝負に熱中しているようだ。
俺は携帯食の干し芋をかじりながら、念話で応じる。
『その通りだ。だから敗走中の敵は最寄りの「南東砦」に退却するが、既に奪還されていてここでは態勢を立て直せない。さらに敗走する』
するとマリエが発言した。
『でもその先の「北東砦」も、私たちの占領下にあるわ。敵は「黒城」まで追い返されるという訳ね』
『あ、じゃあもう戦力復活させるの間に合わないな。敵66人をやっつけたって訳だ。やっぱすげえな、ジン!?』
敗走中の66人は『黒城』までの退却を余儀なくされるが、帰る頃には夜になっているだろう。
トッシュの指摘通り、戦場から敵を66人消したことになる。
『城の防御力3倍と敗走のルールを組み合わせれば、こんな風に終盤に敵を消滅させることができる。それよりも、今は「黒城」にいる敵54人への警戒が必要だ』
そのときスピネドールが口を開いた。
『その敵が動き出した。54人のうち、37人が「北東砦」に進軍を開始した」
ほほう、相手も知恵を絞ったな。こちらが毎回36人の兵で防衛しているから、それを上回る数で『北東砦』の奪還を開始したか。
『それだけじゃない。さらに2人が「北西砦」にも向かっている』
これもうまいやり方だ。こちらは敵の『北西砦』を1人で占領していて、それは敵も知っている。だから最低限の2人で奪還するつもりだ。
俺は腕組みする。
『では残る15人が「黒城」の防衛に残っているということか』
こちらが60人全員で突撃してくることはないと踏んだのだろう。たった15人の守備隊でも、攻め落とすには46人の兵を差し向ける必要がある。
敵の視点ではこちらは常に36人の部隊を動かしているので、残りは24人。これでは46人の部隊を作ることができない。
だから防衛は15人で十分という訳だ。
トッシュは状況をよく理解しているらしく、慌てている。
『おいジン、このままだと敵が北側の砦を2つとも取り返しちまうぞ。次の戦闘が終わる頃には日没だぜ!?』
『焦るな、砦を片方守れば勝ちだ』
【第7局面】
■黒城(15)
↓進軍(2) ↓進軍(37)
□北西砦(1) □北東砦(1)
敵敗走↑(66)
□南西砦(35) □南東砦(1)
□白城(22)
俺はアジュラとユナに指示を出す。
『アジュラは「南西砦」にいる兵を17人「北西砦」へ救援に向かわせてくれ』
『わかったわ、任せといて!』
これで『北西砦』は守れる。
『それとアジュラ、それとは別に15人をこちらの「南東砦」に向かわせてくれ』
『いいけど、それじゃ全然足りなくない? 「南東砦」には1人しか味方がいないんだから、足しても16人よ?』
彼女の言う通りだ。この用兵単体では意味がない。
『どのみちそこにいる全員を「南東砦」に送っても足りないからな。15人だけ送って、残り3人は中央の本陣に戻してくれ』
『わかったわ。兵隊さんたちに伝えてくるね』
アジュラはすぐに行動を開始したようだ。
『さて、そこでユナに頼みたい。「白城」にいる兵を全部「南東砦」に送ってくれ』
『全部ですか?』
『そこにいる22人が「南東砦」に到着すれば、「南東砦」の守備隊は38人になるからな』
俺がそう言うと、みんな納得したようだ。
『綺麗に守り切れるわね』
『マジか、マジだ。それに兵も前線に集中してて、何だか動きやすそうだな!』
おっといかん、『北東砦』にいる味方兵士1人を呼び戻そう。どのみち撃退されるのなら、守備隊に参加してもらった方がいいな。
そして日が大きく傾く頃、戦場はこのようになっていた。
【第8局面】
■黒城(15)
敵敗走↑(2)
□北西砦(18) ■北東砦(37)
敵敗走↑(66)
白軍本陣(3)
□南西砦(0) □南東砦(39)
□白城(0)
スピネドールがしみじみとつぶやく。
『見事なまでに美しい完成図だな。こちらは合計4つの拠点を制圧しているが、敵は残り時間ではどこも攻略できない』
彼の言う通り、残り時間が多少あっても今からでは戦況をひっくり返せない。
仮に時間があったところで、俺たちは相手の兵がいない場所を空き巣のように襲撃できる。果てしないいたちごっこが続くだけで、拠点数はもう増減しない。
つまるところ、やる前からこの勝負は決まっていた。無駄な実験と言えなくもないな。
するとゼファーが会話に参加してきた。
『諸君、お疲れ様。日没になったため、全ての実験を終了する。結果は明らかだな』
『だが学院長、将軍たちが納得するかな?』
演習はどこまでいっても演習であり、実戦とは違う。
まあ実戦になれば念話が使えない方はもっと酷い結果になるのだが、それは本当に戦争をやってみないと納得できないだろう。
ゼファーは落ち着いた口調で、こう答える。
『そこでジン君に頼みがある』
ほらきた。
こうして俺は、サフィーデ軍の演習後の打ち上げに強制的に参加させられることになった。
打ち上げと言っても、酒を飲んで騒いでいるのは兵卒や下士官だけだ。貴族将校たちは難しい顔をして、テーブルの向こうから俺とゼファーを見ている。
皆がどう切り出したものか悩んでいる様子の中、口を開いた者がいた。
「演習お疲れ様でした。私は近衛参謀のリリアム・ビーゼル・ディハルトと申します」
そう発言したのは、近衛将校の格好をした若い男性だ。眼鏡をかけた知的な雰囲気の若者だった。名前と身分からして、間違いなく貴族出身だろう。
彼は俺が記録した戦闘報告書をめくり、小さく何度もうなずく。
「確かに半数の兵で勝利したことは認めましょう。実は私個人は、歴史的な瞬間に立ち会えたと思っております。魔術師の支援なくして、白軍の勝利はありえなかったでしょうから」
そう言ってから、ディハルト参謀はコホンと小さく咳払いした。
「ですが諸将の中には、まだ精査を要するとお考えの方々も多いのです。おわかり頂けますか?」
「ふむ……」
ゼファーがあごひげを撫で、目を細める。
あ、こいつ困ってるな。ゼファーは軍事研究や組織の力学には全く興味がないので、考えるのも面倒臭いんだろう。たぶん頭の中は別の研究でいっぱいだ。
仕方ないので俺が代わりに口を開く。
「もちろんです」
するとディハルト参謀は俺をじっと見た。
「この用兵を見る限り、ジン殿は軍学の基礎を修めておられますね。お見事な采配でした。武官たちの心情にも御理解があるようで助かります」
「いえ。郷士の血筋ではありますが、軍学とも武官とも無縁です」
そちら側に引き込もうとしてもダメだからな。
軽く牽制しておいてから、俺は背筋を伸ばす。
「今回の演習は実戦と異なる部分も多く、即座に実戦での有効性を保証するものではありません」
俺の中ではもう証明されたのと同じなんだが、頭の固い軍人さんには無理だろう。彼らは兵を預かる責任があり、軽率な判断はできない。
「ただ忘れないで頂きたいのは、今回の実験で明らかにしたかったのは『軍隊において魔術師に何をやらせるのが一番効率的なのか』ということです」
俺は他の将校たちを見回す。
「今回、参加した魔術師は7人。彼らが懸命になって火の球を飛ばしたところで、120対60という戦力差を覆すことは到底不可能だったでしょう。これは実戦でも変わりないと思います。そうですね?」
俺が問いかけると、何人かが小さくうなずいた。ディハルト参謀もうなずいている。
「ジン殿の仰る通りです」
「そして実戦でも、魔術師たちの『念話』は騎馬伝令より有効でしょう」
ちょっと面倒くさいが、俺は用意した資料を皆に配る。
「騎兵の持ち帰る情報は、移動距離が長くなるにつれて古いものになります。今回、それが勝敗に直結しました。めまぐるしく変化する機動戦において、古い情報は無益どころか有害です」
彼らが指揮官に情報を届ける頃には、双方の戦力配置は大きく変わっている。
指揮官は集められた古い情報を組み立て、現在と未来の状況を推測するしかない。経験と決断力が物を言う。そして最後は運任せでもある。
「一方、魔術師の『念話』を使えば最新の情報が手に入ります。また複数の斥候を運用しても、距離による時差が生じません」
遠くに送った斥候は戻るのに時間がかかる。そのため複数の斥候を運用すると、情報を収集した時刻も、情報が届けられる時刻もバラバラだ。
だから敵を見失ったり、逆に同じ敵部隊を複数回カウントしてしまうこともよくある。
「『念話』なら知りたいことを聞いて、現地の斥候に確認させることも可能です。こんなことは騎兵や伝書鳩にはできません。狼煙ならある程度可能ですが、複雑な意思疎通は無理でしょう」
最後に俺は畳みかける。
「こう言っては乱暴かもしれませんが、今回の実験、魔術師抜きで劣勢側を勝たせる方法はありますか?」
諸将が沈黙する。
今回の実験では拠点の攻略や防衛が不可欠なため、劣勢側は本当にやりくりが厳しい。しかも倒しても倒しても敵戦力は拠点で復活してくるので、最後の最後まで劣勢のままだ。
するとディハルト参謀が一同に言った。
「若輩の身ではありますが、私からぜひ申し上げたい。今回の実験、私は身の毛がよだつような恐怖を感じました。私が指揮した近衛兵たちも同じでしょう」
ん? こいつが敵側の指揮官だったのか?
ディハルト参謀は苦笑しつつ、こう続ける。
「どこに攻め込んでも、こちらの兵力を撃退できるだけの兵力がきっちり待ち伏せしているのです。兵を増やして攻め込めば、もぬけのからでした」
彼は俺を見て、にっこり笑った。
「今回の実験中、私の兵たちは敵を1人も倒すことができませんでした。交戦すれば必ず負けたのです。まるで暗闇の中で、狼の群れに襲われているようでした」
ディハルト参謀は最後にこう締めくくった。
「私の乏しい軍才では、何度戦おうが全く同じ結果になると保証いたします。今回の実験結果に疑念のある方は、ぜひ自ら兵を指揮なさってください」
すると将校たちが溜息をもらす。
「ディハルト殿で無理なら、我々にどうにかできるはずがあるまい」
「貴殿の実力を疑って陛下の御不興を買う気はないぞ」
どうやらこの青年参謀、かなり強いらしい。しかも国王のお気に入りのようだ。
こいつは使えるなと思っていると、ディハルトは俺を見てまた微笑む。
「という訳ですので、私が間抜けではなかったことは陛下にもしっかりお伝えしてください」
「……ええ」
なるほど、そういうことか。
要するに負けたのは自分の実力不足ではなく、魔術師たちの念話が凄かったからだと言いたいらしい。
演習とはいえ、寡兵を相手にして負けたのでは軍人としてのメンツに関わるからな。
ディハルト参謀はにこにこ笑っている。
「くれぐれもよろしくお願いしますね」
「わかりましたから」
結構腹黒いな、こいつ。
でもこういう若者は好きだぞ。ちょっと協力してもらおうか。