第33話「明日を守るために」
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ゼファーが学院長室で重々しくうなずいた。
「なるほど、玉髄か」
俺もうなずき返す。
「ベオグランツ軍が火縄銃を使っている理由がやっとわかったな」
敵から鹵獲した火縄銃をテーブルの上に置き、俺は説明する。
「火縄を使わない銃、つまり燧発銃には良質の火打石が不可欠だ。しかしベオグランツ領では良い火打石が採掘できないようだ。そのせいで燧発銃は不発が多く、猟師や傭兵たちからは評判が悪いらしい。軍でも採用されてなくて、せいぜい貴族のオモチャだそうだ」
火縄銃は火縄で点火するが、燧発銃は火打石の火花で点火する。しかし火を直接押しつける訳ではないので、なかなか点火が安定しない。おそらく火蓋の機構がまだ完成していないのだろう。
そこで必要になるのが、良質の火打石という訳だ。
ゼファーは窓から見える山々を眺める。
「サフィーデは玉髄の産地という訳ではないが、火打石として使うのであれば宝石としての価値は関係ないな」
「珪酸塩鉱物ぐらい、どこにでもありそうなものだが」
ゼファーがふと振り返る。
「珪酸塩?」
「お前、魔法以外のことも少しは勉強しろよ。師匠が言ってただろ、専門バカになるなって」
そんなんだから学院を乗っ取られるんだよ。
玉髄は石英の粒でできているが、石英は最もありふれた鉱物のひとつだ。わざわざ他国に攻め込む理由としては弱い気がするが、サフィーデ産の火打石は確かに評判が良いという。
俺はサフィーデ産の火打石を手に取り、鉄棒でカチカチやってみる。
「普段は魔法で着火してるから、火打石の善し悪しはわからんな……」
自分でも割と物知りなつもりでいたが、こんな簡単なこともわからないようでは賢者と呼ばれる資格はなさそうだ。
俺も改めて師匠の言葉を胸に刻む。
「ところでシュバルディン、捕虜たちはどうした?」
「メシを食わせて帰した」
「帰したのか」
「身柄を確保して利用することも考えたが、面倒になってな」
次に戦場で会ったときは容赦なく殺すと伝えておいたので、次はきっちり殺す。
ゼファーは困惑したような顔をして、俺の顔をじっと見た。
「ゼオガの士族というのは、よくわからんな」
「こんなのばっかりだったから滅びたのかもしれん」
国は滅びたが、ゼオガの民は大勢生き残っている。彼らは帝国全土に散らばり、ベオグランツ人と少しずつ混ざり合って歴史の流れに消えていった。
先日攻めてきた兵士の中には、もしかすると俺の遠い親戚もいたかもしれない。
「それで、ベオグランツの騙し討ちに対してサフィーデ王室はどう対応したんだ?」
「もちろん猛烈に抗議した。従属の要求も断ったとも」
「では本格的に戦争になるな」
ゼファーが溜息をつく。
「国王はすっかりお前をあてにしているようだ。帝国軍が全軍で押し寄せようが、マルデガル魔術学院の精鋭が撃退してくれるとな」
「学院への協力を惜しまなければ、こちらも協力は惜しまんと伝えてやれ」
一度始まってしまった戦争は、キリのいいところまでやるしかない。どうせやるなら魔術の発展のために金を使わせよう。それに俺が戦場に出る限り、死者は最小限で済む。
この力があのときにあればな……。
俺はそんな思考を振り払い、ゼファーにニヤリと笑いかける。
「さて、これで『マルデガル魔術学院の生徒が、たった1人でベオグランツ軍の侵攻を防いだ』という事実ができあがったな。そしてこれからもサフィーデを守り続ける訳だ」
「ひどい詐術だ」
ゼファーは顔をしかめるが、俺は気にしない。
「お前の国内評価は急上昇、王室も学院の方針に介入はできまい」
「実はコズイール前教官長の件で、王室からは少々苦情が来ているのだがな」
ここの教官たちはみんないいとこのボンボンだから、コズイールも実家の力が強いのだろう。
とはいえ、家を継がずにこんな山奥で教官をやっているのだから、実家との縁はさほど強くはない。
そこまで考えた俺は肩をすくめてみせる。
「あいつは王室の金を横領し、エバンド主任教官を殺した重罪人だ。ごちゃごちゃ抜かすなら俺は次の出陣を拒否するぞと伝えてくれ」
「次か。また来るだろうな」
「もちろん」
一度動き出した戦争は、そうそう簡単に止まりはしない。潤滑油の代わりにたっぷり血を注がなければ、戦争のブレーキは動かないものだ。
それは歴史が証明している。
ゼファーはしばらく無言で俺を見ていたが、やがてぽつりと言った。
「すまん」
「何を謝ってるんだよ、気持ち悪いな」
俺は兄弟子に背を向けると、『雷震槍』で自分の肩をトントン叩いた。
「兄弟子が困ってるのに知らん顔はできんだろ」
そう言った後、何だか恥ずかしくなって俺は続ける。
「お前に死なれでもしたら『書庫』の維持が面倒だ。俺たちはもう3人しか残ってないんだからな」
師匠の教えと志を受け継ぐ者は、わずか3人。
これ以上減ってしまう前に人材を育てないと。
こうして俺は学生のふりを続けることになってしまった。軽い気持ちで学院に潜入した俺が悪いのだが、何だか妙な気がする。
特待生のトッシュ、アジュラ、ナーシアともすっかり仲良くなってしまった。
「ねね、ジン。なんか面白い話聞かせてよ。魔術に役立ちそうなヤツ」
アジュラは最近、魔術以外の学問にも興味を持つようになった。
急に面白い話と言われてもな……。じゃあ、あれにするか。
「人間の記憶や認識能力というものは、実は非常にいい加減なものだ。高度な知能を持つがゆえに、逆に騙されやすい」
俺は手元の紙に文章を書いた後、ちらりとトッシュを見る。
「トッシュは神官の三男だ。皆が思うより教養があり、裕福な実家を出て魔術師を志している。特待生として申し分ない実力を有し、勉強会でも熱心に学んでいる。そうだな?」
「なんだか照れるな」
トッシュが頭を掻き、アジュラとナーシアが溜息をつく。
「まあ……否定はしないわ」
「軽薄だけどね」
なんだかんだで愛されてるよな、トッシュ。俺は微笑む。
「では質問だ。次のうち、トッシュの将来について可能性が高いものはどちらだ? あまり考えずに即答してくれ」
俺は紙に記した選択肢を皆に見せた。
1)トッシュは10年後も存命している。
2)トッシュは10年後も存命し、魔術師として活躍している。
3人は顔を見合わせ、それからトッシュとアジュラが当然のように答える。
「2番だろ」
「2番よね」
しかしナーシアは少し考え込み、それから自信なさげに1を選んだ。
「こっちだよ」
俺はニヤリと笑う。
「ナーシアが正解だ。2であるときは必ず1でもあるが、1であるときに2が成り立つ保証はない。従って可能性が高いのは1になる」
「あっ、やっぱりそうなんだ」
ナーシアが嬉しそうに微笑み、トッシュとアジュラがハッと気づいた様子を見せる。
「あ、そっか」
「数学的に考えたらそうよね。あー、トッシュのせいで騙された!」
「俺のせいかよ!?」
若者たちの楽しそうな様子に目を細めてから、俺は種明かしをする。
「人間の認知や判断は『印象』に引っ張られる。だからトッシュの教養や向学心、そして現在の努力について説明されると『魔術師として活躍してそうだ』と類型的に判断してしまう。これを『連言錯誤』という」
騙されなかったナーシアはさすがというべきか。
そのナーシアが首を傾げる。
「どうしてそんなことが起きるの?」
「複雑な問題を限られた時間で解決する場合、類型的に判断するのが一番効率が良いからだろうな。経験が蓄積されると判断精度が高まるが、そのせいでどんどんこの傾向が強まっていくようだ。つまり思い込みが激しくなる」
俺も下手にいろいろ知ってるせいで、弟子時代よりも思い込みが激しくなった気がする。研究者としては良くない。
「常に論理的で冷静であるということは、実は非常に難しい。それに……」
調子が出てきたので、『モンティ・ホール問題』でも出してみようか。
ずいぶん昔に『書庫』で見つけた小ネタだが、実は俺自身いまだに納得できていない。カジャに手伝わせて何百回も試行したのを思い出す。
そのとき、ゼファーからの念話が飛んでくる。
『シュバルディン、国境地帯にベオグランツ軍が現れたようだ。すまないが頼む』
『わかっている。任せておけ』
せっかくの楽しい時間だが、やるべきことができてしまった。俺は立ち上がる。
「続きは明日にしよう」
「えーっ!? まだあるんでしょ? ジン、今なにか思いついた顔してたわよ?」
アジュラが不満そうに言い、トッシュもうなずく。
「なあおい、気になるから教えてくれよ」
「また明日な」
明日が今日と同じように平和であるためには、今行かねばならんのだ。面倒臭いけど。
俺は執拗にしがみついてくるトッシュを振り払って学院長室に向かい、そこからまた国境地帯の監視塔へと飛ぶ。当面はここがサフィーデ防衛の拠点になりそうだな。
するとそこには先客がいた。
「遅かったのね、シュバルディン」
マリアム……ではなくマリエが立っていた。
「どうしてお前がここに?」
「あなたばっかり戦わせてたんじゃ、私たちも心苦しいのよ」
マリエはポーチから戦闘用の呪符を何枚も取り出し、クスッと笑う。
「子供たちを戦場に送る訳にはいかないわ。でも私ならあなたと一緒に戦えるでしょ?」
「中身はジジイとババアだからな」
俺は苦笑し、頼もしい相棒にゼオガ郷士の敬礼を送る。
「はしゃぎすぎて死ぬなよ?」
「あなたもね」
使い魔のカジャが報告する。
「あるじどの、接近する集団はおよそ2万。ほとんどが歩兵です。工兵ならびに砲兵とみられる部隊を確認しました」
兵力を増強したか。大砲や人力で竜茨を撤去するつもりかもしれないな。
もちろん、そう簡単に通すつもりはない。学院の生徒たちが強く育つまで、ここを死守するのは俺たちの役目だ。
「では行くか」
「ええ、終わったら3人でお茶にしましょう」
マリエが昔と変わらない笑顔で笑う。
妙に照れくさい気分になり、俺は真面目な顔を作ってうなずいた。