第30話「侵略者たち」
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「うむ、土いじりはいい」
俺ももう歳だから、植物を育てていると心が安らぐ。命が育まれていく様子を見ていると、穏やかな気分になれるようだ。雨に濡れた土の匂いもいい。
竜茨が地下茎と凶悪な枝を縦横無尽に伸ばし、元気な若木になっていた。鉄錆平原を横断するように横一列に……正確には二列に生え、すくすくと育っている。
カジャがポーチの中から声をかける。
「敵の侵入を防ぐには高さも密度もぜんぜん足りないようですけど」
「植えたばかりだから仕方あるまい」
今はまだまばらに生えている程度で、敵軍の侵入を阻むことはできない。
「命を育てるときに焦りは禁物だからな。今はこれで十分だ」
降雨の魔法を終了させ、術式を畳む。
上空にはまだ雲が少し残っているが、いらないので季節風に流して廃棄しよう。あれぐらいなら勝手に消えるだろう。もともと雲は生成と消滅を繰り返すものだ。
「土壌の酸性度もちょうどいい。これならしっかり育つだろう」
『そういうところは相変わらずね、シュバルディン』
魔術学院に残っているマリエが呟いたので、俺は首を傾げる。
「どういうところだ?」
『年寄り臭いんだか青臭いんだかわからないところよ』
わからん。
『どちらにせよ結局臭いのか』
『老人みたいに土いじりをしてたかと思えば、戦に備えてやる気まんまんでしょ?』
客観的に見て俺がジジイなのは否定できないが、主観的には俺は俺でしかない。年を取ったという実感がまだ薄かった。あと何年生きたら実感が湧いてくるんだろう。
それはそれとして、戦の支度はしなければいけない。
『竜茨の見た目はただの茨だから、軍事的な備えだとは気づかれないだろう。ベオグランツ側を刺激することもあるまい』
『だといいんだけど……』
俺も自信がある訳じゃないが、攻めてきたらボコボコにして追い返すだけだ。
そしてとうとう、その日が来てしまった。
『シュバルディンよ、厄介なことになったぞ』
ゼファーが魔力回線で呼びかけてきたので、俺はなるべく小さな声で返答する。
「講義中だぞ」
『ベオグランツ帝国が、サフィーデ王国に対して従属的な同盟を要求してきたそうだ。サフィーデは返答を引き延ばしているが、もはや戦争は避けられまい』
するとマリエも会話に参加してくる。
『具体的にはどうなりそうなの?』
『回答期限ギリギリまで、サフィーデは検討を続けるふりをするだろう。その間にシュバルディンには戦いの用意をしてもらうことになる』
甘いな、兄弟子殿。
俺は口を開きかけて、ふと隣のトッシュに気づく。
だいぶ歳の離れた級友は、申し訳なさそうな顔をしていた。
「すまん、ジン」
どうしたのかと思ったら、こいつはノートの陰でパンを食っていたようだ。
「講義中だから我慢しようと思ったんだけど、腹が減って……」
いや、さっき俺が話しかけたのはお前じゃなくて学院長の方なんだ。
誤解を解く訳にもいかないので、そのまま誤解していてもらう。
「見つからないようにな」
「ああ、もう食い終わる」
メシぐらい講義が終わるまで我慢しろよとは思うが、俺も10代の頃は腹が減って減って仕方がなかったもんなあ。
話を戻そう。今度は口に出さないよう注意する。
『甘いな、ゼファー』
『なに?』
『お前がベオグランツの皇帝だったら、回答期限まで本当に何もせずにぼんやり待つのか?』
少し沈黙が続き、ゼファーは答える。
『言われてみれば、それはありえんな。要求を拒絶された場合に備えて、軍事侵攻の準備を整えるだろう』
『だろ?』
ゼファーたちは研究者だから、騙すことや騙されることにはあまり意識を向けない。嘘つき同士では研究にならないからだ。だが軍人や外交官は違う。
郷士の家に生まれ、戦の心得を多少は知っている俺は立ち上がる。
『侵攻前提の無茶な要求なら、拒絶や時間稼ぎも想定内だろう。俺なら回答期限を待たずに侵攻を開始する』
『しかしそれは……』
『回答期限までは何も起きないとサフィーデが思っているのなら、今侵攻すれば楽に勝利できるからな。戦争は正々堂々勝つよりも、楽して勝つ方がいい。味方の被害も少なくて済む』
もちろんサフィーデからはメチャクチャ憎まれるだろうが、従属を要求した時点で憎まれるぐらいは承知の上だろう。回答を引き延ばされることも想定内のはずだ。
ふと気づくと、トッシュが口をもぐもぐさせながら俺を見上げている。それから彼はこう言った。
「座ってろよ。講義中だぞ?」
お前が言うな。
俺はおかしくなって微笑むと、教官に軽く会釈する。教官は落ち着かない様子で一礼した。
「またな、トッシュ」
俺が無事に生きて帰れるよう祈っていてくれ。
俺は学院長室に向かうと、すぐさま転移魔法陣を開く。転移系の魔法は極めて高度な数学能力を要するので俺は苦手だが、ゼファーが作っておいてくれた。
出発前にゼファーに挨拶する。
「ではちょっと行ってくる」
「すまんな」
ゼファーはつらそうな表情だ。そんな顔するなよ、兄弟子殿。
俺は笑ってみせる。
「若い連中を戦場にやる訳にはいかん。子供を守るのは大人の義務だ。銃弾を浴びるのは老いぼれ1人で十分だろう」
「……すまん」
だからそんな顔をするなって。
「もし俺が戦死したら、次はお前だからな」
俺は冗談っぽく笑ってみせてから軽く手を振り、転送陣に足を踏み入れる。
ゼファーはまだ浮かない顔をしていた。弟弟子を戦場に送り込むのがつらいんだろう。
だからあいつ嫌いなんだよ。
俺が転移した先は、もちろん国境の鉄錆平原だ。監視塔の中に綺麗に転送される。さすがはゼファー、ほんのわずかな狂いもない。座標設定が完璧だ。
「カジャ、索敵開始」
「はぁい」
監視塔には警報をかけているので、敵が付近に侵攻していないことはわかっている。
問題は軍勢の集結地点だ。
カジャの索敵範囲はそう広くない。反応があるとすれば、敵は国境を越える準備中になる。
そしてまずいことに、カジャの索敵範囲に人間の集団が存在していた。
「およそ7千人の人間の集団を確認。黒色火薬の反応アリです」
「7千人か」
ベオグランツの軍編成は、50人の小隊を集めて作られる。戦列歩兵が主力の軍で140個小隊ということは……ええと、たぶん旅団とか師団とかの規模か?
まずいな。
この規模になると本格的な軍事行動が可能になる。
だが城塞都市を攻略するには少々足りない。同規模の別動隊や増援が、どこかで動いている可能性があった。
「その集団を『ベオグランツ軍第1次先遣隊』と定義。先遣隊が平野に侵入したら迎撃手順を実行する。お前は敵の画像情報を集めろ」
「はぁい、了解」
めんどくさそうにカジャがニャーと鳴く。
ベオグランツ軍に動きはなく、俺はひとまず監視塔で眠ることにした。
そして翌朝、さっそく不穏な動きが起きる。
「のんびり準備してたら危ないところだったな」
俺は監視塔のてっぺんで寝癖を直しながら、侵攻してくるベオグランツ軍を見つめる。
そうそう、ゼファーに一報入れておかないと。
『見えるか、ゼファー』
『鮮明だ。昨日送ってもらった画像も、学院の衛兵たちに確認してもらった。軍旗はベオグランツの師団旗で間違いないそうだ』
師団か。だがベオグランツ軍の師団なら1万人以上いるはずだ。やはり、ここにいない敵兵力のことは念頭に置いておこう。
俺は侵攻してくる軍勢をもう一度、じっと見つめた。
あのときの光景と似ている。
ゼオガの地にベオグランツ人……当時はグランツ族とか名乗っていたと思うが、そいつらが大挙して俺の故郷を襲った。
ゼオガの名は地図から消え、今はベオグランツの一部になっている。
彼らは父の仇であり、故郷を奪った宿敵でもある。
だが昔の話だ。あれからもう何代も世代交代し、グランツ族が作った国の形も変わった。飽きるほど内戦をやった後、ベオグランツ帝国としてまとまったらしい。
だからもう、俺の仇はいない。
俺は遠い日の痛みを思考の隅に追いやると、『雷震槍』を携えた。
「では戦争を止めてみるか」
あの日の俺とは違うことを証明できるといいな。
※次回更新は5月27日(月)です。