第22話「賢者の苦悩」
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「三賢者」として世に名を知られていたゼファーは、サフィーデ王国で魔術の普及活動を開始したらしい。
だがこの賢者様は、早々につまづいたという。
「誰も魔術を学ぼうとしないのだ」
ゼファーが溜息をついたので、俺はうなずく。
「そりゃそうだろう。今の劣化しきった魔術を学んでも、あまり役に立たないからな。魔術師で食っていける訳じゃない」
「そう、それだ」
ゼファーは我が意を得たりとばかりに勢いづく。
「結局のところ、魔術が役に立つことを理解してもらわねば誰も学ばない。学問としての奥深さや、真理を探究する喜びなど、日々を懸命に生きる人々には関係ないのだ」
「で、あなたはどうすることにしたの?」
マリアムが頬杖をつく。こいつ、もしかすると俺よりもゼファーのことが嫌いなのかもしれない。
ゼファーは一瞬黙り込み、それから少し目をそらす。
「世俗の権力ならば解決できるかもしれないと思ったのだ。そこでサフィーデ王室に魔術の有用性を説き、研究と人材育成への協力を懸命に求めた」
営業向きじゃないヤツがそんな売り込みをかけたのか。よっぽど思い詰めてたんだな。
ゼファーは机に肘をついて頭を抱えると、無言で虚空に映像を表示した。国王や宰相らしい連中を相手に、ゼファーが懸命に訴えかけている。
『大気中の窒素を土壌に固定する魔術を使えば、農業生産は飛躍的に伸びます。同じ畑で2倍以上の人口を養うことも可能でしょう』
馬鹿か、うちの兄弟子は。窒素とか言われてもわかる訳ねえだろ。
呆れてマリアムを見ると、こいつも呆れたような表情をしていた。
案の定、映像の中で宰相らしい人物が首を横に振る。
『ですが農民どもが畑に魔術を使わせるとは思えませんな。効果のほどを確認するためにも、どこかの農場を借りて10年ほど実績を見せて戴きませんと』
『10年……』
『左様、何か不都合があってからでは遅すぎます』
そりゃそうだ。
その後もゼファーは「魔法による超高温や超低温でのみ行える特殊な製鉄」とか「疫病の発生を防ぐ殺菌の魔術」など、画期的ではあるが微妙な案を次々に提示する。
「ゼファー、これはあと何時間ぐらい続くんだ」
「もう消そう」
フッと映像は消え、静寂が戻ってくる。
遠慮してもしょうがないので、俺はゼファーにはっきり言った。
「この方法は無理だって、師匠たちとも結論は出しただろう? 既存のシステムに全く関係のないものを持ち込んでも組み込めないんだ」
技術や思想は系統樹を作って発展していく。その途中だけ抜き出して全く関係の無いところに投下しても、みんな扱いに困るだけだ。
ゼファーは溜息をつく。
「その通りだ。私の提案は、既存のシステムに携わる者たちから猛反対を受けた。官僚や聖職者だけでなく、農民や職人たちにもな。見知らぬ魔術師がいきなりやってきて『素晴らしい知恵を授けよう』などと言っても、なかなか受け入れてはもらえん」
だがゼファーは今、この国でマルデガル魔術学院の学院長を務めている。何らかの方法で世俗の権力に取り入ったのは確かだ。
「だから兄弟子殿は、システムを一から構築することにしたのか」
「そうだ。魔術師の教育システムを作り、魔術研究者を増やしていくことにした」
俺はそれで全ての疑問が解決した。
「学院創立のときに、王室あたりから出資を受けたんだろ? で、出資者様から言われたんだろ? ちゃんと役に立つ魔術師を育てろよって」
「ああ。彼らは魔術師といえば火の球を飛ばす連中ぐらいにしか思っていない。だから真っ先に軍事分野での成果を要求された」
「そして気づいたら、教育カリキュラムがどんどん骨抜きにされていった訳だな?」
「その通りだ。教育課程から基礎研究や一般教養が排除され、破壊魔法の投射ばかり訓練させるように圧力が加えられた。おまけに特待生枠を勝手に作られ、彼らはここを人脈作りの場として利用するようになった」
貴族の三男ぐらいになると家督の継承はほとんど望めない。かといって彼らにも領地を分割していくと、所領がどんどん細分化されていって家の力が衰える。
そこで彼らは邪魔にならないよう神学校に放り込まれる訳だが、魔術学院は出家しなくても学べる場として需要を獲得した。卒業後に官僚にでもなってくれれば、実家にとっても利益が大きい。
「特待生から選抜された教官たちが酷いのは、そういう理由か」
道理でプライドばかり高くて教え下手な訳だ。貴族の末っ子たちは実家からは冷遇され、兄が家督を相続すれば容赦なく追い出されることも多い。虚勢のひとつも張りたくなるだろう。
マリアムが溜息をつく。
「要するに学院を乗っ取られたのね」
「そうだ。どうしてこんなことになったのか……」
ゼファーは悲しそうな顔をしている。
さてはこいつ、学院の運営が思うようにいかないから全部投げてたな。ここのところ姿を見せなかったのも、気まずいから自分の研究に没頭してたんだろう。
こいつの本質は教育者じゃなくて研究者だから、最後の最後には自分の研究を優先させる。
それを責めるつもりはないが、それじゃ生徒が気の毒だ。
俺は肩をすくめた。
「組織はやがて、組織そのものの存続を目的として活動するようになる。本来の役割や目的を見失うことは珍しくない」
「相変わらず手厳しいな、シュバルディン。私がサフィーデに来たとき、お前も来てくれれば良かったのだが」
その頃の俺は世界中を放浪していたからな……。
「俺はお前と違って、世の中を良くしようなんて崇高な理念は持ち合わせてねえよ」
「果たしてそうかな? お前は途方もない理想主義の真面目人間だから、目標の難しさに最初から諦めているように見えるのだが」
そんなんじゃねえ。
「それよりもゼファー、あの学院はもうダメだ。お前の本来の目的に合致していないのは仕方ないとしても、軍事的にも目的を達成できんぞ」
「それはどういう意味だ?」
ゼファーが怪訝そうにしているので、俺は言ってやる。
「お前んとこの学院で育てた魔術師は、火縄銃相手に生き残ることはできないって言ってるんだよ。戦場に出せばあいつら全員死ぬぞ」
「そんなはずはない。理論上、火縄銃相手には圧倒的に有利なはずだ。射程、威力、連射速度、装備重量、全ての点において火縄銃兵を上回っている」
数字だけ見て判断するのは悪い癖だぞ。
するとマリアムがこんなことを言った。
「ゼファー、信じられないのなら実験してみればいいでしょう? 私たちは研究者なのよ?」
「まあそうだが……うちの生徒たちで実験するのかね?」
少し心配そうなゼファー。
彼の危惧も理解できたので、俺は簡単な実験プランを提示する。
「殺傷力のない銃弾と魔術で模擬戦闘をしよう。生徒たちに怪我はさせん」
「わかった。ではさっそく実験だ。……勝負ではないからな?」
「わかってるって」
俺も研究者の端くれのつもりなんだが、ゼファーの中では俺はまだやんちゃな新米弟子のようだ。
「それでシュバルディン、鉄砲隊はどうするの?」
マリアムの質問に、俺は腕組みして考える。
「師匠の『書庫』から適当な人工霊を引っ張り出してこようかと思っている」
「大丈夫なの、それ?」
「前にもやったから大丈夫だよ」
師匠の専門は死霊術だったので、霊関係の機能は充実しているし安全だ。
「18世紀頃の戦列歩兵の霊体レプリカでも借りてこようかな」
「なにそれ」
「だからお前ら、もうちょっと『書庫』の異世界歴史書を読めよ」
人間のやることはどこでもだいたい一緒だから、異世界の歴史は役に立つんだぞ。