第21話「賢者ゼファー」
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俺はコズイール教官長の死を確認するため、彼が墜落した地点に向かった。学院の敷地外、山奥の岩場だ。彼を構成していた肉体は回収不能なレベルで四散しており、数日中には獣や鳥の餌になるだろう。
カジャが岩場に描かれた大きな魔法陣に鼻先を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐような仕草をしている。
「元素術式の魔法陣です。爆発系統のいずれかだと思われますが、だいぶ古い型なのとノイズだらけなので確定できません」
「学術的な価値はなさそうだ。安全の為に消しておけ」
「はぁい。あ、ここ玉髄の鉱脈がありますよ」
「ふむ、なるほどな」
玉髄は石英の微細な結晶粒が塊になったもので、含まれる不純物によってメノウだのオニキスだのジャスパーだの色んな名前で呼ばれる。特待生のアジュラが好きなカーネリアンも玉髄だ。
玉髄は火打石としてもよく使われるので、サフィーデでは火の魔法に力を与えると信じられている。
その真偽はちょっと怪しいが、ともかく魔法陣がここに作られた理由はそれだろう。魔術学院がここにあるのも、もしかするとそういう理由かもしれない。
「おや」
俺は足下に転がっていた杖を拾い上げる。コズイールが電撃を放つのに使っていた魔法の杖だ。先端に金属製の竜の像がついている。素材は蓄魔鋼だな。
杖の識別名は「雷震槍」と記されている。製作者の意図的には杖じゃなくて槍らしい。
「事前詠唱の方が便利だから、こんなものはあんまり使うこともないんだが……いや待てよ、これは!?」
「どうしましたか、あるじどの?」
俺は竜の頭部分で肩の後ろを押し、戦いで凝った肩のツボを刺激していた。
「指圧にちょうどいい具合だ。微弱な電流が実にいい」
「はあ」
「しかも振動も生じるようになっていて、これは完全に指圧用の道具だな」
「えーと……どうなんでしょうね?」
「名前の通り、電流と振動で凝りをほぐす棒だ。俺を信じろ」
こんな素晴らしいツボ押し棒を争いに使うなんて、実に馬鹿げている。こりゃ気持ちいい。肩がほぐれる。
「あるじどの、肉体年齢は10代ですよね?」
「指圧の気持ちよさは脳が覚えているからな。おお、うむ、これは素晴らしい。文明の勝利だ」
この杖は成層圏から落ちてきても壊れてないし、耐久性は抜群だろう。いい拾い物をした。空間圧縮ポーチにいそいそとしまい込む。
「だがこれ、学院の重要な機材だったりはしないだろうな?」
「さあ……」
後で学院の目録を調べておくか。
こうしてマルデガル魔術学院から教官長と1年主任教官が消えた。
教官たちの間では大騒ぎになったようだが、俺は知らん顔をしておく。事情を説明しようにも、状況がメチャクチャすぎて信じてもらえる気がしない。ゼファーに会ったら正直に話そう。
しかし2年の特待生連中が、俺の方を見てヒソヒソ話をしている。
「コズイール教官長とエバンド主任教官を殺ったのがジンだってのは本当かよ?」
「見たヤツはいないんだけど、他にできるヤツがいないだろ。エバンドはジンと不仲だったらしいし、教官長の腰巾着だ」
根も葉もない憶測だけど、見事に当たっている。
「教官長や主任教官が急にまとめて失踪するはずないしな」
「おい誰か、ジンに聞いてこいよ。お前が殺したのかって」
「お前が行け、お前が」
「やだよ怖えよ」
面倒くさいことになりそうだから、あいつらにはこのまま怖がられておいた方がいいな。
そう思い、食堂でのんびりと夕食を食べる。
あれから数日が経ち、そろそろ学院長のゼファーにも報告が上がっている頃合いだ。あいつがどこにいるのかわからないが、クソ真面目だから学院との連絡手段は確立させているだろう。
すると急に、辺りが騒がしくなる。
「あの先生、誰?」
「新しい教官長かな?」
「いや違うぞ、あれは……」
俺は生徒たちの声でだいたいの事情を察し、ちらりと視線を動かす。
「ゼファー学院長だ」
ようやく現れたか、クソ兄弟子め。
昔と変わらない、白い髭を短く整えた老齢の男。若い頃は神経質そうな線の細い美男子だったが、今は清潔感のある穏やかな紳士だ。
ゼファーは生徒たちに丁寧に挨拶を返しながら、俺のところにまっすぐ歩いてくる。
「『ジン』君だね。コズイール教官長の件はさっき知った。相変わらずそうで驚いたぞ」
「相変わらずではないな」
俺は周囲のざわめきに顔をしかめつつ、すべすべの手の甲を撫でる。
「今はこんな有様だ」
「相変わらずだ。昔を思い出す」
すぐ昔話を始めようとするのは、年寄りの悪い癖だ。
周囲では生徒たちが目をまんまるにして驚いている。
「ジン君、もしかして学院長先生と知り合いなの?」
「やべえな、さすがは雷帝だ」
「もしかして学院長の弟子だったりとか……」
「いや、あいつは隠者シュバルディンの直弟子だぞ」
俺とゼファーは周囲をちらりと見て、それから同時に苦笑する。
「場所を変えようか」
「そうだな」
ゼファーが小さく呪文を唱えると、俺たちの姿はその場から消えた。
学院長室に転移した俺たちは、肉体を置いて「魂の円卓」へと向かう。マリアムもそこで待っていた。
「久しぶりに3人そろったわね、ゼファー」
「マリアムまで来ているとは……相変わらず耳敏いな」
ゼファーは苦笑し、彼の席に座る。俺たちも自分の席に座った。
そしてほぼ同時に、同じことを言う。
「で、どういうことだ?」
「どういうことかしら?」
「これはどういうことかね?」
一瞬の沈黙。互いの視線が交錯し、最後にゼファーが折れた。
「そもそもの事の発端は私か。私から説明するのが筋かね?」
「そうだな」
俺は腕組みして、じろりと兄弟子を睨む。
「あんな子供たちを戦場に送り込むつもりなのか、兄弟子よ」
「そこまで突き止めているのなら話は早い。……いや、早くはないか」
ゼファーは溜息をつくと、こう切り出した。
「ちょうどいい、聞いてもらおう。実は私も困っているところなんだ」
おいおい。
ゼファーの話はこうだった。
「私たちはこの世界に魔術を普及させるために、元素術・精霊術・古魔術の3つを世に送り出した。だがうまくいったとは言いがたい」
すかさず俺とマリアムが文句を言う。
「前置きが長いぞ、前置きが」
「本題に入るまでだいぶかかりそうね、その調子だと」
「いいから聞け」
ゼファーは咳払いをする。こんなやりとりも久しぶりだ。
「リッケンタインたちの成果を無駄にしたくなかった私は、サフィーデ王国を魔術発展の地と定めた。ここで3つの流派を統合させ、魔術を学問として普及させようとな」
ゼファーの話はもともと長いが、年を取ってますます長くなった。年を取って短気になっている俺たちは、また文句を言う。
「で、失敗したんだろ」
「それと魔術師を兵士にすることに何の関係があるのよ」
「いいから聞けというに」
ゼファーが俺たちを睨んだので、俺とマリアムはくすくす笑う。
「よかった、相変わらずのクソ兄弟子だ」
「どうやら正気のようね」
ゼファーは咳払いをする。
「続けていいかね?」
「どうぞどうぞ」
俺は少し安心して、彼の話をじっくり聞くことにした。