第20話「堕ちたる者の末路」
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コズイールまでの距離は、具足術の歩法でおよそ7歩。遠い。
「こやつ!?」
コズイールは杖を構え、さらに稲妻を射出してきた。
稲妻は避けられない。
だが電流というものは本来、空気中を伝わるのが苦手だ。だから少しの工夫で稲妻は違う方向に流れる。
俺は室内の空気、というか大気のイオンを操作する術を使った。
「うわっ!?」
コズイールが悲鳴をあげる。放った電撃が前に飛ばず、近くの燭台やペンに着弾したからだ。電流だってどうせなら空気よりは金属に流れたい。
魔法というのは便利なものだが、自然科学への理解なしに使ったところで本当の威力は発揮できない。
「貴様、何か術を使ったな!? だがなぜ使える!?」
稲妻や爆発を生み出す破壊魔法と違って、イオンの操作程度ならごくわずかな魔力で済むからだ。俺の体内に蓄積された魔力で十分まかなえる。
だがそれを教える義理はない。今やっているのは学問ではない。
殺し合いだ。
俺は格闘の間合いに踏み込むと、コズイールの杖をつかんだ。
すかさず電撃をくらうが、電流は俺の手袋から靴を伝わって床へと放出される。衣服には絶縁と放電の対策をしている。
極度の高温や低温、それに真空や酸などに対しても同様の備えがあった。この程度の魔術では何をどうしようが俺を傷つけられない。
それよりもこいつを殺そう。エバンド主任教官を殺した以上、コズイール教官長は殺人者だ。情けをかけるつもりはない。
「はぁっ!」
コズイールがしっかりと杖を握っているので、俺は杖をひねって彼を引き倒す。具足術では槍兵と戦うことも想定している。
「うぉあっ!?」
武術の心得は全くないらしく、コズイールは床にひっくり返った。ここに来て常々思うが、魔術師でも白兵戦ぐらいはできなければ戦は無理だ。
さて殺そうかと思ったが、今は周辺の魔力が枯渇しているのでこいつは何もできない。
我ながら甘いとは思ったが、一応生き延びるチャンスは与えてやる。
「降伏するなら命だけは助けてやるが、どうする?」
するとコズイールは懐に手を突っ込んだ。隠し持っている魔法の道具を使うようだ。
「やめておけ。今度こそ死ぬぞ」
だが既に遅く、コズイールの姿が急速にぼやけ始める。空間転移を始めたのだ。
「転送符か」
「ふぁははは……よく気づいたな、小僧」
「小僧はお前だ」
お前が生まれる前から俺はジジイだからな。
「お前はここで……死ぬのだ……」
コズイールの姿は薄れつつ消え去り、俺はエバンドの残骸と共に図書館に取り残される。
あいつの目論見はわかりきっている。
魔力が枯渇しているのは図書館周辺だけだ。だから魔力枯渇圏外に脱出すれば、普通に魔法が使える。
後はそこから大規模な破壊魔法をぶっ放して、図書館ごと俺を潰す気だろう。魔法陣などの事前準備があれば、動かない目標に対して強力な破壊魔法を使うことが可能だ。
そして今、図書館の出入り口は封鎖されている。逃げる時間はない。
と思ってるんだろうな、あいつ。
「警告はしたからな」
俺は溜息をつく。命をどう使うかは彼の自由だ。
「カジャ、非実体化を解除。コズイールの座標を追跡しろ」
「はぁい」
すぐ近くにカジャが実体化し、黒猫の姿を取り戻す。
カジャはすぐにコズイールの現在位置を報告した。
「転送符の正常な動作を確認。指定通りの座標です。高度およそ120アロン(1万2千m)」
「成層圏まで行ったか」
クソ寒いんだよな、あの辺り。空気も薄いし。
カジャが溜息をつく。
「転送符の座標をひとつ書き換えただけなんですけど、まさかそのまま飛んじゃうとは思いませんでした」
敵に格闘戦を挑まれて負けかけてるときに、いちいち座標確認はしないだろう。
俺はカジャに命じて、コズイールの所持している全ての魔道具をスキャンさせていた。もちろん転送符も発見したので、指定座標のうち高度だけをこっそり書き換えておいた。
だからコズイールは今、成層圏から墜落中のはずだ。
カジャが淡々と告げる。
「コズイールの座標変化、高度のみ低下中。空気抵抗を考慮すると、自由落下とほぼ一致しています」
黒猫の使い魔はふと、首を傾げた。
「あの人、飛ばないんですかね?」
「落下制御の呪文を知っていればいいんだがな」
知っていても落下の恐怖で気絶したら唱えられないだろうし、その辺りの事情は俺にもわからない。
あいつは俺を墜落死させようとしたので、同じ目に遭ってもらう。
ただ俺は一応、コズイールに生き延びるチャンスは与えた。
「本当は100アロンぐらい下の地中に送り込めば一発なんだが」
「転送されても押しのける空間がないからグッチャグチャに潰れますよ、それ」
「だから一発なんだよ」
でもそれだとコズイールに生き延びるチャンスがなくなる。
ただ結局、彼は俺が与えた機会を活用できなかったようだ。
「コズイールの高度がゼロになりました。えー……形状が著しく変化したようで、コズイールの座標が広範囲に散らばっています。コズイールは完全に停止しました」
成層圏の辺りからそのまま地面に激突したら、そうもなるだろう。
生きていたら捕まえるつもりだったが、あっけなく戦いが終わってしまった。俺は頭を掻く。
「どうも弱い者いじめのようで気が引ける。結局、何をどうやろうが後味が悪いな」
「そういうものですか」
カジャは人を殺しても何も感じない。道具だからだ。この使い魔の黒猫は首をかしげる。
「それにしても変ですよね。最初から姿なんか見せずに、魔力枯渇圏外から図書館ごと破壊していれば良かったのに」
教官長であるコズイールの立場からしてみれば、図書館を吹っ飛ばせば責任問題になる。隠蔽工作をしてもゼファーが調査すればごまかしきれない。
一方、「ただの殺人事件」なら隠蔽は容易だし、コズイールの責任問題にもなりにくい。うまく処理すれば逆に功績にできるだろう。何なら事故死や病死として片付けてしまってもいいのだ。
とまあ答えは実に単純だが、カジャのこの問いに答えてはいけない。
使い魔に人間心理に関する知識を与えすぎると、彼らは勝手な判断をして先回りして行動するようになる。そうなると厄介で、場合によっては危険な存在となりうる。
使い魔は便利な道具だが、取り扱いには細心の注意が必要だ。
だから俺は適当にごまかす。
「人間はよく判断を誤る。それだけだ」
「なるほど」
俺は床に転がっている杖と、その周辺に散らばっているエバンドの残骸を見る。魔術的な汚染が酷い。
「これ、悪霊性廃棄物として処理しておけ」
「はぁい。杖はどうしますか?」
こんなゴミみたいな魔道具いらない。用途もつまらないし、自分で作った方がまだマシな完成度だ。
「無力化しろ」
カジャの影が長く伸びると、杖とエバンドの残骸を影の中に沈める。
「処理完了しました」
「わかった」
俺は胸に手を当てると、エバンドとコズイールの冥福を祈った。