第17話「一切れの憤怒」
17
こうして俺は寮の食堂で毎日毎日みんなに熱力学や魔術史などを教えていたが、寮の食堂にはもちろん2年生もいる。
そしてやっぱり、彼らは俺のことを忘れていなかった。
「おいジン、楽しそうだな」
精霊術派の1年生相手に勉強会をしていると、2年の特待生たちがまたやってくる。
筆頭のスピネドールはいない。さすがに彼は俺と争うことの無謀さを理解したのだろう。
他の特待生2年生たちは、俺たちのいるテーブルを取り囲んで威圧してくる。主に俺ではなく、他の1年生たちをだ。
「お前ら一般生が何やっても無駄なんだよ」
「卒業しても地方の徴税官ぐらいしか就職がねえのにさ」
「ここの教官になれるのは、俺たち特待生だけだからな」
俺は何が何だかよくわからなかったので、特待生のアジュラを振り返る。
「あいつら何を言っているんだ?」
「もしかしてあんた、何も知らずに特待生やってるの?」
「うむ」
「あのね……」
アジュラは額を押さえてから、溜息まじりに教えてくれる。
「マルデガル魔法学院の教官は、特待生の中でも特に優秀な者を選抜しているのよ。特待生は多い年でも10人ぐらいしかいないけど、その中で教官の採用試験を突破できるのは1人か2人。狭き門なの」
特に優秀と言われても、あの程度の教官じゃなあ。
俺も溜息をつく。この学院は人材育成機関として機能していない。早めにぶっ壊そう。
それはそれとして、今はこの目の前の2年生たちをどうするかだ。
相手は子供だし穏便に処理したいなと思っていると、彼らは1年生たちに狼藉を始めた。
「お前らが精霊術を勉強しても、スピネドールには絶対に勝てねえよ」
「無駄だから諦めてパイでも食ってな!」
「ほらよ、先輩からの差し入れだ!」
挽肉のパイをノートの上にべちんと叩きつけ、大笑いする2年生たち。
俺の脳裏に、過去の記憶がフラッシュバックする。
ベオグランツ軍に故郷のゼオガを奪われ、着るものにも食べるものにも事欠いて震えていた、あの流浪の日々。
もし師匠が助けてくれなければ、俺たちはみんな凍死か餓死だっただろう。あのときは腐りかけの芋を生のまま子供たちに与え、大人たちは芋の蔓をかじっていたのだ。
あの日の俺がこのミートパイをもらえたら、インク汚れなど気にせず喜んで食べただろう。
それを粗末にしやがって。
見た目は若くても俺は年寄りだから、こういうのには神経質になってしまう。
「ほらどうした? 早く食わないとノートが読めなくなるぞ?」
「はっはっは! おいよせよ、インクがにじんでるのに食えるかよ?」
彼らには指導が必要だ。
それもかなりキツめの指導が。
俺はゆっくり立ち上がると、2年の特待生たちをじっと見つめる。
「お前たち」
「な、なんだ?」
さすがに俺には警戒しているのか、2年生たちが全員身構える。
俺は小皿サイズの浮遊円盤を召喚し、ノートの上のミートパイをそっと置く。インク汚れは魔法で分解した。研究者には必須の術だ。
「食べ物を粗末にするな」
「はぁ?」
2年生たちが怪訝そうな顔をすると、口々に叫び始める。
「何言ってんだ、お前?」
「今はそんなこと問題にしてねえんだよ!」
こいつら家庭でどんなしつけを受けてきたんだ。魔術師以前に人としてダメだろ。
俺はこいつらを殴りたい衝動に駆られたが、大人として最低限の節度を保つ。
「もう一度だけ言う。食べ物を粗末にするな。このパイはお前たちが食べろ」
「だからそれ、インクついてたじゃねーか。食える訳ねえだろ」
じゃあしょうがない。俺は彼らに宣告する。
「だったら力尽くでも食わせるが、それでいいな?」
この言葉を、彼らは宣戦布告と受け止めたようだ。
「おもしれえ!」
「この人数相手に勝てると思ってんのかよ!」
すかさずアジュラとマリエが1年生たちを避難させる。
「あー、それじゃみんな端に寄っとこうね。すぐ済むわ」
「そうね。みんな、私の後ろでしゃがんで」
マリエが面倒みてくれるのなら安心だな。
俺は2年生たちに告げた。
「では力尽くで食わせてやる」
パイを投げた2年生の肩をつかむと、そのまま足払いで引き倒す。故郷ゼオガに伝わる武術「具足術」だ。本来は戦場で敵将の首を捕るのに使う。
「うわっ!?」
戦争用の訓練をしている割に、この2年生は単純な足払いにも対処できなかった。
彼が受け身も取れずにひっくり返りかけたので、俺は慌てて肩をつかんで引き寄せる。頭を強打するところだった。危ない危ない。代わりに背中を強打してくれ。
「やりやがったな!」
他の2年生たちが叫ぶが、どういう訳か殴りかかってこない。
怖がっているというよりも、素手での喧嘩のやり方がわからないようだ。そんなことってあるのか。
邪魔してこないのならどうでもいいので、俺はこいつにパイを食わせることにする。仰向けにひっくり返った2年生の上体を膝で押さえつけ、俺は浮遊円盤からさっきのパイを取ろうとした。
だが次の瞬間、俺は動作を中断して防御呪文を展開する。背後から火の球が飛んできたからだ。
もちろん初級の術なので、こんなものは容易に防げる。ただし殺傷能力は十分に高い。生身の人間なら大火傷を負って死ぬ威力だ。
炎の球が散った後、俺は魔法を撃ってきた2年生を怒鳴りつけた。
「何をやっている! ここは学びの場だぞ!」
学校の中で殺人事件が起きるところだったぞ。しかも足下の同級生を巻き添えにするところだった。無茶苦茶だ。
だが2年生たちはおろおろしているだけで、まるで反省していない。
「お、おい、魔法が弾かれたぞ!?」
「そんな訳あるか! もう1発くらわせてやれ!」
まだやる気か。ここは寮の食堂だぞ。自分たちが何をやっているのかわかってないのか?
剣術でも弓術でも、それを使って良いか判断する基準は入念に教え込まれる。殺傷力の低い格闘術でもそうだ。
こいつらは魔術を学んでいる癖に、そんなことも判断できないらしい。
俺はもう怒ったぞ。
「この馬鹿者共がああぁっ!」
気づいたら俺は全員を床に投げ飛ばしていた。
途中、何度か魔法を撃たれた気がするが、頭に血が昇りすぎてよく覚えていない。とにかく俺は無傷だ。
一方、2年生たちは全員ひっくり返ったままうめいていた。
「い、いてえよぉ……」
「骨が! 骨が折れた!」
「腕が動かねえ……」
ぐちゃぐちゃうるせえ。
俺は床をバァンと踏み鳴らし、彼らを一喝する。
「手加減してやったからどこも折れとらん! だが、お前らに魔術を学ぶ資格はない!」
こいつらが戦場に出たら、味方の兵士や一般市民にまで危害を加えかねない。魔法をぶっ放すこと以外、本当に何も教わっていないようだ。
こりゃまずいぞ。早くこの学院をぶっ壊さないと。
おっと、だがその前に大人としてやるべきことがあった。
俺は無傷の浮遊円盤からパイを取り、最初の2年生に突き出す。
「食べなさい。インクは除去してある」
ノートにパイを投げつけた2年生は顔面蒼白のまま、ガタガタ震えながらパイを受け取った。歯の根が合わないのかカチカチと音を立てつつ、パイを四苦八苦しながら飲み下す。
俺は彼の目を真正面から見て、しっかりと諭す。
「食べ物を粗末にしてはいけないし、他人の勉強の邪魔もしてはいけない。わかったな?」
「は……」
カチカチと歯の音を立てながら、2年生がうなずく。
「はひ……」
「よろしい」
俺は他の2年生たちをじろりと睨む。全員無傷だが、真っ青な顔をしていた。
「お前たちもわかったな?」
全員がコクコクと必死でうなずいていた。これ以上怖がらせても教育的意味はないだろうし、今日はこれで放免してやろう。
するとそこに、特待生2年首席のスピネドールが静かに歩いてくる。
「ス、スピネドール!」
2年生たちは慌ててスピネドールにすがりつくが、スピネドールは静かに言った。
「これでわかっただろう? 首席の権限でお前たちに訓告する。二度とジンに逆らうな。それと他人の勉強の邪魔はするな」
スピネドールはそれだけ言うとすたすた歩き出すが、俺の横を通るときにぼそりと言った。
「借りは返したぞ」
借りってなんだ? いや、思い出したぞ。
「ああ」
続けて「こないだの決闘でお前が失禁したのをバレないようにしてやったことか」と言いかけたが、言ったらダメなので俺は黙った。まじめな表情でうなずいておく。
これ以降、特待生2年生たちが俺の勉強会の邪魔をすることはなくなった。
ただひとつだけ、困ったことがある。
「どうしてお前が勉強会にいるんだ、スピネドール」
するとスピネドールは熱心にノートを取りながら、真顔で問いかけてきた。
「ダメなのか?」
「いや、ダメではないが……」
表向き、俺は下級生なんだけどいいのか?