第14話『学院の陰謀』
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俺とマリアムの意識は「魂の円卓」へと移っていた。肉体はマルデガル魔術学院の図書館に置いたままだが、意識は実在しない空間に存在している。
8人分ある席のうち、俺たちはそれぞれの席に腰掛けた。
「この学院の妙な訓練を見て思ったのは、『火縄銃』との奇妙な共通点だ」
目の前の暗闇に、火縄銃の映像が浮かび上がる。付随して射程や威力などのデータも表示された。
師匠が残してくれた知識の保管庫である「書庫」には、様々な事物の記録が集積されている。この映像もそのひとつだ。
「サフィーデの隣国、ベオグランツでは火縄銃の生産が盛んだ」
「あなたの故郷ね」
「故郷があった場所だな。俺はベオグランツ人じゃない。それよりも話を続けよう」
俺の祖国ゼオガはもう存在しない。帝国に占領され、ゼオガ人は散り散りになった。
「数年前にベオグランツを調査したときには、皇帝直属の軍団が銃士隊をせっせと増強していた。おそらく今はかなりの規模になっているはずだ」
次に暗闇に浮かぶのは、火縄銃を装備した歩兵たちの隊列だ。
銃兵たちは横一列に並び、斉射で敵を打ち倒す。即座に次の斉射。
敵の長槍隊がばたばたと倒れ、無敵を誇る槍衾も隙間だらけになって戦闘力を喪失する。
槍衾が崩れると、銃兵たちは火縄銃に取り付けられた銃剣で突撃した。短いとはいえ、これも槍と同じ武器だ。
敵味方が入り乱れる乱戦になると、長槍隊は強さを発揮できない。残った敵兵は慌てて逃げ出した。
俺はその映像を見つめながら、話を再開する。
「火縄銃の有効射程、つまり殺傷能力と命中を期待できる距離はおよそ1アロン(100m)だ」
「この学院でも、1アロン先の標的を撃たせてるわね」
「そう、その通りだ」
俺はうなずいた。
「そして火縄銃の装弾にかかる時間は、熟練兵でおよそ20拍(20秒)。この学院で与えられる課題では、いずれもこれより早く撃つことを意識している」
「火縄銃兵を仮想敵とした、軍事訓練ってこと?」
マリアムは少し考え込んでから、疑問をぶつけてきた。
「火縄銃というのは、そんなに恐ろしいものなの?」
「恐ろしいとも。あれは戦争を変えてしまう武器だ」
俺は自信をもって断言した。
「火縄銃の弾は甲冑を易々と撃ち抜く。手足に当たろうが十分に致命傷になる。まともな治療ができない戦場では、まず助かるまい」
俺は虚空に浮かぶ火縄銃の映像をくるくる回しながら、溜息をついた。
「火縄銃の命中精度と連射速度は大したことがない。だが戦争のような集団戦になれば、狙って当てる必要はない。的は数十人から数百人単位の集団だ。誰かには当たる」
「ずいぶん大雑把ね」
射撃場では冷静な兵士も戦場だと手元が狂うから、それぐらい大雑把に考えておいた方が実戦的だ。
俺は説明を続ける。
「この銃弾の雨が生み出す致死性の空間には、槍を持った歩兵ではどうにもならない。かといって騎兵や弓兵では割に合わん」
「あら、そうなの?」
「弓兵も騎兵も訓練に時間がかかる。特に騎兵の場合、軍馬の調達と維持も容易ではない」
敵銃兵を殺すのに同数の味方騎兵が失われたら、あっという間に補充が追いつかなくなる。
「一方、銃兵は弾込めだけなら一日で習得できる。銃は非常に高価だが、死体から回収できる」
銃さえ回収できれば、次の戦闘までには新米銃兵になって戻ってくる。
俺がそんな話をすると、マリアムは眉をひそめた。
「高い威力と、取り扱いの容易さ……つまり兵の補充の簡単さが脅威なのね」
「そうだ。もちろんサフィーデも傍観している訳じゃないだろう。だからその一環として、戦場で使える魔術師を育成しているんじゃないかと俺は考えた」
俺は次に周辺国の地図を表示した。
サフィーデは周辺を険しい山に囲まれているが、ベオグランツとの国境地帯だけは平野だ。つまりベオグランツは他国と違い、サフィーデに容易に侵攻できる。
「サフィーデは小国で、騎兵や弓兵を多数維持する財力はない。かといって火薬や銃を揃えようにも、やはり金が足りない。ベオグランツと違って、硝石の輸入ルートを持ってないしな」
硝石は火薬の主原料だが、乾燥地帯でないと採掘できない。糞便から化学的に作る方法もあるが、かなり時間がかかる。
「あなたって世俗とは距離を置いているくせに、ずいぶんと世俗の事情に詳しいのね」
「だてに放浪してないさ。この百年、ずっと旅暮らしだ」
おかげでゼファーの異変に気づけなかったのだが、それはまあいいとしよう。
するとマリアムがふと首を傾げる。
「確かに魔術師なら何の道具もなしに、身ひとつで戦えるわね。だからこの学院で、2年間の訓練で兵士にしているの?」
「問題はそこなんだ」
俺は頭を掻く。
「正直、2年間もかけて育成したんじゃ割に合わない。銃兵ならここの生徒より強い兵を1日で育成できる。消耗戦になると兵の補充が追いつかないんだ。ベオグランツ軍の銃士隊には対抗できないんだよ」
「じゃあ何のために、こんな無駄なことをやってるの?」
当然の質問に、俺は肩をすくめるしかなかった。
「合理的な理由が見つからないときってのは、だいたい非合理的な理由が存在している。人間の組織というのは往々にして、本来の目的を見失う」
「その辺りはあなたの専門ね、シュバルディン」
マリアムは納得したようにうなずき、それからこう言った。
「私は政治や軍事には詳しくないけれど、あなたがそこまで言うのなら信じるわ。それでゼファーの目的が魔法を使う兵士の養成だとして、これからどうするの?」
「もちろん、そんなことはやめさせないとな。無駄だし」
魔術師を戦争に活用するなら、情報や土木や衛生といった裏方仕事がいい。特に通信は魔術師の専売特許だ。この世界にはまだ電信技術が存在していない。
だから俺はこう言う。
「俺は戦争などするべきではないと思うが、どうしてもやるというのなら無駄なくやるべきだと思う。その方が死人が少なくて済む」
マリアムが苦笑した。
「具体的にはどうするの?」
「ここの教官どもをぶちのめしたところで無駄だろうしな……」
軍事が絡んでいるとすれば、この流れの源流は学院の外にある。王室が絡んでいる可能性が高い。
しかし俺は王室に何のコネもないし、向こうも俺の話なんか聞いてくれないだろう。
だからまずはゼファーの野郎を引っ張り出す必要があった。
「なあマリアム」
「なに?」
「何をしたら、あの馬鹿な兄弟子を引っ張り出せると思う?」
「そうね……」
マリアムは顎に指を添えて考える仕草をして、にっこり笑った。
「あの人、計画を狂わされるのが一番苦手よね。計画を狂わされ続けたら、修正のために自ら赴くでしょう」
「さすがにあいつの計画とは思えんが」
ゼファーは魔術の研究以外、ほとんど何も考えていない。戦争なんかに興味ないだろう。
しかしマリアムはますます楽しげに笑う。
「だったらなおさら遠慮はいらないんじゃない? ゼファーの学校で彼の意に沿わない事態が進行しているのなら、むしろ感謝されてもいいわね」
完全に本気の口調で笑っている妹弟子に、俺は念のために確認しておく。
「それってつまり、俺が暴れるってことか?」
「ええ。ここの教官たちをぶちのめしてあげればいいんじゃないかしら。あの程度で人に物を教えようなんて、不遜にも程があるわ」
「おいおい」
相談する相手を間違えた気がする。
後悔する俺とは対照的に、マリアムはとても良い笑顔だ。
「ちょうどいいじゃない。教官たちからはとっくに睨まれてるんだし。いっそ、この学院をメチャクチャにしてあげなさいな」
「気安く言ってくれる」
いかんな、ちょっとワクワクしてきた。