第13話『マリアムとマリエ』
13
俺はカジャを肩に乗せたまま、深い溜息をついた。
「いかんな」
「いけませんか」
「うむ」
どうも最近、調子が良くない。
素性を隠して様子を見に来たのに、何もかもが思うようにいかない。
「前から思っていたんだが、どうして俺が『隠者』なんて呼ばれていたんだ?」
「世俗と関わらない人をそう呼ぶのでは?」
「まあそうだが」
隠者ならもう少し隠遁というか隠密というか、ひっそりと潜むような行動ができてもいいと思うんだが……。
「少々目立ちすぎた感がある」
「目立ちたくなかったのなら、もう少しやりようがあったんじゃないですか?」
「まあそうだが」
おかげですっかり学院の問題児になってしまい、寮にいればトッシュが押しかけてくるし、講義に出れば教官たちと衝突する。
「当面、空き時間は図書館で過ごすか……」
ここも退屈な場所だが、人気がほとんどないのがいい。他にいるのは見知らぬ女生徒が1人だけだ。
「しかし本当にロクでもない蔵書だな」
立派な革張りの本で、書名は箔押しだ。見た目のハッタリは効いている。肝心の中身は初歩的な魔術理論なので、特に読む必要がない。
これでも蔵書の中ではまだマシな方だ。
本はどれも古く、保存状態もいろいろだった。適当にかき集めてきた感じがする。
どうせ没落した貴族や商人から買い取ったんだろう。彼らは装丁が立派なら、中身は何でもいいのだ。
カジャが首を傾げている。
「なんでこんな無価値な情報を書物にする必要が?」
「本は高価だし、理解するには相応の教養を必要とする。『本をたくさん持っている』という状態が、資産と教養の証明になるのだ」
カジャは少し考え、それからぼそっとつぶやく。
「……つまり実用上の意味はないということですか」
「そうだ。実質的には無教養の証明でもあるな。愚かなことだ」
その程度の需要しかないから、書物の中身もたかが知れている。
人間の虚栄心についてカジャに説明しても良かったが、使い魔が人間の心理を深く理解すると危険なので割愛する。
俺は溜息をつき、窓際の席に腰を下ろした。
「この学校は本当にいかんな」
教官は素人臭く、蔵書も寄せ集め。学びの場としては最低と言ってもいい。
いっそもう「雷帝」の魔法で何もかも焼き払ってしまえば……などと、不穏な考えが脳裏をよぎる。帰りたい。
「お前もそう思わないか?」
俺が声をかけたのは、向かいに座っている女子生徒だ。先日も見かけたが、長い黒髪と切れ長の目が印象的な少女だ。
すると彼女が俺をじっと見つめ、おもむろに口を開く。
「いつから気づいてたの?」
俺はもう1回溜息をつき、正直に答えてやる。
「最初に見たときからだ、マリアム」
「今は『マリエ』よ、ジン」
俺と同じ「三賢者」である魔女マリアムは、10代半ばの少女の姿で俺をじっと見ていた。
「よく私だとわかったわね」
馬鹿にしてんのか。
「入門した頃の年格好で、髪型まで同じじゃないか。気づかない訳ないだろ」
するとマリアム……いやマリエは艶やかな黒髪を撫で、フッと微笑む。
「あら、覚えていてくれたのね。光栄だわ」
それにしてもいつの間に学院に潜入してたんだ、こいつ。しかし妙に可愛いな。
マリエは本を開いたまま、こう告げる。
「あなたの悪巧みが楽しそうだったから、私も若返って潜入してみたのよ」
「お前ってヤツは……」
優等生ぶってるかと思えば、たまにメチャクチャな悪ふざけをするな。昔からだけど。
マリエは俺の表情がおかしかったのか、クスクス笑う。そんなところも昔と同じだ。
「でも若返りの術には時間がかかるから、さすがに特待生試験には間に合わなかったわね」
しばらく音信不通だったのはそのせいか。肉体を作り替えている期間は、ほとんど身動きできないからな。
「だがせめて一言ぐらい連絡しろよ」
「潜入中だから連絡は最低限にしろって言ったのは、あなたでしょう?」
確かに言ったような気はするけど。
俺は不毛な議論をやめて、もっと有意義な質問をすることにした。
「特待生試験に間に合わなかったということは、お前は一般生か」
でもこいつ、講堂にいたっけ? 見覚えがない。
俺の疑念を理解したのか、マリエはちょっと得意げな……新弟子時代によく見せた表情をした。
「ゼファーに見つからないように隠蔽の魔法で印象を変えていたから、あなたも気づかなかったようね」
俺も他の生徒よりも教官の相手に忙しかったから、あんまりちゃんと見てなかった。
「で、どう?」
「どうって言われても困るんだが、見ての通りだ」
俺は腕組みしつつ、窓の外の景色を眺める。
「ここでは毎日毎日、破壊魔法の投射ばかり練習させている。物理学の基礎どころか、魔術の理論も教えない」
マリエは思案するような表情で、ぽつりとつぶやく。
「まるで魔法発射装置の製造所ね」
「まさにそんな感じだ」
「でも何のために、そんなことをさせているのかしら?」
俺は言うべきか悩んだが、妹弟子に隠し事をする必要もない。
「戦争に使う魔術師を養成しているのかもしれないな」
「戦争? それは確信を持っているの?」
マリエ……いやマリアムは俺の過去を知っている。
俺は説明を続けた。
「この学院で2年間修業しても、できるようになるのは破壊魔法の投射だけだ。戦闘しかできないが、1人ではとても戦えまい。だが一兵卒としてなら戦えないこともなかろう」
「確かにそうね。魔法で身を守るすべを学ばないから、1人では狼1匹狩れないでしょうね」
俺やマリアムなら、城を丸焼きにできるような巨大な火竜でも倒せる。実際倒した。
だがそれは状況に応じて様々な魔術を選択し、効率的に組み合わせることで初めて可能になる。ここの生徒たちでは何もできないうちに、火竜の放つ炎の息吹で消し炭にされてしまうだろう。
俺の言葉にマリアムはうなずいたが、彼女はまだ悩んでいる様子だ。
「戦争で祖国を失ったあなたは、戦争が人一倍嫌いよね? 冷静に判断できている自信はある?」
「確かに戦争は嫌いだが、それで判断が歪んだとは思っていないぞ。ちゃんと論拠はある。師匠の『書庫』を開こう」
俺はそう伝え、精神集中を開始した。