第126話「それぞれの道」
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サフィーデ軍とベリエ義勇軍の連合軍は、最初の会戦の勝利から十日後に帝都の城門をくぐった。
既に帝国軍には戦闘停止の命令が行き渡っており、帝都の城門は無血で開かれたという。
城門前では皇帝ギュイが側近たちと共に待っており、皇帝の宝冠をファルファリエに捧げたことが帝国の語り草となる。
こうしてファルファリエ皇女の乱は皇女側の勝利に終わった。
ギュイは降伏後、正式にファルファリエに譲位した。
皇帝が自発的に譲位したことで混乱は最小限に抑えられ、略奪や破壊は帝国領のどこでもほとんど起きなかったという。
導師によって廃人にされた先々代の皇帝については、約束通りマリエに診てもらうことになった。
「導師がかけていた術は解除したけど、しばらく後遺症を引きずるかも。特に記憶の錯誤には優しく接してあげて」
ベッドに横たわった老人を丹念に診察して、マリエは溜息をつく。
「寝たきりになっていた間にかなり健康を損ねているし、もう以前のような暮らしはできないでしょうね」
息子である先帝ギュイが肩を落とす。
「父の健康を損ねたのは私だ。食事に細工をした……」
「そっちは単なる中毒症状だからもう快復してるわ。まあでも、褒められたことではないわね」
マリエはギュイをじろりと睨む。
「命と食は等しきもの。食を弄ぶ者は命を弄ぶに等しいわ。許せないわね」
「う、うむ……すまない」
十代の少女にしか見えないマリエだが、そんな彼女にギュイは頭が上がらないようだ。
この調子ならギュイが後々の火種になる可能性は小さいだろう。
俺は気になっていたことを尋ねてみる。
「ギュイ殿はこれからどうなさるのか」
するとギュイは首飾りを示した。あれは帝国の国教の聖印だ。
「神の教えにすがり、亡き盟友たちの御霊を弔って生きていくつもりだ。本当は潔く自害したかったのだが、そこの娘にメチャクチャに叱られてな」
そりゃ叱られるだろうよ。マリエの両親は生きたくても生きられなかっただろうからな。
「例え自害であったとしても、ギュイ殿が死ねばファルファリエが疑われます。帝国の安寧を考えておられるのなら、生き恥を晒してでも生きるのが務めでしょう」
俺の言葉にギュイはうつむき加減になったが、やがてぼそりとつぶやいた。
「……そうだな。その通りだ」
ファルファリエもそうだが、ギュイも勝手に死ぬことは許されない。
正当な手続きで皇太子から皇帝へ、そして先帝へとなったギュイは重要な存在だ。彼をどう扱うかでファルファリエの正統性が評価される。
今もしギュイが死ねば、ファルファリエが簒奪者扱いされる可能性もあった。
ギュイは父親の細くなった腕をさすりながら、静かに言う。
「自分で決めたことだ。自分で責任を取る以外の道はあるまい。この道から逃げはせぬ」
良い覚悟だ。俺も見習おう。
これからギュイは、ファルファリエ新帝の正統性を担保する後ろ盾となる。
そしてファルファリエはこの後ろ盾を得ることで、独自の政策を打ち出せる。
例えばベリエ義勇軍の貴族に名誉と実権をたっぷり与え、支持基盤として取り込むとか。
何日もかけて一連の事後処理がようやく済んだ後、俺たちは軍と共にサフィーデに帰還することになった。
もちろん「俺たち」の中にファルファリエは入っていない。彼女はベオグランツ帝国の皇帝だ。
これからは別々の人生を歩むことになる。
明日はいよいよ帰国の途に就くという夜、ファルファリエは俺たちを招いて私的な食事会を開いてくれた。その場で彼女は俺たちに頭を下げる。
「ジン、マリエ、トッシュ、スピネドール、アジュラ、ナーシア、ユナ。あなたたちには本当にお世話になりました」
みんな少し寂しそうな顔をして、それぞれに別れの挨拶をする。
「心配するなよ、ファルファリエ……様! いつか俺も偉くなって、皇帝陛下に会いに来るからさ」
トッシュが気楽そうに言うと、アジュラが溜息をついた。
「あんたがそんなに偉くなれる訳ないじゃん。心配しなくても『念話』でいつでもおしゃべりできるからね? サフィーデと帝国の間に念話の通信網が作られるらしいし」
それサフィーデの軍事機密だぞ。まだ水面下の交渉も始まってないのに皇帝にバラすな。
するとナーシアが苦笑する。
「じゃあ私は皇帝陛下の取引先になって、また挨拶に来るね。ミレンデと帝国はもともと仲良しだし」
「そうですね、ナーシアの御実家とは御縁がありそうです」
ファルファリエが笑い返す。二人とも、そのときは互いの立場があることを理解している。今のように気楽な関係ではない。
だから二人はぎゅっと手を握り合う。
それを見ていたユナが寂しそうな顔をした。
「私の家は農家ですから、もう会えない気がしますね……」
だがスピネドールが偉そうに言い放つ。
「心配するな。仕官すれば機会はあるだろう。帝国駐在武官や外交官になればいい」
気楽に言うけど、平民出身でそこまで登り詰めるのは大変だぞ。
しかしスピネドールは続けてこう言う。
「だがお前たちの悩みなど、俺が簡単にどうにかしてやる。俺はサフィーデ王の甥だからな」
今バラすのか? このタイミングで?
見てみろ、みんな口をあんぐり開けてるぞ。
「え……スピ先輩、それマジですか?」
「この席でこんな冗談を言える訳がないだろう。俺の母は国王陛下の姉だ」
「マジでー……?」
ファルファリエとの別れを惜しむ場なのに、スピネドールが話題を独占している。本物の王子様は存在感が違うな。あともう少し空気を読め。
そう思っていたが、スピネドールはファルファリエの隣に立った。
「だから俺は帝国に残る」
「ちょっと待ってスピ先輩、『だから』の使い方がおかしい!?」
「落ち着けトッシュ。これも王族の仕事だ。帝国との関係を円滑にするため、当面は俺が外交の責任者になる。実務は役人に任せるがな」
偉そうに言い放ったスピネドールは、ファルファリエを見てフッと笑う。
「どうだ、俺がいれば寂しくはないだろう?」
「さあ、どうでしょう?」
つれない言い草だが、それを言えるところに二人の関係性が見え隠れしている。もしかして案外親密になっているのかもしれない。
ところでマリエがさっきから俺をじっと見ているんだが、あの視線の意味は何だ?
『気づいてなかったの?』
何に?
いや、一応反論しておくか。
『皆の私生活まで覗き見する訳がないだろう? 子供とはいえ、人としての尊厳がある』
『監視しなくても気づくわよ』
だから何に気づけというんだ。
まあいいや。俺はスピネドールに「シュバルディン教官長の言葉」を伝えることにする。
「帝国滞在中は休学扱いだそうだ。早く戻ってこないと俺たちの後輩になるぞ」
「む? むむ?」
俺たちの後輩になるのが不服らしく、難しい顔をしてしまうスピネドール。
「トッシュが『トッシュ先輩』になるのか? それは絶対に嫌だな」
「これからもスピ先輩が先輩ですから! 細かいこと気にしないで!」
トッシュが慌ててフォローしたが、スピネドールはしばらく考え込んだままだった。
ナーシアが肩をすくめて俺を見上げた。
「ま、偉い人たちはしょうがないか。私たちは帰って勉強の続きだね。またいろいろ教えてよ、ジン」
「ああいや、その件なんだが……」
俺は帰国後に言おうと思っていたことを、今言うことにした。
「俺も学院を去ることにした」
全員が一斉に俺を振り向いた。




