第124話「使い魔と暗号」
124
導師が使い魔を持っている。
皇帝ギュイの言葉は本当だった。
「ふはははははは! 行け! 解析しろ!」
導師の背後に赤い血のような渦が出現する。渦の中心部から無数の目がこちらを見ており、そのどれもが苦痛と怨嗟に歪んでいた。
カジャが露骨に嫌そうな顔をする。
『うわぁ……あるじどの、あれって死霊術で作った即席使い魔ですよね?』
『即席だがあれは強いぞ。カジャ、処理速度を最大レベルまでブーストしろ』
ちょいとまずいことになってきたな。
新鮮な生者の脳を集めて作った使い魔は、カジャたちのような正式な使い魔に匹敵する処理能力を持つ。人間の脳を流用しているのだから当然だ。
しかし最も警戒せねばならないのは、人間特有のひらめきがあることだ。本来の処理速度を無視していきなり正解に到達することがある。
『まずい。あの使い魔相手だと1024個では足りん』
『まさか!? だって……あっ!?』
カジャが驚きの声をあげる。
『あるじどの、いきなり本命を探り当てられました。直感的に解析対象を12個に絞り、集中的に解析したようです』
『ほらみろ』
導師にかけるはずだった『誘眠』の術は、簡単な対抗呪文で無効化されてしまう。ネタがバレた時点でもう無理だ。
俺は術を変え、もう一度やり直すことにした。
『カジャ、次はダミーを増やせるか?』
『別に僕も手加減してた訳じゃないですから、もうそんなに増やせませんよ……』
『じゃあしょうがない、暗号の強度を一段階上げるか』
生身の人間相手なら、単換字暗号で暗号化した詠唱を同時にいくつか走らせれば簡単に勝てる。詠唱完了までのわずかな時間では、頻度解析などできないからだ。
ただ使い魔はこういった解析が得意であり、この程度の暗号は通用しない。
『暗号形式をバーナム暗号に変更しろ。戦術を二式に変更、術式展開』
『了解! 第二式詠唱戦術に変更、バーナム暗号で暗号化します』
師匠が異界から持ち帰った『バーナム暗号』は非常にシンプルな暗号だが、暗号鍵を使わないと解読できない。
ただし暗号鍵は使い捨てにするのが鉄則だ。
さもないと暗号鍵の方を解析され、暗号文をあっけなく解読されてしまう。
だが、この暗号にも問題があった。
『あるじどの、詠唱時間が倍に延びてます』
『そりゃそうだろうな』
バーナム暗号最大の欠点は、元の文章と同じ長さの暗号鍵が必要になることだ。暗号鍵を毎回作る煩雑さもあり、こういったスピード勝負には向いてない気がする。
案の定、導師は使い魔に解析させているようだ。あいつがバーナム暗号のことを知っているかどうかが鍵だな。
とりあえず俺は敵の詠唱を無効化することに専念する。
『敵の詠唱を解析しろ』
『77個の詠唱が進行中。暗号形式、またしても単換字暗号と思われます』
『おかしいな』
詠唱の数が一気に増えたとはいえ、一度解読された暗号形式で勝負するつもりか。
『とりあえず頻度解析しろ』
『それが……』
カジャが申し訳なさそうに言う。
『頻度解析したら、全部デタラメな文章になりました。既存のどの言語、術式とも一致しません。全部ダミーですかね?』
まずい。
『違う、頻度解析に失敗したんだ。あいつは頻度解析できない方法で詠唱している』
ハッシュ関数などを使った高度な暗号は特有の癖が出るので、暗号形式の見誤りではないはずだ。
おそらく導師は暗号に不慣れで、ごく単純な単換字暗号しか使えない。
だが暗号形式の方ではなく、元の文章そのものが解読不可能だったら?
『そのデタラメな文章に、もう一度頻度解析をかけろ』
『えっ!? えっ!?』
『急げ、敵の詠唱が完了する! 人造言語の解読手順を実行しろ!』
他の誰も使っていない、導師だけのオリジナル言語。もしそういう特殊な言語を使っているのなら、解読したところで俺たちには読めない。
詠唱は術者本人が認識できればいいので、こういうオリジナル言語を使われると解読が難しい。暗号技術が未発達な時代、魔法の呪文は一般人が知らない秘密の言語によって継承されてきた。
カジャは慌てている。
『今から!? 今からやるの!? 文法もわからないのに!?』
『他に方法がない。俺は魔力減圧で時間を稼ぐ』
師匠が異界を渡ったとき、ニホン語やエー語といった異界の言語は師匠の弟子が教えてくれたという。その弟子は異界からの転生者であり、それらの言語を知っていたからだ。
だが他の異界ではそんな都合のいいことは起きない。
だから師匠は言語学について研究し、未知の言語を解読する方法を編み出した。基本的には頻度解析と同じだ。
ただし文法がわからないので、単換字暗号の解読ほど単純ではない。文字の前に文法の解析から始める必要がある。
カジャが悲鳴をあげながらフル回転で作業している。半泣きだ。
『むーりー! ぜったいむーりー!』
文法の解析には膨大な組み合わせを試す必要があるので、カジャの処理能力をもってしても時間が足りない。しかし他に方法がない。
どうしようもなかったら転移術で緊急脱出するしかない。敵の詠唱はまだ半分ほどだが、もし95%まで進行したら離脱しよう。
と思っていたら、カジャが首を傾げた。
『あれ? これって……ここをこうして、こうしたら読めるんじゃ?』
なんだ? こいつ、人間みたいなことを言ってるぞ……?
カジャは文字列を単語に区切り、それからヒョイヒョイと入れ替えて語順を直す。さらに文字を俺の母語のゼオガ語に直してくれた。
『なんだこれ、めっちゃかんたーん! 文法は古メシュテ語族、発音はオリジナルだけど「書庫」のニホン語とだいたい同じ五十音! はいっ、解読完了っ!』
おお、すげえな。
でもこれ、人間特有のひらめきで解いたよな?
『カジャ、もしかしてお前……』
その途端、カジャは慌てて首をぶんぶん振った。
『い、今はそんなこと気にしてる場合じゃないですよ! ほら、あいつをやっつけないと! ねっ?』
『おう』
こいつ絶対、自我に目覚めてるだろ……。しゃべり方がちょっとジロ・カジャの影響を受けてるし。こういうのは魔術的には「暴走している」状態と定義される。
とはいえ自我に目覚めた存在を削除もしづらい。どうしよう、これ。
俺は新たな悩みを抱えつつ、とりあえず目の前の敵に集中することにした。
『敵の詠唱、本命は「昏睡」です』
『非致死性で来たか』
あいつは俺を殺すつもりだから、昏倒させてからとどめを刺すつもりか。
じゃあちょうどいいな。
『俺らしい方法で片付ける。わかるか、カジャ?』
すると黒猫の使い魔は目をキランと輝かせた。
『わかります! あの方法ですね!』
やっぱりお前、自我に目覚めてるだろ。
* * *