第119話「決戦前夜」
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ファルファリエ皇女を総大将とするサフィーデ軍は、帝国領北西部のベリエ地方を進軍していた。深い山の中だ。
なぜかベリエ人たちも参陣している。
「我ら、ケズン卿を盟主とするベリエ同盟軍にございます。ファルファリエ殿下にお味方すべく馳せ参じました」
ファルファリエ皇女の前に近隣の領主たちが甲冑姿でひざまずく。
「ありがとうございます。この戦に勝利した暁には、必ずやケズン卿にベリエ王の称号を授けましょう。いえ、授けるというのは変ですね」
ファルファリエはにっこり笑い、こう続けた。
「ケズン家が脈々と守り継いできたベリエの王位を、帝国が公式に認めるのです。これからは帝室はケズン家に王家としての敬意を払いましょう」
「ははーっ!」
「なんというお言葉! 我ら一同感服いたしました!」
いいぞ、見事な役者っぷりだ。
どっちもな。
『ねえシュバルディン、この田舎芝居はどこまで続くの?』
マリエがうんざりした表情で聞いてくるので、俺も念話で返す。
『ずっとだ。それが政治だよ』
隣からクソでかい溜息が聞こえてくる。
『こんなことずっと続けて、飽きないのかしら?』
『飽きてやめれば殺し合いだからな……』
本音を押し隠しつつ、利害を調整してうまく付き合っていく。そのやり方がどれだけ滑稽で醜悪に見えたとしても、最後の一人になるまで殺し合うよりはマシだろう。
『ま、おかげで兵力も兵站も大幅に補強された。属州のベリエ人とはいえ、帝国の貴族であることに変わりはない。彼らが皇女に忠誠を誓った今、ファルファリエは単なるサフィーデの傀儡じゃない』
また溜息が聞こえてきたんですけど。
マリエには全く興味のない話だから仕方ないか……。
いや、違うな。興味がないんじゃない。
目を背けようとしているんだ。
『マリアムよ』
『なに、シュバルディン』
マリエが振り向く。
俺は少し悩みつつも、彼女に言った。
『もしかして政争に巻き込まれた経験があるのか?』
長い長い沈黙。長い。かなり長い。
いやいや、長すぎるだろう。もしかして無視されてるのか?
いささか不安になってきたところで、マリエが答えた。
『両親は投獄されて死んだわ』
三百年も経ってようやく知ったぞ、そんな重い話。お互いに過去を詮索しないようにしていたから当然だが。
マリエ……いや、マリアムは、両親が獄死して師匠に引き取られたということか。それもおそらく、政争に関係して。
これ以上聞くのはやめておこう。
俺に言えるのはこれだけだ。
『じゃあ、こういう生臭いのは俺に任せておけ』
『……そうね、そうするわ』
心なしか、彼女の顔色が悪い。
俺は彼女に笑いかける。
『俺は政争に親を殺された訳じゃない。ベオグランツ人の祖先、グランツ人に殺されただけだ』
『それでよくベオグランツ人と仲良くできるわね』
『グランツ人はもういないからな』
仇の子孫にまで恨みを晴らそうとは思わない。
それはそれとして、マリエには別のことを頼もう。
『政争はいいから戦争の方を頼んでもいいか』
『私、兵法はわからないわよ?』
そんなものは期待していないというか、俺たちは基本的に研究者だからな……。
『前にお前が見せてくれた術の中に、戦争に使えそうなものがあった。あれを使えば問題がひとつ解決する』
『そう、あれを使うのね。……どれよ?』
今から説明します。
真の敵である「導師」は、俺たち全員を復讐の対象にしている。そして復讐のやり方がメチャクチャだ。
だから敵の出方を予測しつつ、それをどう防ぐかが非常に悩ましい。多少はリスクを覚悟しないといけないのだが、マリエの術があればそれを抑えられるだろう。
そのときケズン家の旗を掲げた伝令が本隊に駆け込んでくる。
「家令より当主様に御注進! 領内外で帝国軍の斥候が聞き込みを行っていた模様にございます!」
報告を受けたケズン卿が顔色を変える。
「斥候はどうなった!?」
「まだ見つかっておりません! 既に引き揚げたと思われます!」
まずいな。斥候が帰還したのだとすれば、必要な情報を手に入れた……つまりサフィーデ軍の居場所を突き止めた可能性がある。
ディハルト将軍も表情を曇らせている。
「まずいですね。ベリエ地方にはまとまった帝国軍はいませんが、周辺から一斉に帝国軍が押し寄せてくる可能性があります」
俺たちの北側は国境の山脈なので敵はいない。南側には街道沿いに帝国軍が布陣しており、これが移動を開始していると厄介だ。退路を断たれ、半包囲される可能性がある。
ファルファリエが覚悟を決めたように表情を引き締めた。
「一戦交えねばなりませんか」
「一戦で済めばいいんだがな」
既にサフィーデ軍は帝国領内深くに進攻している。引き返すにしても一度戦う必要があるだろうが、戦っている間にもっと南から敵の増援が駆けつけるはずだ。
ただちに行軍を一時休止し、主立った者たちで軍議が開かれる。俺はただの学生なので知らん顔だ。ただしディハルト将軍には策を授けておいた。
すぐに結論が出たらしく、ファルファリエが総大将として全軍に命じる。
「行軍速度を上げます! 周辺の哨戒を厚くし、前方深くに斥候を放ちなさい!」
もう引き返せない以上、帝国軍の包囲網が完成する前に突破する。そのために進軍ルートの遥か先まで斥候を送り込み、待ち伏せの有無や会戦に適した地形を調べさせる。
これが俺とディハルト将軍の一致した結論だった。たぶん軍議でも異論はほとんど出なかっただろう。
他に選択肢がない状況なので仕方ないのだが、学生たちは慌てている。
「これどういうこと!? 何が始まるの!?」
「もしかして帝国軍が来るんじゃないか!?」
「えっ、なに!? 戦いになるの!?」
俺は同じ学生としてみんなを落ち着かせる。
「まだ戦いになると決まった訳じゃない。それにこのベリエ地方では領主たちの協力を得られている。戦いになったとしても孤立無援じゃない」
まあケズン卿たちがどこまで味方でいてくれるかは怪しいが……。負けそうになったらたぶん寝返ると思う。ケズン卿たちにはファルファリエ皇女と心中する理由が何もない。
そこらへんは負けそうにならなければ良いだけなので、マリエに一暴れしてもらおう。
俺はマリエに今後の動き方を説明し、それからこう言う。
『じゃあ後は任せた』
『任せるって……あなたはどうするのよ?』
『ちょっと導師を倒してくる』
『なんですって?』
マリエが俺をじろりと睨む。
『また一人で全部背負い込むつもり? ラルカンのことで負い目を感じてるのなら……』
『違う違う、そうじゃない』
マリエの中では俺はまだ百歳そこらの若者らしい。さすがにもうそんな青臭い感傷は残っていないぞ。
『全てを背負い込むには俺の背中は小さすぎる。お前とゼファーの助けが必要だ。お前たちの助けを得た上で、俺が導師を止める』
『よくわからないけど……まあいいわ。いつも通り、あなたの策に乗りましょう』
もう三百年の付き合いだから話が早くて助かる。
『でもシュバルディン、導師の居場所はわかるの?』
『今はわからん。だがあいつは俺たちに用があるからな』
そろそろ向こうから尻尾を出すはずだ。