第117話「ベリエの猛火(後編)」
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「当家にベリエ姓……ベリエの支配者たる名を蘇らせるとのお言葉、私の聞き違えなどではありませんな?」
ケズン卿の目がギラついている。怖い。
「当家はベリエ王弟を祖に持つ家柄。冗談や空手形では済みませんぞ?」
「冗談を言いにわざわざこんなところまで来たりはしません。私は本気です」
ファルファリエは優雅に、だが冷徹な政治家の顔をして言う。
「単刀直入に申し上げましょう。この戦いが終われば私が皇帝になり、サフィーデとベオグランツは本当の意味で同盟国になります。その場合、両国の国境地帯に位置するベリエ地方の役割は大きく変わります」
ケズン卿はしばし沈黙し、ファルファリエの言葉をじっと噛みしめる。
「……もう少し御説明をお願いできますか。殿下の真意を知りとうございます」
「ええ、もちろんです」
ファルファリエはうなずく。
「山脈に守られたこの地は、今まではサフィーデ攻略の足がかりでした。しかし今後はその役割を終えます。ベリエ地方は軍事上の要衝から、交易や交流の中継地へと変化するでしょう」
俺は無言で彼女の説明を見守る。今のところ、彼女に敵意を向けている者はいない。
「隣国サフィーデとの中継地でいざこざが起きては困りますが、平和になれば外ではなく内側で揉め事が起きるのが国の常です。であれば先手を打ち、揉め事の火種を消しておくのが良策でしょう」
ファルファリエは慎重に言葉を選んでいるが、実のところ身も蓋もないことを言っている。
要するに「サフィーデと戦争する可能性がなくなったら、今度はベリエ地方で独立運動とか起きるだろうから、その対策をしておきたい」ということだ。
ケズン卿も馬鹿ではないので、それはもちろん理解しているだろう。
「なるほど。では当家にベリエ地方の覇権を委ねるというおつもりですか?」
「そう受け取って頂いて構いません。もちろん他家との調整もありますので、貴家ばかり優遇はできませんが」
皇女と領主はしばらく見つめ合う。
やがてケズン卿は膝をつき、恭しく頭を垂れた。
「これより当家はギュイ陛下ではなくファルファリエ殿下を帝国の主と認め、忠誠を誓います」
「ありがとう、ケズン卿。その忠誠に必ず報いましょう」
ケズン卿は顔を上げ、ニヤリと笑う。
「サフィーデ軍の往来についてもお任せください。帝都には気づかれぬよう取り計らいますので、万事お任せを」
頼もしい言葉だ。『偽証』の術にも反応はない。嘘はなさそうだな。
ファルファリエはうなずき、俺に声をかける。
「本陣に帰りましょう」
「承知した」
俺は衛士たちを見た。みんな恐る恐るといった感じで立ち上がり、俺とは距離を保っている。完全に腰が退けていた。
「またな」
軽く手を挙げただけでビクッとされたので、俺はちょっと傷ついた。
ケズン領からの帰途、俺はファルファリエに問う。
「あれ嘘だろ?」
「嘘ではありませんが、事実の半分ですね」
軍馬を軽やかに操りながら、ファルファリエは答える。
「ケズン家ではベリエの豪族たちをまとめきれません。ベリエの王族の末裔を自称していますが、他家も大なり小なり王室ゆかりの血筋であると主張しています」
つまり多少力をつけたところで、何もできないということか。
「では、ケズン卿がベリエ王を名乗って帝室に叛旗を翻した場合はどうなる?」
「他の豪族たちがそれを認めないでしょう。内紛で自滅するでしょうね」
さらっと恐ろしいことを言うお姫様だ。
彼女は続ける。
「帝国には属州統治学という学問がありまして、その教本には『ベリエ地方の独立運動をいかにして阻止するか』という例題もありました」
なんというか、もうベオグランツ帝国だなあという感想しか出てこない。君たちは昔からそうだよ。
「その例題の『正解』は何だ?」
「覇権争いでやや劣勢な門閥貴族を選び、ベリエ地方の統治権をちらつかせて抱き込むのです。すると他の貴族たちは帝室ではなく、その貴族を裏切り者として攻撃し始めます。そのまま内紛で共倒れになり、独立はできません」
「なるほどな」
帝室に対する敵意を反乱勢力内部に向けさせ、矛先をそらしつつ自滅させる手法は実に帝国式だ。狡猾で無駄がない。俺が帝国で暮らしていた頃にも何度か見た。
「当代のケズン卿はベリエ第三位の門閥を率いる盟主です。先代から引き継いだ支持基盤は安定しており、内政でも大きな失敗は一度もありません。ただ勢力を全く拡大できていません」
気になる情報が出てきた。あの坊や、御曹司にありがちなタイプだったな。
ファルファリエは静かに言う。
「ケズン卿が今回の功労者となることは間違いありませんから、私がケズン卿を重用することは筋が通っています。ケズン卿はこれを機に勢力拡大を図るでしょうが、おそらく伸び悩むでしょう」
「そこまで見越してケズン卿を選んだ訳か」
「そうですね。それにベリエ王の称号がなくても困らない有力貴族では、交渉のしようがありませんから……」
多少は後ろめたいのか、ファルファリエがごにょごにょ言う。
「気にするな。これで両軍が戦死者を出さずに済むなら安いものだ。最初に脅しつけてから利得で釣る方法も悪くなかったと思う」
やり方としてはあくどいが、最初から利得をちらつかせて交渉するよりも効果的だ。
もともとあまり交渉材料のない俺たちとしては、少ない手札をなるべく高値で売りさばく必要があった。
十代の少女がこれだけできれば上出来だろう。
「だが教本通りのお上品なやり方だ」
「お上品、ですか?」
驚いたように馬上のファルファリエが振り返る。危ないぞ。
俺は馬を並べると彼女に笑いかけた。
「人間は論理だけで動く生き物ではない。お前は大事なことを見落としている」
* * *
「さすがに他国の軍勢を黙って通せば、他家から腰抜け呼ばわりされるぞ」
ケズン家の応接室で、パネイドル卿が心配そうに言う。彼はケズン領と隣接する領主で旧知の間柄だ。
同席するシェーザー卿もうなずいた。こちらはケズン家の遠縁だ。
「ファルファリエ殿下は隣国の軍隊を借りて戦わねばならないありさまだ。本当に肩入れして大丈夫なのか?」
彼らはケズン卿を筆頭とする門閥貴族であり、ケズン卿にとっては信頼できる同志だった。
彼らに反対され、ケズン卿は不安そうな顔で反論する。
「しかし勝てば見返りは大きいぞ。この協力で殿下が即位すれば、ビュレーやマルゴッドの一派を抑え込める」
土着の豪族であるベリエ系貴族たちも複数のグループに分かれている。帝室が送り込んできた非ベリエ系貴族たちを政略結婚で取り込むなど、なりふり構わぬ勢力拡大で互いにしのぎを削っていた。
だがケズン卿の同志たちの反応は鈍い。
「しかしベリエ人の誇りがな……」
「そうとも。卿は帝国に蹂躙された屈辱を忘れたのか?」
誇りや屈辱を持ち出されると弱いのが貴族だ。名誉や威厳を失うと貴族としてやっていけなくなる。
盟友たちに反対され、ケズン卿は次第に弱気になっていった。
「俺はケズン家の名誉にかけて殿下と約束したのだぞ? 今さら反故にはできん」
だが盟友たちは首を横に振る。
「どうせ口約束だろう? 密約は密約、破っても誰にもわからん」
「いっそ領内を通過させるふりをしてサフィーデ軍を攻撃したらどうだ? 皇帝側への手土産になる」
その言葉にケズン卿は焦る。
「他人事だと思って気楽に言うが、一万を超すサフィーデ兵と領内で戦えと!? うちの衛士隊や郷士たちで勝てる相手ではないし、討ち漏らした敵兵が領内でどんなことをするかわからん」
「まあ……そりゃそうだな」
「すまん、今のは忘れてくれ」
さすがに二人も提案を引っ込める。彼らも今すぐに動かせる兵は多くない。かといって農民兵を招集するには時間が足りなかった。
だが盟友たちはすぐに別の提案をする。
「では領内で歓待し、足止めしている間に帝国軍に通報するのはどうだ? 後始末は帝国軍に領外でやらせればいい」
「いや、それは無理だろう。通報は間に合わない」
俺はそう言いながら、認識撹乱の術を解除した。
三人がギョッとした顔で振り返る。
「お、お前は!?」
「誰だ!?」
「どこから入ってきた!?」
初対面の二人には挨拶しておくか。
「サフィーデ王立マルデガル魔術学院の者だ。構わずに密談を続けてくれ。帝国軍に通報するんだったな?」
即座に初対面の二人が剣を抜く。
「その通り。恨むなよ小僧」
「死んでもらうぞ、サフィーデ人!」
俺はゼオガ人だ。
ケズン卿は顔面蒼白で固まっているので、相手するのはパネイドル卿とシェーザー卿だけでいいな。
もっとも何人来ようが同じことだ。
今回も認識を撹乱しているので、俺に攻撃は当たらない。
二人は同士討ちのような形になり、互いの剣を激しくぶつけ合った。
「ぐわっ!?」
「えっ!?」
二人の貴族が驚きの声を上げたときには、彼らの剣はぐにゃりと曲がって絡まっている。金属加工用の魔法で曲げてやった。
俺は二人の目の前で腕組みをしたままだ。
「何をしている?」
二人は絡まった剣を投げ捨てようとしているが、魔法で指の筋肉を硬直させているので手が動かない。二人とも魔法に対する防御が全くないから、魔術師にとっては丸腰も同然だ。
俺は二人の首筋をトンと軽く叩き、なるべく穏やかに告げる。
「一本取ったぞ。もう一回やるか?」
次はもう少し手荒にやるけどな。
今はもう二人ともケズン卿と同じぐらいに顔面蒼白だ。そりゃそうだろう。たった一人の少年兵相手に何もできないのだから。
「な……なんなんだお前は!?」
「サフィーデの一兵士だ。ケズン卿の誠実さに免じて今回だけは聞かなかったことにしよう。だが次はないぞ」
俺はそう言うと再び認識撹乱の術で消え去る。……実際は同じ場所に突っ立っている。
三人は俺が見えなくなったので露骨に安堵したようだが、それでもまだキョロキョロと周囲を見回していた。
「消えた……?」
「行ったのか?」
ここにいるぞ。手をヒラヒラ振ってみせたが、もちろん気づいてもらえない。彼らの脳が俺の存在を認識できないのだ。「そこには誰もいない」と思い込んでいる。
パネイドル卿とシェーザー卿の硬直も解け、二人は絡まった剣を捨ててソファにへたり込んだ。
「なんだあれは……」
「この世の者とは思えなかったぞ」
ケズン卿が気の毒そうな顔をして言う。
「わかっただろう? ファルファリエ殿下は隣国からとんでもない連中を連れてきたんだ。あれが一万以上だぞ?」
いや、そんなことは言ってないが……。訂正するために再出現したら間抜けだろうな。
仕方ないので空いているソファに座って休ませてもらおう。
ついでに茶菓子をひとつもらっておくか。ベリエ地方の焼き菓子は細長い生地を複雑にひねって焼き上げていて、独特の食感が美味いそうだ。
俺がポリポリやっている間、三人の貴族は深刻な表情で相談を続けている。
「ダメだ、帝国軍に勝ち目があるとは思えん。さっきのヤツが将軍や幕僚を片っ端から暗殺してみろ、何万いようが軍は壊滅だ」
一番手っ取り早い方法だ。軍の統制を取り戻すのが大変だからやらないけどな。一般市民に被害が出かねない方法は避けたい。
俺はもうベオグランツ人を憎んではいない。
やがて三人はうなずき合う。
「もう何としてもファルファリエ殿下に勝ってもらうしかないな……」
「いっそ俺たちも挙兵して従軍するか? そうすれば腰抜け呼ばわりはされまい?」
「そうだな、乗っかるなら全力の方がいい」
とりあえずは大丈夫そうだな。俺は監視役に残していたカジャに命じる。
『引き続き監視を頼む。何かあればまた連絡してくれ』
『はぁい』
黒猫の使い魔がソファの上であくびをした。