第114話「敵中突破の策」
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帝国領に進攻したサフィーデ軍は、こうして騎兵斥候を各地に放った。
翌日、続々と情報が集まってくる。
『こちら第二分隊、交易都市リオワルド郊外に敵野営地を確認。戦列歩兵を中核とし、兵力はおよそ二万。騎兵も少数ながら存在する模様』
まっすぐ南下するコースは無理だな。二万の敵が相手では、勝っても大損害を受ける可能性が高い。
『こちら第三分隊、バッフェル要塞に増援として騎兵四千が到着したとの情報を入手。これより確認のため警戒前進します』
未確認だが南東ルートもダメっぽいな。要塞は迂回するつもりだったが、騎兵で追撃されたら痛い。
『第一分隊、東街道にて敵の臨時検問所を発見。街道周辺を騎兵が警戒しており、安全に通過できる方法が見当たりません。いかが致しますか?』
危ないから帰還させよう。こりゃ東ルートも難しそうだな……。
ファルファリエ皇女から提供された帝国領の地図を見下ろしつつ、ディハルト将軍が溜息をつく。
「先生、敵は効果的に兵を動かしていますね。まともな街道は全て封鎖されています」
「一戦交えるのは避けられないかもしれません。山林や渓谷を突き進めば別ですが」
問題は、こちらの兵力では一戦交えるだけでかなりの損失を覚悟せねばならず、次の戦いでは劣勢での野戦を余儀なくされることだ。
ディハルト将軍もそれはわかっているので、難しい顔をしている。
「先生、どう思われますか?」
「もうおわかりでしょう。一万と一万の軍勢が正面からぶつかり合えば互角ですが、一万と八千では大抵一方的な戦いになります。兵の損失は極力避けねばなりません」
俺は地図に置かれた幾つものマーカーを指差す。
「さすがはベオグランツ帝国、街道という街道に兵を配置して水も漏らさぬ構えです。これだけの兵力を擁する国は、近隣にはひとつもありません」
「ええ、諸侯の私兵ではなく国軍がこれだけの規模なのは恐ろしい……」
ディハルト将軍の顔色が悪い。諸侯から供出させた兵力とは違い、国軍は皇帝の命令ひとつで自在に動かせる。
だが俺は笑ってみせた。
「しかしその大兵力とて、国土に隙間なく敷き詰められている訳ではありません。街道という『線』の上に、『点』として置かれているに過ぎない。敵の目が届くのは、その点の周辺だけです」
それから俺は地図をじっと見て、しばらく考える。
「敵は国境地帯の平野部に兵を配していますが、北部の山岳地帯に近づくにつれて兵力が少なくなっていますね」
「それはそうでしょう。これだけ街道があるのに山の中を通る軍隊はいません。それに我が軍が山中を進軍すれば、移動に手間取ります。その間に敵は平野部から兵を動かして迎撃するでしょう」
ディハルト将軍は雑談するような軽い感じで応える。
俺もうなずいたが、気になっているのはそこではない。
「俺が気になったのは、その迎撃に動かすための兵力です。山沿いの駐屯地や要塞には確かに兵力がありますが、騎兵や騎馬砲兵など機動力のある部隊のほとんどが南への増援に駆り出されています」
ディハルト将軍はじっと考え、それからうなずく。
「機動力のある部隊を真っ先に動かすのは自然なので、つい失念していました。確かにこれでは、我々が北部山岳地帯を進軍したときに迎撃が遅れますね」
「もちろん山岳地帯を進軍するのは困難ですし、地元の領主たちの私兵が警戒しているでしょう。何も考えずに北部山岳地帯を進めば、進軍先で待ち伏せされるだけです」
山岳地帯は地形そのものが敵を阻むので、限られた兵力は平野部の街道に優先的に回す。そして兵は集めた方が強い。
というか、むやみに分散させた兵は個々に蹴散らされるだけでほとんど役に立たない。
だからこの兵力の配置は、兵法として理にかなっている。
しかしいくつかの条件をクリアすれば、北部山岳地帯を安全に進軍できる気がする。
「ディハルト殿」
「はい、先生」
若き将軍はまじめな顔でうなずき、こう言った。
「北部山岳地帯の領主たちをファルファリエ殿下側に寝返らせれば、帝国軍に通報される心配はありません。それどころか補給を受けられ、抜け道を案内してもらうことも可能でしょう」
「そこまでは無理でも、領内の通過を黙認してもらうだけでも勝機が出てきます。もちろん、これも大きな賭けですが」
北部領主たちがサフィーデ軍に味方するふりをして、帝国軍に密告する可能性はある。
その場合、見知らぬ土地の山中で敵の大軍の待ち伏せを受けるだろう。
ディハルト将軍は腕組みをして、「うーん」と唸る。珍しい。
「当初の計画通りに平野部を選び、敵の配備の隙間を縫うようにして街道筋を最速で進軍するのも手ではあるんですよね」
「その通りです。現状ではそれも可能でしょう」
騎兵斥候たちが駆け回って情報を集めてくれているので、俺たちの手元には最新の情報が常に届いている。
敵だって常に戦闘態勢で全軍が動いている訳ではない。ほとんどの場合、どこかに駐留して周辺に斥候を放っているだけだ。
だから敵の陣地を避け、敵の斥候を潰して時間稼ぎをしながら進軍すれば戦闘は避けられる。
もちろん後方に敵軍がそのまま残るので、もう退却はできない。帝都まで進み、ファルファリエ皇女を帝国の支配者に据えなければ、我々は敵中に孤立してすり潰されることになる。
「これは……悩ましい……」
即断即決の野心家であるディハルト将軍も、さすがに決めかねているようだ。俺だって悩む。
「平野部の敵を縫って進軍するか、山岳部を密かに進軍するか……」
俺も迷うところだったが、年配の爺さんとして助言させてもらう。
「北部山岳地帯の進軍には、地元領主たちの協力が不可欠です。調略に失敗すれば、そもそも悩む必要もありません」
まあその場合は進軍するか撤退するかでまた悩むことになる訳だが、ディハルト将軍をあまり困らせても仕方ないので俺はにっこり笑う。
「俺が感触を探ってみましょう。ファルファリエ皇女をお連れして、密かに現地に飛んでみます。いかがですか?」
「それは助かります! ぜひお願いします、先生」
眼鏡の将軍は俺に深々と頭を下げたのだった。
ということで、俺はその足でファルファリエに話をもちかける。ここは敵地だ、あまりぐずぐずしていられない。
「北部山岳地帯……というと、ベリエ地方ですか」
ファルファリエは地図をじっと見つつ、俺たちに帝国の内情を説明してくれる。
「帝国に支配されるまで、ベリエ地方は豪族たちが治める混沌とした土地でした。帝国史では、帝国がベリエ人たちに秩序をもたらしたと記していますが……」
ベオグランツ帝国の……いや、征服者のお決まりのパターンか。「我々は侵略したのではない、この地に秩序と文明をもたらして助けてやったのだ」というヤツだ。
国外に出ていろいろ見聞きしたせいか、ファルファリエは帝国史の欺瞞に気づいているようだった。
彼女は少し寂しげに続ける。
「実際はベリエ人たちが力の均衡を保っていたところに、土足で踏み入っただけでしょう。今の領主たちは当時の豪族の子孫と、征服時の帝国軍人の子孫が半々ぐらいです」
ディハルト将軍がうなずく。
「豪族たちの土地を分割し、監視役として功臣を送り込んだのでしょうね」
「はい。もう何十年も前のことですから遺恨は薄れつつあるようですが、水面下では対立もあるようです」
調略をする場合、一枚岩ではないのは逆に厄介だ。一枚岩ならまとめて寝返ってくれる可能性があるが、敵が内部で対立しているとどちらか一方しか味方にできない。
ただ、この対立は利用できるかもしれないな。
もちろん俺にどうにかできるはずはないので、ファルファリエにお伺いを立てる。
「調略できるか?」
「やりましょう」
ファルファリエは迷わずうなずき、それからにっこり笑ってみせる。
「ですのでお力添えをお願いしますね、ジン」
「俺か?」
何をやらせるつもりだ。