第10話『雷の道』
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なんだかんだで講義開始前から大変だったが、俺はようやく講義初日を迎えた。
ただこの講義というのが、どうも妙だった。
「これから諸君はあの標的に対して、この砂時計が落ちるまでに1発の破壊魔法を命中させることが求められる。これは初年度の目標であり、進級試験の課題でもある」
教官が示したのは、例によって人間大の丸太だった。
距離およそ1アロン(約100m)。
砂時計の方は、落ち方を数えてみると20拍(約20秒)ほど。
破壊魔法の形成と照準、それに着弾までの時間差も考慮すると、一度でも詠唱を間違えると間に合わないだろう。
生徒たちの間に微かな動揺が走るが、教官は厳しい表情だ。
「この程度で弱音を吐くなよ。この距離から60拍で3発当てることができなければ、卒業できないんだからな」
厳しいといっても、それしか練習しないのなら2年もあれば余裕だろう。
しかし卒業の基準がやけに具体的だな。やはり何かの目的があるようだ。
この距離といい、その制限時間といい、何か思い当たる節があるのだが……。
俺が難しい顔をして考えていると、教官が俺を見た。
「さて、ここは特待生に手本を見せてもらおうか。今年の新入生がどれほどのものか見せてもらおう。首席のジン、やってみろ」
「わかりました」
今、教官の表情がちょっと変だったな。何か言いたそうな顔をしていた。
もしかして、昨日俺が上級生とトラブルを起こしたことを知っているのだろうか。
俺は少し不安になりつつも、とりあえず師匠譲りの魔法を披露する。
たまには雷撃以外もやっておくか。
俺は純粋魔力をかき集め、力場を形成する。事前詠唱しているので、必要なのは照準の微調整ぐらいだ。
一応、適当に呪文っぽいのを唱えてみせる。
「見えざる矢よ、貫け」
魔力が運動エネルギーに変換され、一直線にほとばしる。『力弾』の呪文だ。
丸太は魔力の直撃を受け、バキバキと真っ二つに折れた。見えない巨人が拳で殴りつけたかのようだ。
これは最も初歩の単純な呪文だが、熱や光といった余計なエネルギーを生まないので最も効率がいい。ただし目に見えないので、狙いをつけるのに少し慣れが必要だ。
他の生徒たちがざわめく。
「雷撃以外もあんなにうまく使えるのか……」
「砂時計がまだ半分も落ちてないぞ!?」
「しかもメチャクチャな威力だ」
ちゃんと修業すればこの域には誰でも到達できる。才能も素質もいらない。才能や素質が必要になってくるのは、術式に数学を組み込む段階からだ。俺は挫折した……。
俺は昔を思い出して苦笑しつつ、チラリと教官を見る。
教官はやはり何か言いたげな顔をしていたが、何も言わない。
俺は無言で肩をすくめてみせると、訓練場のベンチに引っ込む。課題ができた以上、今日はもう何もやることがない。
「では全員、練習を始めろ。最初はゆっくりで構わんから、とにかくあの距離に届かせろ」
教官の言葉に、生徒たちは呪文の詠唱を開始する。
「くっそ……どうしても届かねえ」
「途中で消えちゃうよ」
みんな、どうすればいいのかわからずに苦労しているようだ。
魔法の投射はあまり射程を長くできない。破壊魔法は特に難しい。要求される熱量が大きい上に、ごく短時間で威力が落ちてしまうからだ。1/4アロン(25m)も飛ばせれば上出来の部類だ。
その4倍の1アロンも飛ばすには、呪文の上手な組み合わせと基礎魔力の底上げが必要になる。
この学院で初めて魔法を習った一般生たちは、まだ魔法の発動すらおぼつかない。入学前の初期研修で基礎は習ったらしいが、あんな距離まで魔法を飛ばすのはとても無理だろう。
だからみんな涙目になっている。
しかし教官は声を張り上げる。
「根性出せ! 無理だと思うから無理なんだ!」
俺だって最初の1年ぐらいは無理だったぞ。
みんな射程を伸ばそうと必死になっていて、多少はうまくいっているようだ。
一方で、普段よりも射程が短くなってしまった生徒もいる。
「何をやっている、ユナ!」
「ご、ごめんなさい!」
泣きそうな顔をしている女子生徒がいた。かわいそうに。ユナというのか。
特待生試験では見なかった顔なので、一般試験専願で入学した子だろう。つまり魔術の初心者だ。
「気合いが足りないから届かないんだ!」
「は、はいっ!」
歯を食いしばり、詠唱を始めるユナ。
だが初心者だから、フルパワーで2発は撃てない。2発目はへろへろの火の球で、手元から離れた瞬間に消えてしまった。
教官の怒号が炸裂する。
「そんな気合いで敵に勝てるか!」
敵? ふむ、敵か……なるほどな。読めたぞ。
それよりもこの指導方法、だいぶ問題があるな。俺はつぶやく。
「気合いや根性でどうにかなるなら、こんな学院は必要ないだろう」
魔術も剣術や水泳術のように肉体を使うから、本人の精神状態によって結果がかなり変わる。
だから気持ちを奮い立たせることにもそれなりに意味はあるが、それ以外の指導をしないのは教官失格だ。
俺のつぶやきが聞こえたのか、教官が振り向く。
「なんだ、ジン? 不満でもあるのか?」
「いえ」
不満はあるが、彼は学院が教官として正式に認めた人物だ。こいつに文句を言う暇があったら、ゼファーに直接言った方がいい。責任者は責任を取れ。
しかし反抗の意志を感じ取ったのか、教官は険しい顔をして俺を睨みつけてくる。
「ジン。お前の魔術の腕は確かだ。だが、それと教えることとは全く違う」
「そう思います」
優秀な魔術師が優秀な導師とは限らない。むしろ修業中につまずいたり悩んだりした人の方が、細やかな指導ができる気がする。
すると教官は俺にこんなことを言った。
「まだ不満そうだな。じゃあお前がこいつを指導してみろ。うまくいかなければ、二度とクソ生意気な態度を取るな。わかったか?」
「俺がですか?」
「そうだ。首席の実力を見せてもらおうか」
おいおい、大人げなさすぎるだろう。
「詠唱時間を気にしなければ簡単ですが……」
「だったらそれでやってみせろ!」
「では詠唱時間は考慮しない、ということで」
準備に時間さえかけられるのなら、どうにでもなるな。
俺はユナに歩み寄ると、その肩に触れて魔力を回復してやった。ただし彼女が扱える魔力量が少ない。撃てるのはおそらく1発分だ。
でも1発あれば十分だろう。
「ユナ。準備に十分な時間をかけられるなら、君にもあの距離は狙える」
俺は腰を少し屈めてユナに目線の高さを合わせると、彼女にゆっくり言った。
「君は魔法の射程を伸ばすことに集中して、大事なことを忘れている」
「大事なこと?」
「そう。『速さ』だ」
たぶんこれじゃ絶対にわからないと思うので、俺は説明を重ねる。
「君が生み出す火球は、わずか2拍程度で消滅してしまう。その間に標的に当てなければ、どれだけ射程を伸ばそうとしても無意味だ。消えるまでに当てないといけない。わかるかな?」
「は……はい」
真剣な表情でこっくりうなずくユナ。いい表情だ。この子は成長する。
少し専門的なことも説明しておこう。
「魔法を遠くに飛ばす場合、『時間』と『距離』という2つの要素は重要だ。時間が経てば魔法の効果は自然消滅するし、魔法を遠くに飛ばせば魔力を余計に消耗する。これはわかるな?」
「わかると思います」
ユナがこくこくうなずいたので、俺もうなずき返す。
「到達距離が4倍になれば、所要時間も4倍に増える。必要な魔力は16倍だ」
「そんなに」
「ああ。だから基礎魔力が少ないうちは気合いや根性ではどうにもならない」
俺は教官の方をちらりと見る。教官は露骨に不快そうな顔をしていた。お前も聞いとけよ、若造。
俺はユナに向き直ると、具体的な方法に言及する。
「今回、『距離』は変えられない。だから『時間』の方を短くして魔力を節約しよう。少し制御が難しくなるが、この距離なら電撃の魔法がいいだろうな」
「でもジンさん、私は電撃をうまく飛ばせなくて……」
「心配ない。そのためにも準備には時間をかけよう。魔法とはいえ、しょせんはただの放電現象だ」
魔法によって生じた現象や物質は、魔法の完成後は通常の物理法則に従う。電撃も同じだ。
だから電撃の通り道の空気をイオン化しておけば、高い確率でそっちに放電する。
俺は彼女の教本にペンで呪文を書き足す。イオン化の呪文だ。
「まず電撃を正確に導くために、前方を指さしながらこれを唱えてみよう。これは電撃の通り道を作る呪文で、魔力をほとんど使わないから大丈夫だ。その後、いつも通りに電撃の呪文を唱えるといい」
「わ、わかりました」
表情をキュッと引き締めたユナが、ゆっくり確かめるように詠唱を始める。
「アイレ……ヴィーカ……エリン……」
不完全ではあるが、空気がイオン化してきたように見える。といっても魔力の流れで判断しているだけなので、イオンが見えている訳じゃない。
心配だからもう1回唱えてもらおうか。
でも自信を失わせないように。
「そう、その調子だ。とてもいい。念のためにもう1回重ねてみようか」
「アイレ・ヴィーカ・エリン……」
2回目の詠唱はスラスラ出てきた。いい感じだ。
そしてユナは電撃の呪文を長々と……たぶん規定時間の3倍以上詠唱し、最後に稲妻を放つための一節を叫ぶ。
「ティジト・ユン・シュドヴォーカ!」
青白い光が炸裂し、その場にいた全員が目を背ける。
「うわっ!?」
標的の丸太には、表面に黒い焦げ痕もできていた。どうやら軽い損傷を与えたらしい。
長々と詠唱した割には威力が微妙だが、ユナは完全な素人だ。ぶっつけ本番でこれだけできたのなら上出来だろう。
「で……できちゃった……。うわあぁ……」
放心気味のユナに、俺は声をかける。
「凄いじゃないか、一発で成功したぞ。君はいい魔術師になる。俺は初めてのとき、師匠のローブを焦がして叱られたからな」
俺が心から賛辞を送ると、ユナが目を輝かせて俺を振り返った。
「あ、ありがとうございます、ジンさん! ジンさんのおかげです!」
「やったのは君だよ。そんなことよりも大事なのは、魔法の修練に必要なのは根性じゃない。知識と工夫だ」
電撃の呪文は制御が難しいが、とにかく速いので時間による減衰がほとんどない。文字通り雷光の速さだからな。
制御に関しては空気をイオン化することでクリアした。
うまくいって良かったが、あんまり喜ぶ訳にはいかない。これは標的が動かない上に、いくらでも時間をかけられるからこそできた芸当だ。
「実戦で使いこなすにはもっと練習が必要だが、とりあえずこれで課題は達成できたな」
これはイオン化した空気が動いてもダメなので、極めて限定された状況でしか使えない方法だ。
通り道に電気伝導体……要するに誰かの鎧だの血溜まりだのがあってもダメだ。生身の人間も電気をよく通すので邪魔になる。
まあでも、根性根性と喚いて生徒を疲弊させるよりは多少マシだろう。
俺は教官をチラリと見た。彼は悔しそうな表情をしている。
そこは悔しがるところじゃないだろう。今は教官の面子なんかよりも、もっと大事なことがあるはずだ。
だから俺ははっきり言ってやる。
「あなたにとっても、良い勉強になったのではありませんか?」
「くっ……クソ生意気なヤツめ……」
だから今はそんなこと気にしてる場合じゃないんだってば。気持ちはわかるけど。
こうして俺は、講義初日から教官とトラブルを起こした。確か潜入調査のはずなんだけどな。
やっぱり俺は賢者なんかじゃないと思う。