第1話『一次選考:標的破壊試験』
01
巷で『三賢者』などとクソ恥ずかしい名前で呼ばれて辟易していた俺だが、百年ほど姿を隠している間に世の中は妙な具合になっていた。
(あいつのやることとは思えんな……)
俺の目の前の建物には、『マルデガル魔術学院 第22期特待生選抜試験会場』の看板が掲げられていた。
兄弟子のゼファーが創設した学院だ。
(あの教え下手が教育者とはな……)
そんなことを考えていると、試験官が告げる。
「では次、受験番号021番から030番まで。実技試験会場に入りなさい」
俺は手元の受験票を見て立ち上がる。受験番号は「029」だ。
ぞろぞろと大きな石造りの建物に入り、俺は他の受験生たちと横一列に並ぶ。魔術というよりも弓術の練習場みたいな場所だ。
待ち構えていた別の試験官が、少し先にある標的を指さした。おおよそ1アロン(約100m)ちょっと、弓や火縄銃の間合いよりも少し遠い距離だ。
「一次試験を開始します。あの的に何でもいいから魔法を当て、損傷を与えなさい。制限時間はこの砂時計が落ちるまで。何発当てても構いません」
これは驚いた。驚いたときの癖であごひげを撫でようとしたが、我が愛しのあごひげはどこにもない。つるんとしている。
そうそう、今は17歳の少年の姿をしているんだったな。ひげなどあるはずがない。癖も直さないと。
しかし無ければ無いで少し寂しい。
それはそれとして、俺は使い魔を呼び出す。
「カジャよ」
次の瞬間、腰の圧縮ポーチからスルンと黒猫が飛び出してくる。実際には黒猫のような姿をした人造魔物だが、とにかく見た目は黒猫だ。
もっとも今は光学隠蔽を施しているので、俺以外には姿が見えない。声も聞こえない。
小さな黒猫は俺を見上げ、ちょっと気取った口調でこう応じる。
『はぁい。使い魔タロ・カジャ、あるじどののお召しにより、ここに参上ですよ』
少年のような中性的な声だ。
俺は『念話』の術を使い、声を発さずにカジャに命じる。
『俺の魔力量を監視し続けろ。使用している魔力が1カイトを超えたら警告してくれ』
『1カイトって……』
黒猫の使い魔が呆れたような声を出した。
『あるじどの、それじゃそこらへんの凡人と同じ魔力量じゃないですか』
今から凡人のふりをして受験するんだよ。
『フルパワーでぶっ放したら一発で俺だとバレるだろ。特に何もしなくても1000カイト以上あるから、油断するとすぐに10カイトぐらいは使ってしまう』
『でもあるじどの、1カイトじゃ、あそこまでは届きませんよ? 破壊魔法はだいたい、1/4アロンぐらいが有効射程ですよね?』
『うむ。距離を4倍に伸ばすと、消費魔力は16倍だな。1カイトではちと厳しいか』
破壊魔法を投射すると、「距離」と「時間」による2種類の威力減衰が発生するからだ。
『どうするつもりですか、あるじどの?』
『今考えているところだ』
つるんとしたあごを未練がましく撫でながら左右を見ると、みんな難しい顔をしてうんうん詠唱しているところだ。
「深紅の踊り手よ、灼熱の鳥よ……」
「ディ・エリシモ・マギテ・イヨルム……」
「火素召集! 第2階梯!」
精霊派、古魔術派、元素派の魔術師たちか。ぎこちない詠唱だが、基礎はしっかりしているな。
さて、どうしようか。
俺は的をじっと見る。材質は安物の丸太だ。
ちょっと様子を見るか。
あごを撫でながらぼんやりしていると、近くにいる受験生たちが術を完成させる。
「今こそ舞え、火燐の舞姫よ!」
「ディジオーム!」
「全火素放出!」
放たれた火の魔法は、どれも目標まで届かなかった。みるみるうちに途中で減衰し、1/4アロン(25m)から半アロン(50m)ほどで消えてしまう。
あからさまに落胆した表情の受験生たち。
カジャが溜息をつく。
『あーあ』
『まあそうなるだろうな。さて、ではやるか』
さすがに俺も1カイトの魔力では工夫が必要なので、少しばかりズルい術を使うことにする。
『どうするんです?』
『投射術を使わなければ簡単だ。破壊魔法の発生地点を標的の直上にすれば、減衰は発生しない』
座標指定と魔力の伝播に少しばかり時間が必要だが、制限時間はまだだいぶ余裕がある。
俺は慎重に魔力を送り、丸太の直上に電気エネルギーを発生させた。変な方向に飛ばないよう、それを丸太に向かって誘導する。
『あるじどの、1カイトを超えそうです』
『多少超えても問題はないが、まあこれぐらいにしておくか』
俺は組み上げた術式を発動させた。
「陰陽の力よ、結びて雷光となれ」
次の瞬間、青白い閃光と共に「バシン!」という激しい音が鳴り響いた。
周囲の受験生たちが驚く。
「うわおっ!?」
「きゃっ!?」
「えっ、なに!?」
結構うるさかったので驚かせてしまったようだが、1カイトしか使ってないので安心してほしい。全力で放っていたら、今ごろ俺以外全員死んでいる。
『あるじどの、標的が燃焼しています』
『乾いた丸太が落雷を受ければそうもなろう』
標的の丸太はみるみるうちに燃え上がり、丸太全体が炎に包まれつつあった。
今は試験官たちが慌てて砂をかけて火を消しているところだ。
「なんだ!? 今の魔法は『電撃』か!?」
「いや、飛んでいくところが見えなかったぞ!」
「いいから火を消せ! くそっ、砂じゃ無理だ!」
「おい誰か『水撃』は使えないか!」
なんか大騒ぎになってるけど、「損傷を与えろ」と言ったのは君たちだからな。
とはいえ少々気まずいので、何とかしておこう。
俺は事前詠唱しておいた術をひとつ、こっそり解放する。完成させた術式を起動させるだけなので、誰にも気づかれることはない。
「絶息の檻よ」
消火に便利な『窒息』の術だ。大気中の窒素を集めて丸太を包み込む。丸太周辺の酸素の比率が急激に低下し、一気に火勢が弱まった。
カジャがそれを見て、ぽつりと言う。
『あるじどの、それ結構ヤバい術ですよね?』
『呼吸を阻害する術でもあるからな。扱い方ひとつで人が死ぬ』
だから試験官たちが巻き込まれないよう、かなり繊細な操作をしているところだ。
窒素そのものはそのへんに大量にあるからタダ同然だが、操作の方に魔力を使う。気体の制御はかなり高度な術だ。
やがて試験官たちの声が聞こえてくる。
「あれ、急に火が弱まったぞ……」
「よくわからんが、今のうちに水ぶっかけろ!」
「任せとけ、水素招集! 第5階梯、放出!」
じょばじょばと水が降り注ぎ、びしょ濡れになった丸太は無事に鎮火できたようだ。よかったよかった。
俺が内心ホッとしていると、試験官たちがこちらに早足で歩いてきた。
何もまずいことはしてないはずだが、まさかこれ失格になったりしないよな?
すると試験官たちは互いに顔を見合わせた後、厳粛な顔をして俺に言った。
「029番」
「はい」
「こっちに……こっちに来なさい」
試験官の唇は微かに震えていた。
「一次試験、合格です」