5-30 印章の真偽
城主の言葉により部屋は静まり返った。ふたつの名門に振り回されている不安定な支配者とはいえ、この都市の最高権力者だ。そして建国の王の子孫だ。
「し、しかし城主様! こんな者の言うことなど聞いても意味がありません!」
「そもそもこの女は部外者ですぞ! そのような者の意見を聞き入れると言うのですか!?」
ふたつの名門の当主が狼狽気味に意見を言うが城主は気にも留めない。
「意味があるかどうかは私が決める。ヤラフニルさん。あなたの話をお聞きしましょう」
「シュリーと呼んでください。それが一番慣れているので。そしてお目通りが叶ったことを感謝します、城主様。さて……まずはこれを見てください。これが何かはご存知でしょうか」
下馬したシュリーは城主の机の前まで歩いて、机の上にアーゼスの印章を置く。
俺達はその様子を部屋の入り口近くから動かずに見守っていた。俺達と敵対している誰か、例えばふたつの名門の当主やその配下の者が後ろからシュリーを襲わないか警戒するためだ。
そういう役目だから、当主達の様子がなんとなくだが見える。印章が出てきた瞬間、ふたりの当主の後ろ姿からも動揺が読み取れた。
「かの伝説の魔法使い、アーゼスが各地に遺したと呼ばれる印だな? この地方にもひとつ伝わっている。この城の中に厳重に保管されていて、私も城主に就いた折に一度目にしただけだが」
「半分正解です。これはアーゼスの印章で間違いない。各地に伝わる印章に刻まれている紋様はそれぞれに違うのですが……おそらくこれは、この城に保管されていている印章と同じ紋様の物だと思われます」
「つまり?」
「この印章とここで保管されていている印章。そのどちらかが偽物だということです。おそらくはこちらが本物で、城に保管されているのが偽物でしょう」
かなり興味深いという表情の城主に、シュリーはこの印章を発見した経緯を簡単に説明する。
この印章を持っていた人物はサキナックの家に名を連ねる者であること。その人物はこの都市の権力闘争の被害者であり宝である印章を持ち出す動機があること。それから、サキナックの家を訪ねた際に当主は印章の存在を探るような態度をとったこと。あるいは刺客に狙われたことも。
「推論を組みてればどう考えてもこれが本物のように思えます。というわけで確認してみましょうか」
シュリーは明るく軽い口調で言った後に水晶玉を取り出す。
「この印章は粘土板に押し付けることにより紋様を浮かび上がらせる……というのはご存知ですよね。ここに粘土のような柔らかいものはありますか? それからリゼちゃん、手伝って」
城主の命令により兵士のひとりが粘土の塊を持ってくる。さすがお城、探せばそんな物もあるんだな。机の上に粘土を平らに伸ばして置き、その上に印章を寝かせる。
「コータ。わたしの手から印章に魔力が流れるようにして」
リゼは机の前に立ちながら小声で俺に指示を出す。結局魔法を使うのは俺である。まあいいけど。
リゼが印章を転がすのを見ながら、言われたとおりに魔力を込める。するとその横に置かれた水晶玉が光を放った。中を覗けば、粘土板に印章を押し付けるリゼの姿や周りの風景が映し出される。
「この水晶玉もアーゼスが遺したものです。各地の印章と連動していて、魔力を持った者が使えば反応する。そして何者がどこで印章を使ったのかを映し出す。普段は首都で厳重に保管されているものですが、このために持ってきました。そして…………どうやら本物で間違いないようですね」
淡々と説明を続けるシュリーだけど、安堵しているらしいことはなんとなく察せられた。これがもし偽物だったら、俺達のやっていることがかなりまずいものになっていたところだ。
ところがこれは本物だった。となればここに保管されている印章はなんなのだろう。
「ガノルテ。城で持っている印章を確認したい。ここに持ってきてくれるな?」
どこか険しい表情で城主はサキナックの当主に尋ねる。というよりは命令か。城主がこの命令をするのは当然と言えるだろう。この都市で保管されている歴史的な資料にして宝物。その存在意義が揺らいでいるのだから。
しかし当主の返答は否定だった。
「その必要はないと考えます。全てはこの女の妄言です。どこかで偶然手に入れたアーゼスの印章をこの街に持ってきて、我々を惑わしに来た。この女の持っている印章は本物かもしれませんが、我々が保管する印章も本物。それで良いのでは? こんなつまらない妄想のために我々の宝をおいそれと外に出すなど…………アーゼスから印章を直接賜った我々の祖先に義理が立ちません」
言い訳にしても苦しい。本物ならば堂々と見せればいいものを、俺達を狂ってると言ったり先祖への義理立てなんかを口にすることで意地でも拒否するつもりらしい。
だがそれは、保管されている印章が偽物だと自白しているようなものだ。
それだけサキナックの家には危機的な状況なんだろう。およそ六十年ほど前から、この家は印章に関して自分達の主を騙し続けてきた。自分の一族の人間が宝を持ち出したという不名誉を隠すために。
「はんっ! それ見たことか! 城主様これでサキナックの悪行が証明されようなものです! やはりこのような家にこの街を任せるのは間違っている」
「控えよコモズビカ」
「は……」
ここぞとばかりに相手の家を貶めて蹴落とそうとするチェバルの当主を城主は一言で黙らせる。
この都市の権力構造がわからなくなってきた。城主にはしっかりと威厳があって、都市を率いるリーダーとしての素質は十分だと思われる。その下にいる名門が勝手にいがみ合って足を引っ張り合い、そのくせに行政の重要なポストはふたつの家で占めている。
排除すれば混乱が起こるだろう。けれど排除したほうが有能なこの城主の才を存分に活かした統治ができる。そんな気がした。
レガルテとターナが自分の家を排除しようとしたというのは、そういう理由もあるのだろうな。
「ただ今のサキナックの弁明についての解釈は城主様にお任せします。私としてはこの城に保管されている印章は偽物だと確信が持てましたが。さて、このふたつの家の罪はこれだけではありません。……私はさきほど、この近くの図書館の禁書の棚を暴き中を見ました。この都市の重要な記録として多くの資料が残されている棚です」
シュリーの説明にチェバルの当主の顔がこわばったのがわかった。