5-20 スリの芝居
翌日の昼間。図書館前の通りにて少女の悲鳴が響き渡った。それから狼が逃げ出したぞとの声もあがった。実際に狼が通りに突然現れて女の子の前で大きく咆哮した。当然ながら通りは大混乱になる。
俺達だけが知っていることだが、女の子はフィアナで狼はワーウルフのユーリだ。危険は一切ない。
しかし事情を知らない人間にとっては恐ろしいことこの上ないだろう。誰かが飼っている狼が逃げ出したと多くの人が考えた。この世界では狼はありふれた動物だしこういう都市部では飼育する人間もそこまで珍しくはないのだから、こういう事態はありえることと言える。ここまで大きく立派で人をひと噛みで殺せそうなのは珍しいだろうけれど。
そういうわけで、人々は我先にと逃げ出した。その人の群れをしばらく見ながら吠えてから、ユーリは地面を蹴って走りその場から立ち去る。騒ぎを聞きつけた兵士が後を追うが見つかりはしないだろう。見つかるとすればローブを身にまとった少年が路地裏で腰を抜かしていたとかで、狼を見たかと問われたあっちに行ったとある方向を指差す光景ぐらいだろう。
さて、目の前で狼に襲われて恐ろしさのあまり気絶してしまった少女がいる。正確には気絶したふりをした少女であるフィアナだ。その体を抱えたリゼとターナが図書館の中に駆け込んでいく。
「大叔父様! 大叔父様はいませんか!?」
元々外の騒ぎで図書館の職員たちが何事かと表に出てきている。そこにターナの呼びかけだ。職員や図書館の来訪者といった野次馬の中から、この図書館の館長が出てくる。チェバルの当主と同じぐらいの年齢の男性。当主の弟でターナの大叔父。
「ターナ。どうしたんだ血相を変えて」
「友人が狼に襲われまして……」
「あのっ! 妹が狼に襲われて気を失ってしまいまして。ここでしばらく休ませてもらってもいいですか?」
妹という設定のフィアナを抱えたリゼが館長に頼み込む。ついでにリゼはターナの友人という設定でもある。
魔法使いであることとか自分の家のことを隠す時はあれだけ慌てるくせに、最初から相手を騙す演技をするとなれば完璧に役割を演じきっている。
こういうのって天性の悪人と言えるのだろうか。
「おおそうか。それは大変だったな。いいだろう。少しの間なら構わんよ」
「あ、ありがとうございます…………よかった……」
リゼは力が抜けたようによろけて、館長の体に倒れかかる。とっさにリゼの体を受け止める館長。気を失った女の子を抱えたまま転倒されたら、大きな怪我をしてしまう恐れがある。さすが上流階級の人間なだけあって、そういう気遣いはできる程度の余裕がある人間らしい。
そしてリゼは館長が鍵をしまっているポケットに手を当てていた。鍵の位置を把握してすぐに盗めるように意識を集中させる。
「大丈夫かね?」
「あ、はい。大丈夫です。えへへ安心したら力が抜けちゃって……怖かったから…………ありがとうございます」
「大叔父様、早くベッドに」
「あ、ああ…………」
ターナが声をかけて館長の注意を引きつけた瞬間、リゼは鍵を抜き取りながら館長から離れる。それから館長に連れられて図書館の建物の中を歩く。
バックヤードとか事務所とか準備室とか、そういう場所はこの世界の図書館にも存在する。そしてそこには職員が仮眠する簡易ベッドがあるらしい。
そこに向けて歩きながら、リゼがひそかに鍵をカイに手渡す。彼は野次馬の中に紛れていて、盗みがばれたりした時は騒ぎを起こして逃げ出す隙を作る仕事もあったのだけど、必要なかったようだ。リゼのスリの技術が完璧だったからな。
鍵を受け取ったカイは走ってその場から逃げる。そしてレガルテ達サキナックの家が懇意にしている鍵屋へと向かう。合鍵を作るためだ。
レガルテが事前に話をしていたため、合鍵作りは速やかに行われる。鍵屋にレガルテが待機もしているし。
この鍵屋はまさか、図書館の禁書の鍵を複製しているとは思いもよるまいけれど。ただ古い鍵を急いで複製してほしいというだけの依頼だ。それでも鍵屋にとってはサキナックは上客でレガルテは将来の当主である。
不要な詮索などするはずもなかった。
元となる鍵が必要なくなったタイミングでカイはまた走ってこれを返しに行く。一旦ターナに渡して、ターナから館長に返すという流れだ。事務所に落ちていましたよと。
これが部外者の手で落とし物として渡されたら警戒されるかもしれない。盗まれた可能性も考えられるだろう。
しかし身内で血縁者の手であれば、少しは警戒も薄くなるというもの。そういう期待があった。
「机のすぐ近くの床に落ちていました。何かの拍子に落ちたのかもしれませんが、大事な物かもしれないと思いまして」
「ああ……大事なものだよ。ありがとうターナ。うっかり落としてしまったようだ。私も年かもしれない」
「そんなこと言わないでくださいな大叔父様。まだまだお若いですよ」
笑顔で年上の親戚を気遣う言葉をかけるターナ。この人、身内の年長者には敬語使うんだな。いつもの姉御口調に慣れてると違和感すごいけど。
家では良いお嬢様であることを強制されてきたのかもしれない。レガルテの前ではそんなことを気にする必要はなく自然の自分のままでいられる。だから好きになったのかもな。
気絶したふりをしていたフィアナも、少しベッドで横になっていたら目覚めた。
「フィアナ! よかった! もう悪い狼さんいないから安心してね!」
「お姉ちゃん……怖かった! えっと、悪い狼さん怖かったです!」
そんな茶番劇をはさみながら、図書館の職員達に丁寧にお礼を言って建物から出る。
これで作戦完了である。ちなみにシュリーは、今回はお留守番だ。頭脳担当でこの中で一番動けないし、特に出番を用意できなかった。お尋ね者筆頭なわけであんまり外に出したくないしな。
同じく出番がなかった俺の言えたことではないけれど。
鍵屋の尽力によって、複製鍵はすぐにできた。後は夜になるのを待って禁書棚に忍び込むだけだ。
「よくやった若者諸君! あたしは嬉しいぞ! だが問題はここからだ。禁書の棚の中にどんな歴史的事実が隠されているかわからない」
隠れ家としている宿で、シュリーは上機嫌に笑う。新しい歴史的発見をする気満々だ。
「君達の活躍は記録には残らないだろう。だがあたしはよく覚えておこう。歴史的発見をしたあかつきには、諸君の功績もしっかりと皆に伝えるぞ」
やめてくれ。盗みに禁書棚破りだぞ。