1-6 俺のこと
鞄のそばに無造作に置かれている、ボロボロの魔導書に目をやる。元の持ち主がどれだけ嫌な奴かは知らないが、盗みはまずい。その持ち主にとっては大事な物だったのかもしれないし。
「よし、夜が明けたら魔法学校にもどるぞ。この本返して持ち主に謝れ。それから家に帰れ」
「やだ!」
そう言いながらリゼは本を手にとって、焚き火の中に投げ込む。止める間もなく本は燃えていくし、俺はぬいぐるみの体だから炎の中から本を救い出すこともできない。俺まで燃えてしまうのはまずい。
「おい! なにするんだ!」
「やだやだ! あんな奴に謝るなんて絶対やだ! それに家にも帰りたくない……」
「なんでだよ」
「だって…………家に戻ったら、わたしはもう外には出られない」
さっき手品に使ったカードを手でもてあそび指の上で器用に立たせながら、リゼはぽつりぽつりと口を開く。
「魔法の才能がないなんて、一族の恥って扱いだもん」
魔法使いの名門から才能が一切無い落ちこぼれが生まれることは珍しいことだけど、それ故に落ちこぼれの未来は暗いものだ。一族の人間なのを認められず家から追い出されるなら、まだ寛大な処置だ。
最初から存在がなかったことにされ、家の中に閉じ込められてそこから出ることなく一生を終えるとか。使用人扱いを受けて、きょうだいやいずれ生まれるその子どもたちに使役されるとか。あるいは奴隷として売られたり、最悪の場合殺されたりすることだってあるという。
こうすることで、名門は名門としての地位を保ってきた。
「そうか。それはさすがに、かわいそうだな」
現実をわからせるためにわざわざ一度学校に行かせたことを考えれば、殺すのはさすがに無いと思うけど。それでも、リゼの将来が閉ざされるのは間違いないらしい。
安易に家に戻るという選択が危険なのも理解できた。
「わかってくれた?」
「まあ、同情はする。だからといってお前の悪行は許さないからな」
「うぐっ……しかたないでしょう? わたしはこうやって逃げるしかなかったの。じゃないと、わたしの人生終わりだから」
「ちなみに、もしリゼがそうなったら、使い魔の俺はどうなるんだ?」
「…………詳しいわけじゃないけど、森に捨てられるって噂よ」
「それは困る」
こんな状態で、森で一人で生きるなんて無理だ。あんなオークとかもいるらしいし、そもそも使い魔がどう生きていけばいいのかもわからない。
となれば俺は現状、この女と一緒に行動するしかないわけか? まったく勘弁してほしい。
それにリゼと一緒に行動するにしても、確認しておかなきゃいけないことがもうひとつあるし。
「なあ。そういう事情だと、今頃お前の家はお前を探してるんじゃないか? 盗みがバレたのなら、学校とか相手の家も探すはず」
「んー。まあ、うん。そうなるかな。で、捕まったら終わり」
バカで無能でしかもおたずね者か。そして俺は、そんなやつと一緒に行動しないといけない。どうすればいいんだ、これ。
こんな切羽詰まった状況にも関わらず、当のリゼはなぜか気楽そうな様子で。
「でも、コータと一緒ならなんとかなると思うんだよね! だってコータ、ものすごい魔法使いみたいだし!」
いきなりこいつは何を言ってるんだ。まさか余裕の根拠が、俺とか言うんじゃないだろうな。
「魔法使い? 何言ってんだよ。俺はただの人間だし、俺の世界には魔法なんてないぞ? 魔法って言葉はあるけど、そんなものは空想の産物だ」
「言葉があるってことは、昔はあったんじゃない? で、コータにその才能が受け継がれた。さっきのファイヤーボールすごかったよ? あのオークを一撃で倒しちゃうんだから」
「オークを? 俺が?」
そういえば、なんであのオークが死んで俺たちが助かったのか、わからないままだ。オークに殴り飛ばされてたら、いつの間にか終わってたからな。
リゼはその様子を見ていたようで、そして俺のおかげという。
「そうだよー? あれ? もしかしてファイヤーボール撃ったって、自分でもわからなかったの? ……そんなことって…………ねえ、もう一回やってみてよ」
「やってみるって、どうやって」
「こう、両手を広げて前に突き出して…………危ないから空に向けて撃とう。寝転がってさ。それで、火の玉の形を考えながら撃ちたいって強く思うの。そして詠唱」
炎よ集え。燃やし、砕け。ファイヤーボール。
心の中でそれを唱えた瞬間。
夜空に、煌々と燃え上がる火の玉が打ち上げられた。ボールという言葉からはかけ離れた大きさ。直径数メートルはあろうかというサイズだ。
それによって夜の森が一瞬だけ、真昼のように明るく照らされる。俺はそれを呆然と見ていたし、たぶんリゼも同じ。
詠唱を口にして言ったわけではない。撃ちたいと考えながら心の中で言ってみただけ。
それだけで魔法が使えた。
その光景は、正直な印象を言えば……美しかった。
上向きに打ち上げてよかったな。下手な方向に撃ってたら、森に着火して火事になる所だった。
「すごい! すごいよやっぱり! コータすごい! 本当に魔法のこと知らないの? だったら天才だよ! 勉強したらすごい魔法使いになれるよ!」
「お、おう。そうなのか……」
凄い勢いで迫ってくるリゼに引きながら、今自分がしたことを思い返す。たしかに威力のありそうな火球だった。あれならさっきのオークも倒せるだろうな。
「コータとなら、わたしはこの旅を乗り越えられると思う! ねえコータ。魔法の知識は教えてあげる。だから、一緒に行こ!」
その時のリゼの笑顔は、俺がこれまでに見たどんな笑顔よりも、きれいなものだった。
リゼが偉大な魔法使いに憧れているのは本当なんだろう。その純粋さは羨ましい。
そして俺はリゼにとって、魅力的なまでの力があるんだろう。誰かに必要とされて、求められるというのも悪い気はしなかった。
さっき目にした火球の美しさと、リゼの笑顔。それが鮮烈に心に刻まれる。
だから、お前と一緒に行くなんて御免だとは言えなかった。
バカな選択なのはわかってる。
けれどそもそも、俺一人で生きるには無理がある状況だ。それよりは、リゼと一緒に魔法のことを学んでもとの世界に戻る方法を探すことのほうが、合理的なやり方だと思った。
それにちょっとだけ、自分の実力がどんなものか気になったっていうのもあるしな。そんなに強い力なら、試してみたくもあるだろう。
だって魔法だぞ?
「……わかった。他に行く当てもないしな。一緒に行こう」
「やったー!」
無邪気に喜ぶリゼを見て、ちょっと微笑ましいと思った。ちょっとだけ、だけど。
「あ、でも一つだけ約束してくれ。俺の言うことはちゃんと聞いて、一人で突っ走るのはやめてくれよ。お前に暴走されるといつか死ぬ気がする」
「あー。なんか安心したら眠くなってきた。コータが一緒に来てくれないって言ったら、どうしようかと。じゃあ、また明日ね! おやすみー」
「聞けよおい!!」
つまりは、バカで無能でお尋ね者の女の子と一緒に旅をするわけで。こいつの手綱はしっかり握っておかないとまずいことになる。そう思って言っておいたのだが、リゼは眠くなったのか着替え用のローブを取り出して、それにくるまりさっさと眠りについてしまった。寝るの早いなおい。
あれ、野宿の時って誰かが寝ないで見張りをするんだっけか。さっきのオークの仲間とかも来るかもしれないし。でもいつまで起きてればいいんだ? こいつが起きるまで? つまり、一晩中?
焚き火の炎を見ながら、しばらくは頑張って起きたはずだ。数時間は耐えたぞ。けれど俺も疲れたのか、知らずのうちに眠りに落ちていった。
俺、こんな調子で冒険なんてやっていけるんだろうか。早速不安になってきたぞ。