4-7 糸を辿る
屋敷で働く兵士や使用人達に順番に声をかけて、この印章について見覚えがないかと尋ねていく。そのほとんどは知らないという答えだった。
けれど一人だけ手がかりとなる証言をした人物がいた。この屋敷で長年庭師をしているという老齢の男だ。
彼が言うにはあの男のさらに先代の領主の頃、街の夫婦から領主に献上されたものだという。もう何十年も昔のこと。
「先代……いえ、もう先々代になりますか。あの人は街の皆さんからも尊敬を集めておりましての……なにか変わったものが手に入れば、とりあえず領主様に相談してみようとなっておりました。いい時代でしたのう……」
「そ、そうですか。そんなに昔のことでしたか」
あの男が領主の座につく前に先代が手に入れた物。そうなればあの男もどう扱えばいいかわからなかったのだろう。ずっとこの領内で暮らしてきたあいつにとっては、これが何なのかも知らなかっただろうし。そもそもこの印章の存在すら知らなかった可能性もある。
「それで御老人。これを献上したという夫婦について教えていただけますか。詳しく話しを聞きたいので」
せっかく見つけた手がかりだ。シュリーは慎重に話を聞いていく。
「仲のいい夫婦でしたぞ。狩人をしていた旦那の方は……去年亡くなりましたが。大勢のに見守られて満足げに旅立ったと。奥さんは今でも、ふたりが出会った場所を時々訪ねるそうですぞ。街の外れの湖に……」
なんか聞いたことがある話だな。
数日前に俺達に護衛の依頼をしてきた老人の家に再び伺う。
領主の屋敷の庭師の言っていた夫婦の奥さんの方とはこの老婦人に間違いなくて、シュリーが印章を見せると懐かしいという風に目を細めた。それから、懐かしそうに思い出話を語り始める。
「あの湖はあの人との出会いの場所なのよ」
それは前にも聞いた。若い頃、この付近でも美しい娘と評判だった彼女はふと思い立ち湖に遊びに行った。そこで狼に襲われかけて、狩人である若い男に助けられる。ふたりはまたたく間に恋に落ちて結婚。
以来、その湖は二人の思い出の場所である。
「あの時は知らなかったのだけど、あそこは狼がよく出るそうなんですって。だけどあの人は狼を恐れず、わたし達の思い出の場所を守るためにたくさんの狼を殺したわ。あの姿は本当に…………かっこよかった」
水場なんだから野生の動物が使うのは当然だろうけれど、この老婦人の旦那はなかなか過激な性格をしていたようだ。元々は狼の領域だった場所を自分の物にするために狼を狩ったと。
そしてその姿を思い起こしてうっとりしているこの老婦人も、なかなかいい性格してると思うぞ。
とにかく、この印章はそうやって狼を虐殺している最中に見つけたものらしい。狼の群れのねぐらの中に落ちていたという。場所はやはり湖の近く。街から出たことがない夫婦はこれがなんなのかわからず、とりあえず当時の領主様に献上してそれきりだという。美しいから高価なものかもしれないと考えたらしい。
「野生の狼が、襲った人間の持ち物をねぐらに持ち帰るというのはよくあることだって言われてます」
老婦人の家からの帰り道、フィアナが狩人としての知識を話す。
「人間が食料になるものをもっているかもしれないとか、それか人間の臭いがついた物を食料と間違えたているとか考えらています」
「そうか。この印章の材質は動物の牙だから、臭いを感じ取ったのかもしれないな。…………いや、狼がこれを持ち去ったっていう数十年近く前の時点でさえ、これが作られてから千年近くは経ってるから臭いなんて残ってないだろうが」
ワーウルフであるユーリが印章に鼻を近付ける。
「うん。動物の臭いは残ってない。これに触れてきた人間の臭いだけ」
「やっぱりそうか…………ああでも、触れてきた人間の臭いは残ってるんだよな? つまり誰かがここに印章を持ち運んできたってことなんだと思う。狼の群れの近くに……で、何らかの事情で狼にそれを奪われた。たぶん、襲われて死んだとかだ」
それが、数十年前に起こったと思われる出来事。残念ながらそれ以上のことは、今得ている情報からは推測できない。
だけど一歩ずつだが進んでいるというのはわかる。細い糸をたぐって真実に近付くこの感じは嫌いではない。
「よし、じゃあ次の現場だな。森の中にあるっていう、その湖の近くを探索だ」
そして俺達は大量の狼と対峙していた。
「ファイヤーアロー!」
リゼが叫んで俺が撃つ。よくできた連携によって数百本の矢が狼達に襲いかかり、その多くの命を一瞬にして奪う。しかし戦いは終わらない。
「後ろからも来るぞ! そっちだリゼ」
「そっちってどっちかな!?」
「北の方!」
この世界には円盤状の時計がないから、何時の方向にいるなんて指示もできない。リゼの肩の上に乗りながら周りを見回し次に襲ってくる狼を警戒する。
カイはシュリーのそばで剣を持ち、守りながら全体の状況を見て指示を出している。
フィアナは狼化しているユーリに守られながら狼を一体ずつ射殺していた。あちらも息のあった動きができているが、いかんせん狼の数が多い。明らかに自分よりも大きく強いユーリに狼達は警戒し攻撃するのをためらっているが、俺達は狼の縄張りにずけずけと乗り込んでいる側だ。それにユーリの後ろに隠れながら矢を射掛けてくる狩人の存在に狼も黙ってはいないだろう。
吠えながら一斉にユーリに飛びかかってくる狼達。ユーリもまたそちらに向かって吠えながら、先頭の狼に当て身を食らわせる。質量差によって向かってきた狼の体は弾き飛ばされて近くの木にぶつかり落ちる。
次の狼の首根っこをユーリは思いっきり噛んで、砕く。同時に別の狼の体を前足で払って遠くに飛ばし、別の狼をもう一本の前足で踏みつけ体重をかけることにより骨を砕こうとした。
それでも狼の群れは怯まない。一頭の勇敢かつ素早い狼が、仲間を踏みつけているユーリの前足に噛み付いた。
「ガルッ!」
悲鳴のような声を上げながらユーリは前足を動かして振り払おうとするが、その狼は離れなかった。
「ユーリくん!」
フィアナがすかさず助けに向かう。ナイフを取り出してその狼に接近して首を切り裂く。血が吹き出てフィアナの体にかかるが気にする暇はない。今の狼によってユーリに隙が生まれ、別の狼達が襲いかかろうと構えていた。
「一旦引くぞ! こっちだ!」
状況を見てカイはすかさず撤退を指示。全員固まって来た方向を戻っていく。最後尾は俺とリゼで、追撃してくる狼にファイヤーアローを浴びせた。
今日も探索が進んだことは進んだが、狼との戦いの方が多かった。そんな日だ。
でも慣れてきた。こんなことを続けてもう三日目なのだから。