12-24 精神の鍛錬
ナタリアはリゼ以上に運動を張り切っていたわけで、筋肉痛も相当深刻な様子だった。
それでもリゼみたいに泣き言を言わないあたりは、ちゃんと意志の強さがあるって感じがする。
「いだっ! いたたたた!」
特に痛みのひどいらしい足を中心とした柔軟体操を実施する。
体育の時間で教わったり、テレビでなんとなく見かけた内容を思い出しながらの指導だ。俺は素人だから正しいやり方なのかは知らない。けど、やらないよりいいだろう。
そういえば、筋肉痛の解消には温めるのも良いって聞いたことがあるな。血行の促進がどうとか。よし、後で早めのお風呂に入れてやるか。
「にぎゃー! コータのバカ! 悪魔! ひとでなし!」
とまあ、リゼはさっきから俺への呪詛を叫びながらの運動である。おう。いいぞ。好きなだけ罵ってくれ。その分きつい運動をさせてやるからな。
結局その日は、ナタリアの部屋で昼まで柔軟体操と多少の休憩にあてられた。運動量自体はさほど多くないから、疲れるってのはありえないはずだけど。
「はあ……はあ……疲れた……」
「そりゃな。ずっと叫んでたもんな。俺の事バカだって」
リゼが荒い息してるのは自業自得だ。
「コータ、昼からはどうする? また走る?」
やる気満々なナタリアに尋ねられたけど、少し返答に困る。
「うーん。食事の直後の運動は体に良くないっていうな。運動するよりは、昨日みたいにサハギンの勉強をするか。それか精神を鍛える方向にいくか」
「精神を鍛える? どうやって?」
「強い心を身につけるんだ」
でも、どうやれば効果的なのかは俺にもよくわからない。
座禅とか瞑想とか、そういう事をすればいいのかな? 運動なんかよりも、よっぽど専門家の意見を聞かなきゃいけなさそうな分野だけど。
「とりあえずやってみよう。座って、心を落ち着かせるんだ」
「ぐー」
「寝るな! フィアナ呼ぶぞ!」
「にぎゃー! やだ! やめて! わかりました寝ません!」
午後に入って、とりあえず瞑想っていうのをやることに。
座禅の形に足を組むこと自体、リゼにもナタリアにも初めての事だ。
あとリゼ、スカートで当たり前のように座禅組もうとするのやめなさい。はしたない。まあ俺の指示が悪かったんだけど。
とにかく座禅ではなく、普通に床に正座して貰うことにした。あと目を閉じてもらう。それから瞑想だけど。
「いいか、心を乱すんじゃない。落ち着くんだ。平常心だ。それから…………サハギンの姿を思い浮かべろ」
ピクリとナタリアの肩が震えた。リゼもまた、少し動揺したように見えた。
リゼのは、またナタリアが心を乱して暴走するのではという危惧からだな。今のところナタリアに特に取り乱す様子はないけれど。
「思い浮かべたか? できるだけ正確に思い浮かべろ。姿形。色。鱗の質感。匂い。鳴き声……を出すかはわからないけど」
目をつむり、その想像をしているらしいナタリアの様子を見る。彼女は歯を食いしばっているように見えた。
ナタリアのまぶたの裏には、一昨日見たサハギンがいるのだろうか。それとも両親を殺した想像上のサハギンかもしれない。
「いいか。そのサハギンはお前のことを殺そうとしている。そいつは手に棍棒を持っていて、その気になればお前を殺す事ができる。そんな時、お前は……」
「殺す」
「おっと」
突如ナタリアはかっと目を見開き、腰にさげているナイフを抜いて目の前の虚空を切り裂いた。
目の前にいた俺は咄嗟に飛び退いたから無事。
ナイフに収められているシャーダは驚いたように飛び出してくる。その様子を見て、ナタリアははっとした表情を見せた。
「あ。あれ。今確かに、目の前にサハギンがいたよな感覚が……」
「あれだね。想像とか考えてた事が本当の事って思い込んじゃうんだね。つい最近も見た。ううっ。怖い」
リゼはベルの事を思い出したのか、微かに身震いをした。
確かに似てるな。ベルみたいに、自分の妄想で自己完結した上で暴走する程度には重症でもないだろうけど。でも暴力的衝動に結びつくのは同じか。
ナタリアのこれはあくまでサハギンに向けた物だけど、それでも危険は危険だ。
「いいかナタリア。落ち着く事が大切だ。本物のサハギンを前にしても、落ち着いて戦う態度がなければ倒すなんて無理だ」
「が、頑張ります」
「そうだな。……なにかいい方法があればいいんだけどな」
「本物のサハギンを見るとか?」
「…………できるかなー」
本物のサハギンなら、海にいる。さすがにそこまで今から向かう気にはなれないけど。
一昨日殺して持ち帰ったサハギンは、まだ街のどこかにあるはずだ。
ギルドの裏手には、討伐されて持ち帰られた怪物を置くスペースがあるという。今回の件の収束までは、保管されるだろう。
とはいえ、見せてもらえるかどうかは微妙だな。それに既に腐敗が始まってるだろうし。ナタリアが見たいサハギンとは、様子が様変わりしてるかも。
でも、行く価値はあるかもな。腐って変わり果てた死体から慣れていってもいい。あと、死体なら何しても誰も文句言わないだろうし。
筋肉痛が早めに治るのも若さの特権。ふたりとも、そろそろ普通に動けるようになったらしい。
「よし! ギルド行くんだね! 歩いて行くんだよね!? 歩いてだよね!?」
「何言ってるの、リゼ。走るよ! 鍛えるんでしょ!」
「うへぇー。あ、昼だし先にご飯食べに行こうよ!」
「後でね!」
「えー」
よほど走るのが嫌なのか食い気味に尋ねるリゼと、ここぞとばかかりに体力作りを怠らない前向きなナタリア。
ナタリアも、気持ちだけならいい感じなんだけどな。後は安定感だけなんだよな。
とりあえず、揃ってギルドまで向かおうとする。部屋の扉を開けて外に出ようとして。
「うわっと」
扉が向こうから勝手に開いたから、ノブに手を触れようとしていたリゼが慌てて飛び退く。
もちろん、扉がひとりでに開くなんてありえない。誰かが外から開けたわけで。
「リゼさん。至急、港まで行ってください。外は大変な騒ぎです」
「へ? どうして?」
ナタリアの叔父、大将と呼ばれている男が息を切らしたように駆け込んできた。困惑する俺達に、彼は続けて言った。
「港に、サハギンの大群が押し寄せてきています。人を襲っているそうです。戦える者はみんな対処に当たるようにと、指示が出ています!」
サハギンが港に? なんでまた。向こうから仕掛けてくる事があるなんて、思ってもいなかった。




