12-18 話し相手
幸いにして、街の人達の間でサハギンの存在は既に広まっていた。
ナタリアが八年前に見たというサハギンの影も、もしかしたら本当だったのかもという噂は少なからずあった。
だから、ナタリアの事を誰も信じないって状況ではない。だからってさっきのナタリアの様子を見てしまった以上、まともに接することができるかと言われれば困るわけで。
でも必要以上に怖がることもないと思うぞ。相手は基本的に、戦う力のない女の子なんだから。
俺達より年上ではあるけど、こっちの方が強い。だから。だからな。
「だからリゼ。諦めて入れ」
「やだー! 絶対やだー! 今夜は別の宿に泊まるー!」
地べたに伏せて道の僅かな凹凸にしがみつき、ナタリアがいる店へ立ち入る事を断固とした決意で拒むリゼを、さっきから宥めているけどうまくいかない。
まったく頑固な奴だ。でもお店の前で寝転ぶとか、営業妨害だぞ。
「あの。えーっと、ナタリアさんはまだ目覚めてないそうですよ」
「本当!?」
「うわっ!?」
先立って店の中の様子を見てきたらしいフィアナが戻って報告した途端、こいつは大喜びで立ち上がった。まったく。
「そっかー。わかった。よし、じゃあ部屋に閉じこもっちゃおうかなー」
「リゼさん。それが……ナタリアさんはしばらく起きないみたいですけど、一応起きた時にひとりにならないように、交代で見守っててほしいと、その、大将さんから言われました」
「じゃあ最初はわたしがそれやります!」
大将さん。この店の店主からのお願いとあれば聞いてやるべきだし、まあナタリアをひとりにさせたら危険っていうのもわかる。
しばらく起きないなら、最初に自分の番を消費してしまおうって魂胆なのもよくわかる。自己中心的な考え方だけど、まあいいだろう。
フィアナが、どこか目を逸し気味に話してるのも気になるし。
ナタリアが寝かされているのは自室のベッド。俺達が事情聴取を受けている間に街の人達の手で運ばれたとのこと。
大将は店を開けなきゃいけないから、ナタリアを見守るのは誰かがしないとな。
ちらりと店の様子を見たところ、みんなサハギンの噂でもちきりだった。
「失礼しまーす。寝てるから聞こえないだろうけどねー。えへへー」
声の音量は抑えつつ、でも嬉しさは隠しきれない様子で部屋に入るリゼ。あとその頭に乗っかってる俺。
ベッドはちょうど月明かりに照らされていて、そこにはナタリアが上体を起こした姿勢で乗っていた。
そう、上体を起こしていた。あと目は開いていたし、しっかりこっちを見ていた。
「じゃあリゼさん。頑張ってください」
背後でそんなフィアナの声と共に、バタンと扉の閉まる音が聞こえた。ああ。嵌められたな。
「うえぇっ!? ふ、フィアナちゃんこれはどういう事かなっ!? なんでナタリアさん起きてるのかな!?」
「えーっと。すいません嘘をつきました。あ、違います。リゼさんを呼びに行った間に起きちゃったんですね。偶然というか、不幸でしたね」
木製の扉の向こうから、なんとも白々しい返事が返ってきた。最初からこのつもりだったな。
「嘘って今言ったよね!? なんでそんなこと言うの!? お母さんはフィアナちゃんをそんな子に育てた覚えはないです!」
「育てられてないです」
「そりゃそうだ。お前は誰の母でもないもんな」
「コータも! なにか言ってやってよ!」
「なあフィアナ。自分で考えてやった事じゃないだろ? 誰に言われた? オロゾか?」
「いえ。大将さんに」
「そうか」
たぶん、起きているだろうから誰か相手してやってくれみたいなお願いをされたんだろう。可能ならナタリアと歳の近い女の子がいいってお願いされたのかも。だからリゼを選んだ。
まあ、フィアナが自発的に嘘をついたっていうのは事実だろうけど。でもナタリアの話し相手としてリゼが最適なのは事実だろうし。それにこうでもしないと、リゼはナタリアと対面しないだろうし。
「あの。リゼさん。こういう役は、リゼさんが一番向いてると思うんです」
「うー…………」
フィアナの言う通りではあるよな。リゼは、こういう人間に寄り添うことには実績がある。
今回に関しては、リゼはそんなにやる気を起こさないだろうけど。けど、やらなければならない状況に追い込まれたなら。
「わかった……」
渋々ながら、でも決意に満ちた声で扉の向こうに声をかけて、改めてナタリアの方に向き直る。
リゼが扉に向かって大騒ぎしている間、ナタリアは一言も話さずこっちを見ていた。
怖いといえば怖い。でも、さっきみたいに錯乱して暴れられるよりはいい。
「ええっと。ご機嫌いかがですか、ナタリアさん」
戸惑いながらも、椅子に座ってナタリアと対面。ナタリアといえばさっきと同じく、上体を起こした姿勢のまま。
表情を見ても感情に乏しい。そんな感じだ。そしてリゼの呼びかけにも無反応だった。
「あれー? そんな無口な人でしたっけ? さっきまではもっとこう、普通に話してたっていうか。あ、待って。さっきみたいに暴れたりしないでくださいお願いします!」
「落ち着けリゼ。失礼だろ」
「でもー」
今はナタリアも動こうとしないんだから、錯乱状態じゃないはず。リゼが下手に刺激した結果、藪蛇になることの方が怖い。
ナタリアが武器にしていた剣は、シャーダが入ってるナイフと共に枕元に置いてある。その気になれば手にとって斬りつけることもできるし、下手な刺激はしない。それがいい。
「だってだって。怖かったんだもん!」
「そうだな。怖かったな。うん。よしよし」
リゼが本気で恐怖を感じてたのも事実だからな。そこは否定しちゃいけないな。ほら、頭に撫でてやる。
「えへへー。コータは優しいね。わたしの偉大さにようやく気付けたかな?」
「うるさい。調子に乗るなバカ」
「ほあっ!?」
「…………くすっ」
「ほ?」
「え?」
くすりと小さな笑い声が聞こえた。誰の笑い声って? 俺やリゼじゃないなら、もちろんナタリアだ。
俺とリゼがそっちを向くと、ナタリアはすましたような表情を取り繕った。
それでも俺達が見つめ続けると、さすがに耐えられなくなったのか、ベッドの上で寝転んでがばりと布団をかぶって俺達から隠れた。
「ねえコータ。これって」
「うん。そうだな。大丈夫そうだな」
ナタリアの精神状態は落ち着いてるとは言えないかもだけど、少なくともさっきみたいに錯乱したりはしない。




