12-8 本の著者
その巻物本を一通り読んで、著者の事をあらかた知った。自分の事をなんでも話してしまうタイプの人で良かった。
その老人は、今年で七十歳になるという。なかなかの長生きだ。近所の人に名前を聞いて、まだ存命というのは確かめている。
この街で50年、港で働いてきた。毎日港にやってくる交易船の、荷の積み下ろしやその仕分けに整理が主な仕事。
それ一本で生きてきたし、真面目な仕事ぶりが評価されて周囲からの信頼も厚かった。仕事人生の終わりには、それなりに高い地位にまでいたらしい。
「そんな人が引退したら、確かに暇になりますよね」
「うん。だから、第二の人生っていうのを、始めようとする」
「なるほど。それで研究者ですか」
「人に、あまり迷惑をかけない趣味だから、いいと思うけどね」
その老人のかつての知り合いなんかを辿って、港から少し内陸部に入った所にある住宅地を歩く。
お金持ちが住む地域とは言えない。庶民的という言葉が似合いそうではある。
けれど、建っている木造の住宅はどれもきれいだし、道行く人の格好もそんなに汚れてはいない。通りを歩く子供ふたりに対して、よからぬ行為に及ぼうとする輩もいない。
これが、貧困層が集まるスラム街なんかだとひどいのだけど、さすがにそんな場所にふたりで行く気にはならないし。本の著者がここに住んでいてよかった。
「例のおじいさんは、なんでサハギンなんかを調べようと思ったのでしょうか」
「事件について、よく覚えていたとか、そういうことかも」
「なるほど……」
「それに、この街では、サハギンについて調べる人はいなかったのかも。先駆者に、なれた」
「誰でも、一番始めになりたいですもんね」
だからその老人は、サハギンの研究をして一冊の本にまとめた。けど実際の所、学術的な研究書と呼ぶにはふさわしくない物だったけど。
本の内容としては、既にあるサハギンに関する書物の情報をまとめ上げ、この街での出来事も記載して、あとは自分の経験と考え方から推察される事柄を記述していったというもの。
特に根拠があるわけではない。きっとこうだろうという予想の連続。学術的に価値があるわけではない。
「書いているおじいさん自体、専門家じゃないですもんね」
「うん。しかも、元は富裕層でもない。長く続けて、少しはお金持ちになったけど、子供の頃から読み書きができた人じゃ、ない」
「……大人になってから、文字の読み書きを覚えたというのとですか?」
「そう。それでも、完全じゃない。あの本の中にも、いくつか誤字が、あった」
それは気付かなかった。ユーリくんはすごいな。
「あの本は、素人が一から作った物。しかも、手書きで世界にあの一冊しかない。他の誰も、特に興味を持たなかったし、書き写して自分で持っておきたいという人も、いなかった」
「でしょうね。だから図書館に寄贈したんですね。手にとって貰える人が多いように。でも」
あの本がそこまで価値のない物というのはわかった。今から訪ねる相手も、サハギン研究という意味ではそんなに偉くないという事も。
「それじゃ、やっぱり意味ないんじゃないですか? そんな人の話を聞いても、本当の事かはわからないですし。それに周りの人の信頼を得るのも」
「うん。難しい。でも、ナタリアの味方はできる。少なくとも、ひとり」
「え?」
「この街に、サハギンの事を真剣に考えている人間は、いない。ナタリアは、そう思ってるはず。だから味方がいない」
誰もナタリアの話を信じてくれない。街の人達はサハギンの事を覚えてはいるけれど、今の問題としては認識していない。
けれど、今もなおサハギンの事を考え続けている人間がいたら。
「ナタリアの言ってる事、八年前に目撃したっていうのも、本当かわからない。でも、このおじいさんなら、興味を持ちそう」
「…………そうですね」
カイ達も言ってたけど、この依頼で本当にサハギンと戦う必要はない。あの島にサハギンはいないと、ナタリアに見せてあげればいい。
それが、両親の死に捕らわれているナタリアを救うことに繋がる。オロゾが期待しているのも、そういうこと。
だったら、サハギンについて詳しい知り合いがいても良いと思う。そうすれば、ナタリアの孤独は紛れるはず。
サハギンの呪縛から解くという意味では逆のやり方かもしれなけど、ナタリアは孤独ではなくなる。
今の状態から脱却する方法は、ひとつじゃなくていいはず。複数のやり方を同時にやればいい。
「この家ですね」
「うん。フィアナ、お話してくれる?」
「あー。はい。わかりました……」
訪ねようとしている老人が何者かは知っているけれど、どんな人なのかは知らない。もしかしたら、ものすごく偏屈な人かも。
本から読み取れる範囲だと、話したがりで自分の功績を残したがってるだけの、別に悪い人じゃないとのことだけど。でも本当の事はわからない。
そしてユーリは、基本的に人と話すのに向かない性格をしている。苦手とかではなく、性質の問題で。
だからこういう接触は、比較的人当たりのいいフィアナがやる方が良いという結論。
「ごめんください。えっと、クーガンさんはいらっしゃいますか? 図書館で、サハギンの本を見たんですけど」
戸に向かって声をかける。小さいけれどしっかりとした作りの家で、中に人がいればちゃんと声は聞こえるはず。
クーガン。それが本に書かれていた著者名。さて、いるかな。
直後、家の中からドタバタと音が聞こえた。とりあえず、無人ではないらしい。次いで、扉がバタンと開けられて。
「わ、儂に何か用かね? お前たちは……」
「はじめまして。わたし達は、旅の冒険者です。この街で、サハギンの研究をされてらっしゃる方がいると聞きまして、お会いしたいと」
「そ、そうか。図書館の本を読んだのかね?」
「ええ。しっかり読ませていただきました。とてもよく書けていたと思います」
正確には、読んだのは隣の男の子なんだけど。それは別に詳しく言う必要はないだろう。
見た感じ、クーガンさんは人のいい老人と言った様子。そして、本を読んだという言葉にとても感動しているようだ。
もしかして、今まで本当に読者がいなかったのかな。そしてようやく、読んでくれた相手ができた。しかも、褒める感想を口にした。
なんというか、感想に飢えている人。そんな印象を受けた。




