11-18 目先のこと
これは一体なんの時間なんだろう。
不穏な空気があるわけではないけれど、俺は目の前の男を悪人だと疑ってかかっていた。正直なところ、今も警戒はしている。だからいつ何か起こるのではと居心地の悪さしか感じなかった。リゼはその点のんきなもので、お茶菓子を美味しそうに食べてるけれど。まったくこいつは。
「ところでリゼさん。あなたはリナーシャさんの知り合いなのでしょうか。先程親しげに会話している所をみたのですけど」
門の前でちょっと会話になったのを見られたのかな。まあ、それは隠しだてすることじゃない。
「へ? ええ。リナーシャは姉です。ちょっと事情があって別々に旅をしていますけど、偶然この街で会って」
「そうでしたか。姉妹がいるというのは良いことですね。ということは、リゼさんも今回のクラーケンの討伐作戦に参加するのですか?」
「はい。そのつもりです」
「そうですか…………」
目の前の男は、討伐作戦自体に反対していた。リゼの返答に、彼は困ったような様子を見せた。
「正直な所、私は今回の討伐で犠牲者が出るのは避けられないと思っています」
「…………そうですか」
リゼだって、どう反応すればいいのか困っている様子だ。お前は死ぬ確率が高いって言われてるようなものだしな。けれどそれも、フライナは親切心から言っているのは間違いない。
「なのでせめて、早く討伐が完了することを祈っています。クラーケンの仲間が探しに来る前に倒してください」
「やっぱり、クラーケンには仲間がいると今でも思っているのか?」
「ええ。生物とはそういうものです。個体が一体だけしかいないのはありえない」
使い魔である俺の問いかけにも、この男は丁寧に答えた。
「海洋生物に関しては、私は専門家です。いえ、そうでなくても直感でわかると思います。生き物は、種の存続をするためにはある程度の数が必要です。クラーケンが普段は群れを作って生きている生物である可能性も考えなければいけません」
「そうだな。だから、仲間が迎えに来るかも、か…………」
それから、ふと違和感に気付く。いや、俺の先入観によるもので、フライナにとっては最初から当然の事を言ってるだけなのだろうけど。
「早く討伐してほしいんだな」
「ええ。当然です。私にとっても、この街に平穏が戻るのは早い方がいい。だからあなた達にはしっかり戦ってもらいたいです」
「でも、自分の企業の船は出したくない、と」
「ええ。それも……わかってください」
この人にも守らなければならないものがある。ああ、理解できるとも。目先のクラーケン退治は大事だけど、そのために自分の従業員の命を賭けることはさらに目先のこと。
「わかった。フライナさん。最後にひとつだけ質問させてくれ。船を壊したのは、誰だと考えている?」
早期の解決を望むのなら、犯人はこの男ではないという事になる。では、彼の考えは?
「わからないことを断定することはできません。しかし聞いている手口から考えるに、船のことを良くわかっている人間でしょう。恐らくは私と同業者」
同業者とは。船乗りという意味か。それとも。
「…………なるほど」
「それから、私からも最後にひとつ」
「なんでしょう」
「もしクラーケンが私の予想に反して一体だけしかいない生物だとしたら、その背後に想定すべきは自然の脅威ではありません。人間の悪意です」
その言葉の意味は、よくわからなかった。
「そういえばカイ達、来なかったね」
屋敷から出ながら、そういえばと言った風にリゼが呟く。たしかに。暴徒を止めにライフェル達を呼びに行って、一緒に来てくれるものと思ったのに。ライフェルとリナーシャは来たのだから、なにかトラブルがあったってわけじゃないと思うけど。
「問題が起こったそうで、カイさんとユーリくんで対処にあたってます」
「マジか」
ギルドに戻ったところ、フィアナがひとりで留守番していた。どこか不機嫌そうなのは、ユーリと引き離されて留守番って立場を押し付けられたからかな。
別にフィアナの能力を過小評価しているのではなく、こうやって俺やリゼに事情を伝える役が誰か必要で、急用の内容にもよるけどフィアナが一番適任と判断されたからだろう。カイとユーリだって付き合いは長いし、ふたりで組んで事に当たった方がいいこともあるだろう。
で、なにがあったと言うのだろう。
「狼の大量発生です。近くの農場に、群れで襲いかかってきたと。このままでは甚大な被害が出ると、農民さんが駆け込んできました」
「農場?」
「はい、ハスパレの」
「なるほど」
俺達の旅で何度か出会ってきたもの。煎じて飲めば気分が高揚したり、痛みを感じにくくなったりする植物。
あの葉は南部に生えるんだっけ。そして悪用した時のまずさは別として、医薬品としての使いみちはある。だからハスパレ農場は間違いなく存在するんだろうな。
で、オオカミはそれの臭いに敏感だ。襲撃は割とあることなのかも。もちろん農家だって対策してるんだろうけれど、それが追いつかない場合もある。
どうしような。フィアナがここに残っていたのは、俺達への伝言役にすぎない。となれば、カイとユーリを手伝いに行くべきかな。
「ねえフィアナちゃん。なんでカイとユーリくんなの? オオカミ退治なら他の冒険者でもできるし、わざわざあのふたりが行かなくても」
「それが、ライフェルさんの指示で?」
「なんでここで、あの人が?」
「それはわからないですけれど。でもカイさんも、お父さんの言うことなら一応は聞いておこうってなったそうです」
「そっか」
このギルドの応接室が、今回のクラーケン騒動の対策本部になっている。そこにサキナが、暴動が起こりかけてると伝えに来た。ならばライフェルとカイは同じ建物の中にいた。あと、ギルドへの依頼を総括しているギルドマスターも一緒にいただろう。
オオカミの大量発生という緊急事態と、暴動の鎮圧。これをできるだけ人手をかけずにこなすための人材配置に、ライフェルが口を出したということかも。
親子の間にわだかまりはあるのは間違いないけれど、会話もしたくないってほどでもないらしいし。指示を出すのは普通なのかな。それとも、暴徒の鎮圧に行くライフェルに、カイの方が同行したくなかったからとか? うん、考えてもわからない。
「サキナさんは?」
「暴動が起こって街全体が無法地帯になる前に、ルファさんのそばにいたいって言ってました」
「ああ、守りに行ったのか」
普通にそう言えばいいのに。そばにいるだと、別の意味に聞こえる。まあでも、その言葉に嘘はないはず。




