11-10 カイに起こったこと
俺達のリーダーに向けられた苛烈な恋心は十分興味深い事象だけど、今はカイの心情にまつわる事の方が知りたい。というわけで、ベルを落ち着かせて聞き出す。
ベルは、少し顔を伏せて言いよどんだ。
「珍しい出来事ではありません。悲劇ではありますが、港町ではよくあることです。よくある、海難事故です…………わたくしはそれを直接は見ていません。しかし、ライフェル様の証言は嘘ではないでしょう」
その日、ライフェルとカイとナイの親子と、数人の漁師が揃って漁に出た。
漁業企業の長である家族は、普通ならそんな事をしなくてもいいはず。けれど、ライフェルは現場主義の男だった。将来的に企業を継ぐことになるカイや、その補佐をするはずのナイが、実際の漁の仕事を知らないでは話にならない。
その家風は代々受け継がれてきた物で、だからこそシナクス家は大きな企業として反映をしてこれたのだろう。
子供を漁に連れて行くのは危険なことではあった。けれど当時のカイはすでに幼いという年頃はとっくに抜けていたし、数度漁に同行したこともあった。
弟はまだ小さく漁に出たこともなかったけれど、幼いうちに自分の将来に触れることは大事という考え方もわかる。カイ自身がしっかり面倒を見ると言ってたこともあって、ライフェルは連れて行く事を決めた。
その日の天気は快晴。風も吹かず波も弱い。安全性という意味では、絶好の天候だった。港からあまり離れた場所までは船を進めないという方針で、ライフェル達は漁に出た。
とはいえ、この世界ではその日の天気を正確に知ることはできない。もちろんこの世界にはこの世界なりの天気予報の知恵と経験があり、漁師は特に注意を払って空の様子を見ているはず。
けれど、正確な天気予報なんて俺のいた世界でも困難なもの。技術も知識も体系も整っていないこの世界において、ある時急に空模様が変わり海が荒れる事を予想できなかったことを、誰が責められようか。
その日は昼過ぎに、急に天気がぐずつき始めた。ポツポツと降り始めた雨は一瞬にして大雨となり、街と海に降り注ぐ。市民は慌てて屋内に退避して、漁に出た家人の安否を気遣った。海はたちまち荒れはじめ、波は高くなっていく。
比較的岸に近い場所で漁をしていた船は次々に戻ってきた。けれど、ライフェル達の船はなかなか戻らなかった。
ライフェルとて正しい判断をしていた。天候が変わる気配を感じるや、すぐに撤収の指示を出したと、同行していた漁師は証言してるという。
しかし、いかんせん急変すぎた。あっという間に荒波に揉まれるようになった船の中で、カイ達は振り落とされないよう必死にしがみついていたという。
カイは幼い弟が海に投げ出されないよう、しっかり手を握っていたらしい。もう片方の手は船のへりを掴んでいた。そして、耐えきれなかった。未成熟な子供の力では無理な話だった。
カイと弟、両方が同時に海に投げ出されたという。手を繋いでいたのだから当然だ。そして、投げ出された際にカイは弟の手を離してしまった。むしろ、それまでは握り続けていた事を立派だと褒めてやるべきものなのだろうけど。
カイは波に揉まれながら、必死に弟を探していたはずだ。けれどその姿はすぐに見失った。波の中に消えて、声も聞こえない。
カイは比較的すぐに救出された。それでも彼は、再度海に飛び込もうとしたという。自分が手を離してしまった弟を助けなければと。これでは、自分が弟を殺してしまった事になると。
ライフェルも同じ気持ちだったのだろう。しかし彼は多くの人の上に立つ者だ。身内に対する感情だけで生きてはいけない。いや、その手の情を大切にするならば、余計に嫡男であるカイを無事に港まで連れて帰ることを優先すべき。
消えた弟の名前を叫びながら、半狂乱になって暴れるカイを押さえつけながら、船は岸へと戻った。
「別に大した話ではありません。この手の事故はよくあることです。小さな子供が波にさらわれるのも……年に数回はきく話ですから」
「でも、カイにとっては……」
「そのとおりです。カイフェル様にとっては、深い心の傷を負わせる結果になってしまいました。なぜ手を離してしまったのか。なぜ、波の中でライフェル様を見つける事ができなかったのか。なぜ助けられなかったのか。おそらくですが、戻るという判断をしたライフェル様に対しても、思う所がおありでしょう」
カイと父親の間に、どこかわだかまりがあるのは、なんとなく察していた。
さすがにカイも、その事件からそれなりに月日が経って分別もつくようになって、父の判断が間違ってなどいないと理解はできるようになったのだろう。それでも、心情として割り切れる物ではない。
「あの日から数日の間、カイフェル様は誰とも口を聞こうともなさりませんでした。お部屋に閉じこもり、誰かが入ることすら許しませんでした」
「今みたいに?」
「ええ。確かに……似てますね……カイの奴、立ち直ったと思ったら結局これだから。何も変わってないじゃない……」
「まあまあ。落ち着いて」
ベルが暴走するのを恐れてるのだろう。その片鱗を見せた瞬間に、リゼはすかさず止めようとする。なかなかの危機管理意識だ。
「失礼しました。事件から数日後、カイフェル様は元に戻った様子を見せました。いつものように、社交的で気遣いのできる方に。周囲の人から慕われる方に。それから、体を鍛え始めました。立派な海の男になるため。周囲にはそう言っておられました」
なるほど。立派な海の男か。けれどカイは、今の所その道には進んでいない。俺がよく知るカイは、自分が漁を生業にするなど一切口にしなかった。
カイが鍛えた理由は。
「事件が起こってからちょうど一年後、カイフェル様は忽然と姿を消しました。旅に出る。探さないでくれ。人助けがしたい。そう書き置きがありました」
そう。俺達の知ってるカイは、人助けが大好きな冒険者だ。過去をあまり語ろうとしないタイプの。けれど、俺達に対して誠実であろうとするタイプの。
旅に出たあとのカイについては、俺もよく知らない。どこかでユーリと出会って、いろんな街を訪れた。こことは気候がかなり違う北国にも行った。
そして俺達と出会い、一緒に旅をするようになった。大きな事件に何度も巻き込まれた。
その旅を、ベルは知らなかったんだな。突然消えた想い人を、この街から出ることもできず待ち続けるだけの数年間。怒る気持ちは理解できる。




