10-36 老猫
とりあえずルファの事務所に戻って今後の対策を協議しよう。俺達だけで動くのは危険だ。みんなでやればなんとかなるって話でもないとは思うけど、とりあえず知恵は集まる。
「…………あれ? この子は……どうしたのかにゃー? ロライザさんがいなくなって、不安になったのかにゃー?」
リゼが足元にすり寄る一匹の猫に気付いた。ロライザの店にいた老猫は、ぷるぷると体を震わせながらリゼを見つめている。サキナはこの猫をクルシャと呼んでたっけ。
老いた身でありながら、なんとか店の中から抜け出して来たんだろう。そんな体力があったことにも驚きだけど、このまま放っておくわけにもいかない。
「おねーさんと一緒に来るかにゃー? 大丈夫にゃ、守ってあげるにゃー」
「話通じてるのか?」
「わからないにゃー。ていうか、コータがお話してよ! 同じ猫ちゃんだから、話も通じるでしょ!」
「そんなわけあるか」
俺が猫の体からなのは、リゼがこのぬいぐるみを用意したからだ。そもそも俺は猫じゃない。クルシャに俺を押し付けるリゼに必死に抵抗する。
その様子を、クルシャは首をかしげながら静かに見つめていた。
「まあまあふたりとも。とりあえずクルシャは連れて帰りましょう。それから、今後の事を話さないと」
「そうですにゃー。ほら、クルシャちゃん一緒に行くにゃー」
見かねたサキナに口を出されて、リゼは猫を抱きかかえる。猫とのんきに会話してる場合ではなく、知り合いの危機なのは変わらないわけだ。早く事務所に戻らないと。
というわけで、昼まで寝てたらしくそれぞれ気力を養ったらしいみんなに、見て聞いたことを説明する。
ロライザと面識があったのは俺とリゼとサキナだけだから、カイ達にそこまで切実に事態を受け止めて貰えるかどうかはわからなかった。知らない人間が逮捕されても、それを深刻に受け入れられるかは別問題だもんな。
まあ、それは杞憂に終わったけど。
「わかった。そのロライザさんという方は、リゼ達には大切な人なんだろ?」
「うん。まあ。わたしというよりは、サキナさんにとってだけど」
自分の体質のことは、まだサキナ達には明かしていない。だからリゼは一歩下がった言い方をする。そうでなくても、サキナにとっての方が深刻なことだろうし。
「そうね。わたしの大切な師匠。これでも、あの人には感謝してもし足りないって思ってるわ。わたしの前で連れて行かれて、それを見てることしかできかった。悔しいと言えば悔しいわ。でも……」
膝の上に乗っているクルシャをなでながら語るサキナは、思っているより冷静なようだった。
「でもね、わたしは師匠の事を誰よりも知っているから。だからわかるの。あの人は大丈夫。自力でなんとかできるって。もちろん無罪でしょうしね。むしろ問題は、師匠の逮捕をそそのかした魔法使いの方」
「ゼトルの事が?」
ロライザが心配ではないというサキナの言葉は、少し違和感を覚えつつもそういう物なのかもと思うことにする。一番詳しいのはサキナだ。
それよりも、あの魔術院の幹部の方が怪しいというのはどういう事だろう。あの人は俺達にとっては近付きたくない相手だけど、一応はまともな人物だ。不穏分子騒動の被害者でもある。
「噂で知った事だから、正確にはなにもわからないけどね。まず、怪しいと思われてる魔法使いや道具屋を一斉に捕まえるというのが変よ。怪しいにしても、まずは話をしてから。捕まった人間の中には無罪の人の方が多いに決まってるのに、こんな強引な手段を取るのはおかしい」
まあ、それもそうだ。片っ端から逮捕はやりすぎだな。城主様にはそんな権限もあるんだろうけど、それをやって市民から非難を浴びるのは得策ではない。市民から尊敬れなくなった支配者が今後も健全な領地運営をできるかと言えば、それは怪しい。
「それに、首都とはいえ他所の都市の役人に言われてやったというのも、なんかおかしいのよね。普通って、こういうのは口出しされたくないものじゃない?」
「確かに…………」
この世界における首都や王様の権限は偉大だけど、それでも城塞都市だってひとつの独立した政府を持っている。例えば、首都から監査団が来るとなれば露骨に嫌な顔をしたという例は、はっきりと覚えてる。
首都の役人がひとり来たぐらいで、捜査の方針が決まったりするだろうか。
「じゃあ、サキナさんは今回の件にどんな裏があると思ってるんですか?」
「それはわからないのよね。噂になってる以上、何か繋がりはあると思うんだけど」
「サキナの言うとおりよ。ゼトルは今回の件を利用して、あることを進めようとしている」
「そうなの。師匠も言ってる通り…………師匠?」
「こんにちは。思ったより気落ちしてないようで何より」
さっき捕まっていたロライザ本人が、椅子に座って俺達の会話に混ざっていた。サキナはあっけに取られたようにそっちを見るし、他のみんなも驚いてガタリと音を立てながら立ち上がる。
「にぎゃー!」
なんて悲鳴を上げて逃げようとして、つまずいて思いっきり転ぶのはリゼぐらいだったけど。ていうか、なんで逃げる。
「クルシャを連れてきてくれてありがとう。さすがわたしの弟子ね」
「ね、ねえ師匠。なんでこんな所にいるのかしら」
「あら。決まってるじゃない。隙を見て抜け出したの。ああ。もちろん、ばれそうになったらすぐに戻るけど。わたしは魔法使いだから、瞬間移動なんて簡単にできるの。優秀な使い魔もいることだしね。ここに行けば良いってのはすぐにわかった」
にゃーと鳴きながら、クルシャがロライザの方へすり寄ってくる。ロライザもまた、飼い猫を愛おしそうに撫でた。いや待ってくれ。今なんて言った。
「クルシャって使い魔だったの…………」
サキナが呆然としたように口にする。いや、弟子なのに知らなかったのか。俺も気付かなかったけど。だって。
「使い魔なのに、そんなに離れた場所にいられるのか……?」
俺がリゼから離れようとすると、一定の距離が開くと自動的に引き寄せられてしまうのに。ロライザとクルシャにはその様子がなかった。
「それはほら。わたしが優秀な魔法使いだからね。距離の調整くらい簡単にできるの。そういう風に、主人と使い魔の関係を設定できる魔法がある」
リゼの方を見た。自称優秀な魔法使いのバカは、知らないという風に首を振った。




