1-3 今夜は野宿
最初、これが死かと思った。けれど。
「ぐえっ!」
自分が何度目かに地面に落ちる感触と、何度目かの変な声が出たことで、もしかしたらまだ生きているのかもとかすかな希望を抱いた。
「コータ! ねえ、コータ! 生きてる!? 返事して!」
ああ。リゼの声も聞こえる。その声に反応するかのように目を開けて起き上がる。
さっきまでと同じ光景。周りを木に囲まれている、ここは森。嫌でも見覚えができてしまった。十メートルほど離れたところに、リゼが上体を起こしてこっちへ声をかけている。幸いなことに生きているようだった。
次に感じたのは臭いだった。肉が焼けるような臭い。その正体はわからないけど、リゼの方からそれが漂ってきているらしい。そういえばオークはどうなった? リゼの向こうになにか大きなものが横たわっているけど、あれなのか?
なにが起こったのかわからない。それを確かめるために俺は走った。ああ、この足はやっぱり遅い。
横たわっていたのは本当にオークだったし、ついでに言えば肉が焼ける音の発生源もこいつだった。見る限り、既に死んでいるようだ。
本当に死んでいるのか確認したわけでもないし、触って反応を見るなんて芸当、怖くてやる気が起きないけれど、上半身が黒焦げで頭含めて半分吹っ飛んでいるなら死んでいるだろう。胸のあたりに大穴が開いたような状態になっていて、その上にあるはずの頭が消えている。胸の断面をよく見ればピンク色の肉が……やめよう。グロいのは苦手だから目を逸らす。
「助かったみたいだな。なにがあったのか、わからないけど」
「ほんと? もうオークいない?」
「いないと思う。とりあえずこいつは死んだ。とりあえずリゼ、今は」
「うえええええええええ!」
「ぐえっ!」
危機は去ったと理解した途端、リゼは大声で泣きながら俺の体を抱きしめた。両腕と胸で、力加減なんてなくて全力で。
当然俺は苦しげな声をあげるけど、お構いなしだった。
「怖かった! 怖かったよぉ! うええええええん!!」
「わかった、わかったからとりあえず泣きやめ。な?」
今のオークの仲間がいればこっちに来るかもって思ったんだけど。どうやってオークを倒せたのかもわからないし、そこら辺もこいつから話を聞きたい。でも今は泣き止むのを待つしかないのか。
ああ、ウザい…………。
リゼが落ち着きを取り戻した頃には、日が傾いて空が暗くなり始めていた。魔法があるような世界でも夜は普通に来るんだな。そう考えていると、リゼがようやく俺を解放してくれた。足の痛みも引いたらしい。
「もう大丈夫なのか?」
「ぐすっ……うん。大丈夫、大丈夫……ねえ、ひとつ聞いていい?」
地面の上に立つ俺を座ったまま見下ろしながら、リゼが尋ねる。でもその前に。
「いいけど、もうすぐ夜だぞ。どうするんだ? 家に帰らなくていいのか?」
俺のいる世界でも、夜にぬいぐるみを連れた女の子がひとり外にいるっていうのは危ない。オークなんて出てくるような世界なら、なおさらだろう。
というか、リゼは夕方だというのに家に帰るという選択肢は持ってないように見えた。どういうことなのか気になったから尋ねる。
「家? そんなのないよ?」
「どういうことだよおい」
さっきまで泣きじゃくっていた女の子は、けろりとした顔で言い切った。なんだよ家がないって。ホームレスか? にしては服はきれいだし、全体的に身なりにやつれた様子はない。
「まあなんていうかなー? 天才で偉大な魔女のわたしには、家なんてもう必要ないっていうか?」
「いや、いるだろ。普通にいるだろ。じゃあ今夜は野宿するのか?」
「んー…………実はここからしばらく東に行った所に村があるらしくて、本当はそこを目指してたんだけど。……でも今から行っても、着くのは夜中になりそうね。よし、野宿するわよコータ!」
どこまでも明るく言い切るリゼ。結局野宿なのか。村があるとか、ちょっとだけ期待させるようなこと言って結局野宿か。いや、こいつの言うことをまともに聞いても仕方ないか。だんだんわかり始めてきた。
「それでコータ。野宿って何すればいいんだっけ」
「知るかよ! ていうかお前、野宿したことないのにやるなんて簡単に言ったのか? ていうか野宿未経験で家も無いって、今までどうやって暮らしてきたんだ」
「薪を集めて焚き火して、みんなでそれを囲んで夢とか話し合うんだっけ」
「人の話を聞けー! ていうかなんだよ、その夢を話し合うって!」
「お話で読んだことがあるっていうか。世界を救うために旅する勇者様達が、夜は野宿してみんなでいろんな事を話し合うの! なんかかっこよくて、憧れるよねー」
「呑気だな! こんな状況なのに呑気だな!」
ダメだ。だんだん怒るのにも疲れてきた。
とにかく、野宿するなら焚き火は必要だろう。さっきみたいなオークがまた近づいて来ても、明かりがなければこっちも気づけない。それに野生の獣とかも火を恐れるらしいし。
明かりがあるなら、逆にこっちの存在を知らせることにもなるんじゃないかとも思うけど、だから見張りを立てる必要があるんだろうな。
誰か一人が寝ずに周囲を警戒して、交代で寝る。
今は俺とリゼしかいないっていうのが、無茶苦茶不安だが。
「えっと。薪ってどうやって集めるんだっけ? 木を切ればいいの?」
「そんな時間無いし、やり方もわからないだろ? 落ちてる枝を拾えばいいんじゃないか?」
「なるほど! コータ頭いいね! わたしほどじゃないけど!」
もはや突っ込む気力もなくなってきた。とにかくリゼを急かして、完全に暗くなる頃には、周囲の森からなんとかまとまった量の枝を拾うことができた。
「早く火をつけるぞ。もう完全に夜だ」
月明かりのおかげで完全な暗闇というわけではないけど、早いところ火をつけたい事に変わりはない。リゼは任せてとばかりに、鞄のそばにあった魔法の杖を手に取り。
「炎よ集えー」
杖を両手で握り、薪の山に先端を向けながらそう言った。杖の先端が微かに光っている。さっきオークに向けてやっていたのと同じように、杖の先に火の粉が集まってやがて小さな炎となった。薪に着火するには、まだまだ小さすぎるだろうけど。
「むむむ……集えー。炎よ集えー。もっと集えー」
そのまましばらく、リゼは難しそうな顔をしながら詠唱を繰り返す。確かに炎は大きくなってきている。そしてようやく着火。あとは薪をくべて火を大きくしていけばいいだけで、魔法の出番ではない。
「つ、疲れた……」
「おつかれ。なあ、魔法ってそんなに使いにくいものなのか? ずいぶん時間かかってたみたいだし」
かなりの体力を消費したらしく、息が荒くなっているリゼを見て尋ねた。今の様子を見れば、マッチやライターを使う方が時間も体力も使わないはず。この世界にあるかは知らないけど。
「ううん。上手い人は、もっと簡単につけられるよ。炎魔法って初歩だし。今のは…………ちょっと調子が悪かっただけだから!」
「わかった。わかったから。もうそういうのはいい。おいリゼ、そろそろ教えてくれないか?」
「へ? 何を?」
「全部だ。この世界のこと。リゼのこと。なんでお前が俺を呼び出してこんな所で野宿する羽目になったのか。そこんところ全部」
「あー。なるほど。うん。そうだよね。お互いを知るのは大事だよね! これから長い付き合いになるし!」
「長い付き合いにはなりたくないけどな…………」
とにかくリゼの説明を聞いていく。
この世界について。リゼの住んでいるこの世界は、リゼたちそこの住人から特に名前をつけられているわけではなく、単に『世界』と呼ばれていた。
この世界の形が球体なのは、この世界の人間もわかっているらしい。そういうものを俺の世界では地球と呼ぶ。そう教えたが、それはリゼにはピンとこないようだ。世界は世界、と。
昼間空に浮かんで世界を照らしている星の名前は太陽。夜に浮かぶ明るい星は月。ここらへんは俺の世界と同じか。
四季もあって、夏は太陽が出ている時間が長いし冬は短い。夏は暑いし冬は寒い。今はだいたい、初秋の頃らしい。
ああでも、四季があるということは、この世界の反対側では夏に寒い土地というのもあるってことなんだろうか。北半球と南半球の違いとか。地軸の傾きとか…………いや、深く考えるのはやめておこう。ここら辺の授業、俺苦手だった。
俺のいた世界とここでは、科学技術のレベルの差がかなりある。俺の世界でいう何年ぐらいか、というのはちょっとわからないけれど。
とにかく昔だ。少なくともパソコンも車もない。馬車はあるらしい。ライターやマッチも存在しないという。それは魔法でどうにかできるから、そもそも不要なのかもしれない。
そうだ。一番重要なこと。この世界には魔法がある。それについて詳しく教えてもらおうか。